美奈宜神社から3分ほど歩いて行った所(福岡県朝倉市片延838辺り)。

 

白鷺塚

 

白鷺塚(しらさぎづか)

 

昔、むかし (約千八百年前) 古処の山から見下ろした里には筑後川が流れ、よく土地の肥えた豊かな村がありました。

 
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古処山と筑後川を繋げて考えたことなかったけど、下の筑後川の図でいくと「福岡(県)」って文字の辺りが古処山なんだな。

 

福岡地区水道企業団HPより

 

しかし、古処の山には羽白熊鷲と言う悪者が住んでいました。時どき山を下りてきて、村人を苦しめました。村人は本当に困りました。

神功皇后が九州におみえになったとき悪者退治をお願いしました。

 

皇后様は神様にお祈りされて「この潮干玉を使って川の水をからにし、川蜷にたのんで一晩のうちに城を作り、今度は潮満玉を使って一度に水を入れ、水攻めにして滅ぼしなさい。」とお告げになりました。

 
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潮干玉・潮満玉出て来た!

ってことは、この神様は綿津見‼

 

皇后様は川蜷を呼んでたのみました。一晩のうちに立派な城ができました。羽白熊鷲が攻めてきましたが、水攻めに会い、滅ぼされてしまいました。

このあと、村は静かな平和な村となりました。

 
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水攻めが有効ってことは、羽白熊鷲は空は飛べないらしいね。

 

白鷺塚

 

皇后様は三韓攻撃の勝利を感謝し、帰路の肥前の高橋より、一羽の白鷺をお放ちになりました。「白鷺の降りた所にお社を建てたいと思います。どうぞその場所を お示しください。」と申されました。

 
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肥前から飛んで来たことによって祀る話、何かあったような…。

 

ヒメコソ神社ね。

筑前国宗像郡の可是古が幡を飛ばしたわ。

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あと、白鷺が降りたところに祀る話も聞き覚えが…。

 

綿津見三神を祀る風浪宮や、

住吉三神を祀る住吉大社がそうね。

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現代でもダーツを投げて行先決めたりするわけだし、何かを飛ばして場所を決めるのって古来からあるあるなのかな。

 

白鷺は空に舞いあがり、筑後川に沿ってしばらく飛んだ後、こんこんと清水の湧きでる所に舞いおりました。

皇后様はそこを白鷺塚と命名されその近くに神様を祭るお社を建てられて、美奈宜神社 (蜷城=美奈宜) と呼ばれました。

また川蜷が守ってくれた村里を ニナシロと呼びました。ニナシロがだんだんなまって ヒナシロとなりました。

 

蜷城の守り神として美奈宜神社は今もみんなを見守って下さっているのです。

(宗像大社、美奈宜神社の縁起より記す)

令和の大事業記念 美奈宜神社

 

白鷺塚

 

この辺りには蜷城小学校や蜷城保育園、蜷城公民館等の名前が残っているわ。

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伝承館

 

美奈宜神社(福岡県朝倉市林田210)内の伝承館。

中に、美奈宜神社について知り合いことが詳しく書いてあった。

 

 

美奈宜神社のはじまり

 

(前略)朝倉の古処山には羽白熊鷲(はじろくまわし)という熔鉄の民が住んでいました。

翼を持った鳥のように軽々と動き回ることのできる山岳系人物で、皇命に従わなかったと日本書紀にも記されています。

 
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羽白熊鷲は、製鉄業を営んでいた⁉

 

鉱山を跳び回っていたようね。

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秋月周辺にある荷原と、「荷」がつく地名は、 羽白族が大きな荷物を運んでいた姿から付いたと伝えられています。製鉄の資材を人力で運ばせていました。

また、事故も絶えず、人手不足を補うために集落の村人をさらい、また作り上げた刀を試すために人里を襲い村人を困らせていました。

 
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羽白熊鷲こわいよ〜。

 

また 古事記では仲哀天皇は神に呪い殺されたと記述されていますが、小郡市で陣営を敷いた時、羽白熊鷲の流れ矢に当たって崩御したという伝承が残っています。

神功皇后は村人を救うことはもちろんですが、夫君の敵討ちとして攻め入ったとも考えられています。

 

小郡市にある御勢大霊石神社には「仲哀天皇が熊襲征伐にあたり行宮をここに設けたという。ところが天皇が戦線を巡視した際、毒矢に当たってこの地で崩御」という伝承が残っているわ。

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矢を放ったのは羽白熊鷲だったというわけね。
古処山から小郡市はちょっと距離があるけれど、羽白熊鷲はその辺りまでいたのかなぁ。

 

伝承館

 

皇后は、この地で神様にお祈りされて「この潮干玉を使って川の水をからにし、川蜷に頼んで一晩のうちに城を作り、今度は潮満玉を使って、一度に水を入れ水攻めにして滅ぼしなさい」とお告げになられました。

この玉は志賀海神社の祭神でもある阿曇磯良が海底の竜宮城から授かった、潮の満ち引きをコントロールできる霊力を持ったものです。

皇后が筑紫に着いたころ阿曇磯良より献上されています。

 

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皇后は筑紫に着いてすぐ、羽白熊鷲討伐前に、阿曇磯良から潮干玉・潮満玉(干珠・満珠)貰っていた?
阿曇磯良が仲間になったのは羽白熊鷲と田油津姫討伐後、朝鮮出兵前のタイミングかと思ってたけど、違うのか。

 

阿曇磯良は朝鮮出兵だけでなく、九州平定にも携わっていたようね。

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この霊力により一日で城を築きあげました。この後の三韓征伐の時にもこの宝珠は大活躍することとなります。 

 

カワニナに頼んで一夜で城を作ったという伝承が暗示するのは、 夜陰に紛れて水軍が陣営を一晩で整えたということになります。

夜が明けると突然陣営が出陣して、たくさんの軍船が集結したのです。

 
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川蜷(カワニナ)=水軍

 

ちなみに、久留米にある大善寺玉垂宮には、神功皇后が新羅に出兵した折に、ニナ貝に助けられたという伝承が残っているわ。

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美奈宜神社も大善寺玉垂宮も筑後川流域。筑後川のさらに河口にいくと、磯良が初代神官となった風浪宮がある。

磯良は筑後川流域で活躍していたっぽいな。

 

またかつて筑後川は干満の差が大きかったので、それを利用して川の水を堰き止め、敵が攻撃してきた時に水攻めしたのでしょう。

 

皇后軍の作戦は上流にいる羽白熊鷲を狙って小石原川と佐田川の二水系から挟み撃ちしました。大已貴神社にいる本軍は敵の総攻撃を避けるため、一夜城を作り戦力を分散させ、一気に攻めあがったのです。

逃走に逃走を重ねて、朝倉市の寺内ダムの所でついに矢に倒れました。

そして、この地は作物の実る静かな平和な村となりました。

 

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寺内ダム近く、あまぎ水の文化村内に羽白熊鷲の塚があるのよね。

 

神功皇后は羽白熊鷲を討った後、田油津姫討伐へと向かうことになる。

筑後川伝いに筑後方面へ向かったのだろうか。と考える。