本日は土蜘蛛、田油津媛の命日なり。
丙申、轉至山門縣、則誅土蜘蛛田油津媛。時、田油津媛之兄夏羽、興軍而迎來、然聞其妹被誅而逃之。
〈現代語訳〉
(仲哀天皇9年3月)25日移動して山門県へ行き、土蜘蛛の田油津媛を誅殺した。その時、田油津媛の兄の夏羽が軍を起こして迎えに来たが、妹が誅殺されたことを聞いて逃げた。
(『日本書紀』)
というわけで、色々飛ばして、昨日のバスハイクで訪れた、田油津媛の墓と伝わる場所の話。
老松神社
福岡県みやま市瀬高町大草311
立派な楼門をくぐった先にあるのは、菅原道真を祀る老松神社。
しかし、今回の主目的はこちらではない。
反対側から見た図。
蜘蛛塚(大塚)
大塚という地名の起こりでもあります。
(中略)
往時は女王塚と言っていましたが、後世にはばかって大塚 (蜘蛛塚)に改めたと云います。
今は石室の中心部のみ残り塚上に地蔵尊を祀ってあります。
昔は雨が降るとこの古墳から血が流れでると言われていましたが、これは石棺内の朱が流れでていたと思われます。
伝説によると景行天皇の西征の時に、この地に朝廷に従わない者がいましたので、天皇は之を征伐して首長を葬った所だとされています。
また、一説に土蜘蛛の首長田油津媛の墓であるとも云います。
南筑明覧に曰く、景行天皇の御宇、本郡東山に葛築目あり。勅命にしたがわず天皇之を征し誅に伏すと。葛築目は玖津女にてこの地の女酋ならん。女酋のこの地に都せし、一代にあらざるが如し
- 山門郡誌(大正15年 福岡県山門郡教育会)
蜘蛛塚延壽地蔵大菩薩由来
この地蔵尊は古代から祀り受継がれて来たのであるが、特に西暦1732年(249年前)より6年間も、毎年連続して起こった洪水・凶作・大飢餓・火災などの災害の折には度々土砂に身を埋め、或は火に焚かれ、人々に代って苦難を受けられたと伝へられて居る。
台座の正面には三界萬霊、左の面に大塚村中と彫ってあり、工事の際台座の下から、お題目(南無妙法蓮華経)の書いた小石82個出土した事を見るにつけても、当時の人々が如何に深い信仰心を、この蜘蛛塚地蔵尊に寄せられていたか明らかに知ることが出来る。
調査資料提供者 村山健治 発起人一同
夏羽が逃げて行った場所についてはこちら↓










