椿市廃寺
行橋市大字福丸393
7世紀末から8世紀の初めに建てられた古代寺院の跡だそう。
古墳とか神社とか見てた後だから、頭が追い付かなくて混乱する💦
でもあれだよ。
古墳ってすごい昔な感じするけど、7世紀末頃まで古墳が作られていて、それに代わるものとして寺院が登場したのだとか。
権威の象徴なんだってさ。
ただのお墓や宗教施設って思ってたら大間違いだねぇ。そうかぁ。
これは、寺院の塔の心柱の礎石。
ここを管理しているおばさま?が、近くには瓦もあるよーって、ほいほい拾い上げて見せてくれた。
えっ、そんな普通に落ちてるの⁉︎
礎石は、すぐ近く、田んぼの端にあったのを避けて、今の場所に置いたそう。
普段は閉ざされた中を見せて頂いた。
閉ざされてるって言っても、管理人に電話したらすぐ開けてくれるみたいではあったけど、まあ、一般の個人はなかなか、電話までしないよねぇ。
仏像は7世紀とかまで古くはないらしい。
鎌倉だったかな室町だったかな、比較的最近調査したような話だったけど、なんかその辺りだろうって話みたいだった。
なかなか調査も保管も行き届いてはないよね。
頭と体は同じなのか否か。
手が妙に大きかったりもする。
木で作ったものに、金を貼っている様子。
出土した瓦の方が年代が古く、貴重。
平城宮の瓦と同じ型を使って作られた瓦が出土したんだと。
何で同じ型を使ったと分かるかというと、傷の位置が同じなんだって。で、傷の数から、平城京のが先で、こっちが後だと分かるらしい。
瓦の材料の土が異なるので、瓦を運んできたのではなく型が運ばれて来て、椿市廃寺の近辺で瓦が製作されたと考えられているとのこと。
詳しいことはまだまだ分かってないんだけど、とにかく、平城京の文化をいち早く取り入れることが出来るような地域だったんだろうねって、そういう事みたい。
瓦達もかなり簡単な感じに保管されていて、歴史資料館の方はここの管理人のおばさまに、もうちょっと厳重に保管しないとね、ってな事を話していた。
まあなかなか、調査や保管って行き届かないよねー(大事なことなので二度言う)。
歴史っていうと戦国時代や幕末が人気だと思うけど、古代史ももっと注目されると良いなあ。
前回書き忘れてたから以下に追記。
歴史資料館で話を聞いていてハッとしたこと。
「この地域は気候も良くて食べ物もよくとれ、他人とそんなに争う必要がなかったから、大きな権力が育たなかったんだろう」という話があった。
そうか。そうだ。
権力を誇示するのは、自身の命や生活が脅かされる恐れがあるからなんだ。
自分のところに食料がなければ、食料もしくは食料のとれる土地を奪ってくる必要がある。
自分のところに食料があっても、奪いに来る存在が近くにあれば、守る為に強くなる必要がある。
強さを見せ付けて、奪いに来させないようにしたい。
生活が脅かされるから戦争があるし、権力者がいる。
全ての人の生活が脅かされない状況があるなら、戦国も権力者もなくなるんだろうな。
そんなことを思った。
この日の探訪は以上☀️
また6月末に続く。


















