太分八幡神社

福岡県行橋市下稗田685



宮司さん曰く、この辺りには、この神社から勧請された大分八幡神社が多いので、それらと区別する為、「大」より大きい「太」分八幡神社としたらしい。



しかし、扁額は点を塗りつぶされてしまうし(塗りつぶされた後、改めて点を塗ったので浮いている↑)し、





社殿内に書かれたものも「大分八幡神社」なんだよなぁ。



本宮は飯塚の方でもあるわけで、本宮も分社も「大分」なのにここのだけ「太分」ってのも不思議だけど、それは宮司さんのこだわりなんだろうから尊重しとく。



そして。

ここは元々、日吉神社だったという。

地名の稗田(ひえだ)、古くは日吉(ひえ)田だそうな。



前回の探訪で書いたように、この辺りは景行天皇の行宮があった場所とされる。




この神社独自に伝わる話なんだけど、日吉大神は景行天皇の守護神なんだと。

なるほど分からん。どういうこと?



日吉大社は滋賀県大津市にある。

景行天皇は滋賀県大津市辺りで亡くなったらしい。

詳しくは分からないけど、その辺りが関係ありそう。



前回よりも多い人数でぞろぞろ向かう。



回廊のある立派な造り。




手前 左には、



貴船神社。




前述したように、ここは日吉神社だったのだけど、武士達ってなんか八幡神が好きなんだよねー。



貞治二年(1363年)二月九日、馬ヶ獄城主 新田義基の嫡男 上野介従四位上源義氏により、筑前国穂波郡大分八幡宮が勧請され、日吉神社の相殿に合祀される。

この時はまだ、メインは日吉神社。



そして天正八年(1580年)、菊月本願主仲原土佐守盛家になり社殿改築にあたり、八幡宮を本殿に、日吉神を相殿に祭る。

ここで、八幡宮がメインになってしまいました!



八幡神社だと、私の推しの神功皇后が祀ってあることになるから良いんだけどね〜。

でも、景行天皇の伝説は大切にしたい✨✨



象の木鼻。



ちよっと悪い顔してる😆



入って来た鳥居を出た向こうには、赤く塗られた橋。


以前は(今も?)この橋の先の建物の所までは境内だったみたいで、だから色塗ったんだって。


続く。