“死んだら生きれない”から始まる、生きるを寿ぐ物語。
応援の循環チアフルエンサー・こうさかゆうあです。
☆日本初のサレ妻インフルエンサーとして活動中☆
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親はもう、この世にいない。
それなのに、
いまだに
親の声で生きている気がする時って、ないですか。

親が絶対で、
逆らうことなんて考えられなかった時代。
自分の気持ちより
「普通」や「世間」を優先して、
“自分らしさ”を守るより
“浮かないように”生きることを
選んできた人生。
だけど、もし
なぜかいつも
同じことで、うまくいかない。
人が変わっても
場所が変わっても、
つまずくところは
いつも同じだとしたら。
大人になった今、
もう自由なはずなのに
なぜか許可がほしくなる。
なぜか、胸がざわつく。
そんな自分に気づいたとしたら。
自分の中に、たぶんまだ
親は生きているのではと。
それは
いいこと・わるいことという
枠で括れるものではなくて。
最初は
「気にしすぎ」
「過去は過去」
そうやって流してきたりもしていた。
でも
気づきたくないことに
直面せざるをえない出来事を経験したとき
こんなにも時間が経っているのに
まだ、縛られている自分に気づいた。
それは「弱さ」じゃなくて
ずっと置き去りにしてきた
小さな私の声なのかもしれない。
もし今の私ができることがあるなら
それは
親を責めることではなくて
あの頃の小さな私に
「もう大丈夫だよ」
と、伝えてあげることなんだと思う。
親はもういないのだから
年老いているのだから
よいところもあって、
ありがたいこともあるから
諦めよう
ゆるそう
そう思うことも、もちろんある。
でも
親と一緒につくってしまった
“生き方のクセ”は、残っていて
ときどき私に
実にナチュラルに、ちょっかいを出す。
親からもらったものを
大切にしてもいいし
手放してもいい。
そんな選択ができる
自分になるために、
私は少しずつ
自分の中の「手放したい親」と
訣別していく発信をしています。
もし、これを読んでくれているあなたが
「もう終わったはずのことなのに、気になる」
そんなふうに思う瞬間があるなら
それはきっと
あの時、見ないふりをした
「目を向けてほしかった気持ち」
なのかもしれない。
もう、いいかげん
親の思いよりも
自分の声を信じていいんだよ。