退屈は〇〇〇〇をしているから?「憧れ」の大切さ | 丁寧に生きる

丁寧に生きる

ニックネーム

福岡県在住
一児の母

ファッション・美容好き
写真好き

こんにちは。のみかなデス。トレーニングを始めてみんなと触れ合って感じたことがあります。


それは理想の人生の指針は、いつでも“憧れ”や“〇〇したい”だなということです。今、“憧れる”人もしくは“憧れる”ことはありますか?

スポットライトや華やかな世界で生きる人に憧れるのか?!はたまた


自分の世界観を追求してものづくりをすることに憧れているのか?!


自分の世界観を人に共有することに憧れるのか?!


いずれにせよ、その“憧れ”は、未来からのメッセージだとわたしは思っています。


未来と言っても沢山の未来があると思うんです。
例えば30分後だって未来ですよね?
「今から仕事に行くのか?!」
「休むのか?!」
これも実は私たちは自由に選択出来ます。


いつも選択肢があり、そこから枝分かれしてまた別の選択がある。その繰り返しです。だから、いろんな方面に、可能性ある未来が存在しています。


その中でも、今のわたしにキラキラ輝いて見えるものが、私たちが“憧れる”とか、“ときめく”とか、“ワクワクする”という表現の未来です。



そう聴くと「まさか?!そんな今のわたしには見合わないし、想像もつかない!」とイメージしたことさえ、かき消すそうとするかもしれません。


でもそのインスピレーションや気持ちを、かき消す必要があるんでしょうか?

だってそれを思い描くだけで、気持ちが昂ったり(たかぶったり)軽やかになるなら、十分に味わっても損はしないでしょう。

とはいえ、なぜ多くの人がそれを止めてしまうのかは、ある感情が浮かぶからですよね。

例えば、リゾート地に行くことが“憧れ”なら、行ってみたくないですか???

とはいえ今の情勢で、コロナが気になりますね?!お金が気になりますね?!人の目が気になりますね?!時間が気になりますね?!
いろんな条件をクリアしなきゃと考えてしまうともう動けないです。


そして「行けないこと」の言い訳を探して自分を納得させ、止める(とどめる)のが私たちはとっても得意です。

正論で自分を納得させます。


“憧れ”の反対は“言い訳をする”ことかもと最近思うんです。


でも、それが出来ようが出来なかろうが、そのことを思い描くだけで、胸がときめくなら
それさえ遮っている(さえぎっている)自分を
どけてあげたほうが、もっともっと幸せではないですか?そのイメージの中でもっと、展開が待っているかもしれませんよね?!夢のようでもいいじゃないですか?

気分がいいなら♡笑


わたしの憧れを、この記事の冒頭に使ったのですが、憧れに近い写真を厳選したんです。それを見ているだけで、私の気持ちは、とっても軽やかになります。

なんだかワクワクします。
ときめきます。小さな幸せさえ生まれます。

でも、逆にそれができない言い訳をし始めると急に気分が沈みます。😱

でもこの“憧れ”をどうやれば、叶えてあげれるんだろう?小さな一歩はなんなのだろう?そう思うと、ワクワクしてパワーが湧き出るのを感じるんです。


それが現実に叶うか叶わないか?!は別としてです!


わたしは昔っからノートを書くことが好きです。「〇〇したい」と書いたり「こうなったらいいな。ああなったらいいな。」と書いてきました。

そうなったときに陥ったことがあります。

それは結果に注意が行った時です。

「本当にわたしは、できるだろうか?」と未来や結果に意識がいくと、途端に自信がなくなり、落ち込みました。


多くの人がこれを感じるから、“憧れ”や“目標”を立てないようにしてきたのではないかって思います。

理想と今の自分を比較すると、当然苦しくなります。「結果に執着する」「未来に意識がいきすぎる」と、苦しくなるように心の構造上できているんだと思います。


そうやって、「傷つかないように。」「嫌なことを感じないように。」自分を守ったんです。健気ですよね。
でも今度は、それを描くことも思うことも、小さな一歩を踏むことも許さなかった代償は、「退屈な時間」が生まれるのだと思います。


“憧れ”や“ワクワク”や“ときめき”を感じられたら、それを大事にしてみて、小さな一歩はなんやろ?!そんな風に自分に聞いてみてもいいのかもしれません。


だってそれは、最初に書いたけど、今の私たちが輝いて見える未来の自分なんやから。