和田家文書の中から面白いと思ったものを紹介しています。前回のつづきです。
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平將門②
翌年、平將門が京から戻り坂東の下総に復任すると、
上総の良兼は炎の如く怒り再び將門を攻めようとします。
しかし仲間となってくれるものは少なく「俺は国の役人だぞ❗️俺の言うことをきけ❗️」といってもその言葉に耳を傾けるものはいませんでした。
そこで將門の館に夜襲をかけるのですが備えは固く、
良兼と貞盛の軍は敗走しその地を追われてしまうのでした。
その後、將門は安倍頻良の妹・辰子を側室に迎えやがて楓姫が生まれました。
住まいを武蔵の豊田から石井に移ししばしの泰平に身を安らぐのでした。
さて、京へと逃れた貞盛は朝廷に將門討伐の訴状を
何度も申請しましたが全く相手にされませんでした。
そこで国府の権守(国の役人)興世王(おきよおう)と、源経基(みなもとのつねもと)をそそのかし、
將門の友であった武蔵の郡司(地方の役人)武芝(たけしば)をゆすり、領民の税を倍にしてその取立てを
郡司そこのけにして国府へ納めさせました。
そこで困った武芝は將門のもとへ行き自らの現状を嘆き訴えました。
將門はいざこざの仲裁をしようと国府に向かいましたが、源経基はすでに姿を消していました。残された興世王は將門に説得され武芝に謝罪したのでした。
‥しかし、貞盛は次々と悪い計画を企て常陸の藤原玄明(はるあき)にも武芝と同じ事をしました。藤原玄明もまた將門の所に窮状を訴えに行くのでした。
それを知った国府は「武芝と玄明を助けるのは
国府に反している💢」として、將門討伐の軍を挙げました。国府軍の3000騎に対して將門軍は1000騎です。
ところが、將門が3分の1の勢力で常陸を攻めると国府軍はまさに数を揃えただけの烏合の衆であっという間に敗れ、国印と公倉(税を納める倉)の鍵を將門に献上したのでした。
そして一連の騒動が平貞盛の画策によるものと知ると、怒った將門は貞盛を追って坂東八ケ国、全ての国府を攻撃しました。
奥州の安倍頻良からの2000騎の援軍を得て、坂東から国府をことごとく追放してしまいました。
(つづく)
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ここまで読んで 「あれ、違うなぁ」と感じている方もいるかと思います。
あるいは「平將門ってそういう人だったのね」「いつ怨霊になるの❓」という方もいるかな❓
世に広く知られているものと違うところが和田家文書の面白さですね。
もう少しお付き合い下さい。
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