少し暑さはやわらいで、季節は秋なのですが…
夏になると思い出す、私自身の過去の体験を少し綴ってみようと思います
よかったら最後までお付き合いください
私が、高校1年生の夏休み
乳児院に泊まり込みの福祉体験に参加しました(乳児院とは、養育者の事情で育児が難しい0~3歳の乳児が生活する施設)
当時の私は、実家に帰ることを避けて
夏休みも寮が閉まるギリギリまで残ってい
たり、修道院でお世話になっていました
だから泊まり込みのプログラムは
私にとっても居場所のようなものでした
その施設で、お風呂から上がったとき
3歳くらいの女の子が突然入ってきて
「私のお母さんになって」
と私に抱きつきながらこう言ったんです
あまりに突然の言葉に、何も返せず
抱きしめることもできず、私は立ち尽くす
しかありませんでした
保育士さんがすぐに気づいて
「いつものことなの、ごめんね」
とその子の手を引いて行きました
その子がなぜ乳児院で暮らしていたの
か、詳しい事情は知りません
ただその日のミーティングで
病気や経済的困難、虐待などの
背景がある子がいると聞きました
「私にはお母さんがいるのに、
なぜこんなに心が反応したんだろう」
あの子の言葉がずっと胸に響いていました
あれだけ固まって、苦しくなったのは
同情でも情けの感情ではなく
私自身の「寂しさ」が揺さぶられていたのです
母を求めながら、母の代わりになる大人
を探していたその頃の私自身と
あの子の気持ちがリンクしていたのです
あの夏の出来事がきっかけで
「子どもと関わる仕事」を選びました
あの子の「寂しさ」と私の「寂しさ」が
響き合ったことや
その気持ちを抱えたまま生きてきたことが
今の私の活動につながっていると思います
あの時の私は、「私のお母さんになっ
て」という言葉に何もできず、立ち尽
くすしかありませんでした
でも今なら思えるんです
あの子は、私の中に深く残るほどの存在感を与えてくれたと
そして、きっと
私だけじゃなく、あの子を想ってくれた大人が他にもいたはず
だから、あの子はちゃんと愛されている
心を寄せてくれる存在がいたんだということ
同じく、私自身もそうやって
人に支えられて生きてきたのだと思います
30年以上経った今も、私はあの子の幸せを
祈っています
″元気でいてくれたらいいな″
″大切な人と安心して過ごしてたらいいな″
″お母さんのような存在に出会えていた
らいいな″
私がこんなにも長く想い続けているのなら
あの子はきっと「一人じゃない」
そして、私自身もまた「一人じゃなかった」のだと
あなたの心の中にも
長く想い続けている誰かはいませんか?
その祈りがある限り、その人はきっと
一人ではないのだと思います
私の記憶の旅にお付き合いいただき
ありがとうございました










