あなたが日常で重きを置いているものって何ですか? | 人生の果実を味わう彫金職人の暮らし フィレンツェ物作り物語

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フィレンツェ在住26年の、ジュエリークリエーターKaorukoが、物作りについて、イタリア子育て生活をまじえながらお伝えします。

日本の皆様 

おはようございます。


皆さんが、日常の中で重きを置いているものって何ですか?


ひとときのお茶の時間?


大好きな人と過ごす時間?


好きな習い事をしている時間?



きっと、人それぞれ、星の数ほど種類はあると思います。


皆さん、それを自覚して楽しんでいますか?



自覚していたとしても、楽しむことが時々だと、その感覚はどんどん薄れていくように思える。


これは、私自身の体験に基づいて考えてのこと。



母の危篤で日本へ緊急帰国し、最後を看取り、葬儀を終えて、イタリアのわが家に戻るまでの間、


私は母国で、大好きな日本の食事を口にしても、通常の時ほど喜びを感じなかった。(大好物の松葉蟹は例外でしたが!)



これほど精神状態が感覚を麻痺させるとは思っていなかったのだが、美術館に行って美しいものに触れようという気も起きなかった。


イタリアに帰って、思ったことは、


まず、こちらで待っていてくれた家族たちとの普通の食卓が何よりも響き、


そしてその後、少しずつ心の渇きに敏感になり、

美術と音楽が必要だということを感じた。


大好きなテニスに関しては、日本でもお馴染みのテニスクラブのレッスンに参加させてもらい、唯一の精神安定剤となっていたのが、結果、大きく体調も壊さず、家族皆がひいたインフルエンザにも罹らず、今に至っている。


美術と音楽については主人に口にしていたので、

昨年末、すぐに美術館には連れ出してくれた。






イタリアの日常には大なり小なり様々なコンサートが身の回りにあるのだが、クリスマス辺りは、意外にも典型的なミサやニューイヤーコンサートなどはあっても、気軽にその日の気分で行くかどうか決めるようなタイプのコンサートは見つけにくい⁉︎

ということに気づいた。


年が明けて、子供たちの学校が始まり、


ようやくいつも通りの雰囲気でコンサートが土日に行われる毎日が戻って来た。


われわれは、根っからのクラシックファンというわけではないので、その日の予定と気分で、コンサートに行くかどうか決めることが多い。


今日もそんな感じだった。



次女の日本語教室での書き初めの授業が昼過ぎにあり、今日のメインはこちら。


午前中に、彫金作業をしていて、大急ぎで送り届け、ママ友たちと久しぶりのカフェとおしゃべりを満喫する。




主人は海の家のチェックのために、リボルノ県にあるクウェルチャネッラまで繰り出していた。


行けるようなら夕方16時からのピアノコンサートに行こうかと、話していたのだが、


14時の時点で連絡がなかったので、八割がた、なしかなと思い、午後も彫金作業に没頭するつもりでいたところが、15時15分ごろに、コンサートまでに戻って来られる、劇場前に集合!と、メッセージが来る。


演目も、ピアニストも分からぬまま、現地で落ち合う。




いつもなら、プラテアを取るのだが、今日は珍しくパルコ席。しかも結構上の方。

主人が取ってくれたパルコ席はピアニストに手がしっかりと見える左側席だったので、プラテア以上に手の動きをガン見しての鑑賞となる。


パルコ席の良いところは、他の予約が入っていなければ、カップルやファミリーで独占できるところ。

取り方としては、断然一列目を取るべし。

多少安いからと言って、二列目を取ると、知らない人が一列目にいることもあるので、

その場合、個室に他人といるという居心地の悪さを感じることになる。


今日は、ラッキーにも主人と二人きりだったので、プラテアの時よりもリラックスして、時折おしゃべりもしながら鑑賞する。

ロシア人のピアニスト


アルカーディ ヴォロドス


が、シューベルト ピアノソナタ 第16番 イ短調D845

と

シューマン ダヴィッド同盟舞曲集Op.6


を演奏した。


シューベルトの方は、私たちのお気に入りのハンガリー人ピアニスト、シフ

の演奏が、心に残っていた。


懐かしい心持ちで、アルカーディの演奏に耳を傾けたが、

パルコから見下ろす時、彼の指先が、鍵盤に触れると、そこから音符が音と共に立ち上ってくるかのような錯覚を覚えた。


まるでマジシャンのように音を釣り上げている感じだった。


シューマンの曲は、あまり馴染みがなかったが、興味深く耳を傾ける。

シューマンの初期作品であり、シューマン自体がピアノを弾いていて幸せだった時は、これを作曲した時だと明言している珍しい曲でもある。


今日のブログの冒頭で、皆さんにお尋ねした日常に重きを置いているものは何?

という質問に対して、


久しぶりにクラシックコンサートに赴いて、


体の細胞が震えるような快感を覚えたことによって、再確認したことは、



ライブに勝るものは何一つない

ということ。


どれだけ、ヴァーチャルリアリティが素晴らしいものであろうと、


生の経験というものは、家の中にいて味わえる効率的なもの以上の肉厚なものであるのだ。


そこには行動という余分な動きが必要となる。


得たいと思う感情や体験のために、自らが動き出してその地に赴く。


便利で楽になればなるほど、それに慣れ親しんで、面倒な行動を省きたくなる。

省いているうちに、本当は、日常の中で重きを置いていたはずのことが、その感覚がどんどん希薄になって、

まあ、なくても平気かな?などと

大切だったことさえ忘れてしまう。


そうやって、どんどん不感症になっていく。


今日のコンサートで、更に素敵だったのは、アンコール。


アルカーディは3度もアンコール曲を弾いてくれた。



最初はおそろしく技巧的で、これでもかと技術と才能を見せつける。


誰が聴いても、すごすぎると思わせるちょっと嫌味なくらいの演奏。


二曲目は、最初とは正反対の、うちの長女にも弾けるような簡単なゆっくりとした曲。最初はフォルテで始まりピアニッシモで続いていく。

音の濃淡で、一見簡単な曲でも、これほどまでに流麗に聞こえるとは!


三曲目はラフマニノフかと思ったが、音楽は好きだが、それほどまで造詣が深くないわれわれは、アンコール曲を簡単に解読することはできなかった。


若かりし頃から足繁く通ったこの劇場には、行くたびにピアニストの友人や、ピアノの先生などに出会い、その度に分からない曲目を尋ねていたのだが、

月日は流れ、


残念ながら今日は誰も見つけることはできなかった。


とは言え、

生の演奏会に行って、


確実に元気になった私。


芸術の素晴らしさってこれだよね。


素晴らしい本を読み終えた時も、その感動を誰かに伝えたくなったり、

どんどんと行動できたり、


とポジティブなパワーをもたらしてくれる。



一見、変わらぬ日常に、感動のスパイスを、振りかけることで、

鈍った感受性に喝が入る。


どうぞ、皆さんも感受性を刺激して、パワフルな日々をお過ごしください。



キャットリング 925シルバー ルビー エメラルド




それでは、本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。



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