花金は、次女にとってもお楽しみの日。
ピアノやテニスなどの習い事がないので、友達と目一杯遊べる曜日なのだ。
そして今週の金曜日は、14時までの授業が12時で終わり、
「たくさん遊べるぞ〜!」
と意気込んでいた。
ところが、友人たちとのメッセージのやり取りがうまくいかず、みんながランチに行くのを知らなかった次女は、家で昼食を食べて、その後皆に参加するのも難しい感じで、
かなり残念がっていた。
「せっかく時間があるときなのに…」
半べそ状態である。
主人が、次女に
「ダンテの映画があるけれど、今日見に行かないかな?」
と誘っていた。
次女は二つ返事で
「行く〜」
私も誘われる。
本当は仕事を進ませたいところだったが、長女も行くことになり21時からなので、
では!と私も参加することにした。
久しぶりに家族揃っての映画である。
しかし、子供向けではない。
フィレンツェを追われ、ラベンナで死を迎えたダンテだが、ボッカチオがダンテゆかりの人を訪ねながら最後はダンテの娘にたどり着く。
見終わった後の率直な感想は、
○中世なので、当たり前といえば当たり前なのだが、
貴族であっても女性の地位というものが本当に低いなぁと感じる。
ベアトリーチェも親の決めた結婚相手(かなりのおじさんで初夜の様子が気持ち悪かった。)、ダンテのお母さんが亡くなった後は、すぐに後妻が選ばれていた。
女性は決められた結婚の下、生きるしか道がない。
○ダンテが、ストーカーにしか見えなかった。
ストイックなまでにベアトリーチェに恋焦がれるダンテを演じていた俳優が、あまりにも目がキラキラとして繊細で、ちょっと怖かった。
このプラトニックな恋愛感情は、現在ならばストーカーに近いかもしれないと映画を見ながら思っていて、
後で主人にはぽろりと告げたところ
彼も同感だった。
○ローマ教皇ボニファテイウス8世がすごく嫌な顔をして描かれていた。それに反して若くして死んだ最愛の人ベアトリーチェ、そして親友(後に仲たがいする)グイド カバルカンテなどは、やはり素敵な雰囲気を持つ俳優が選ばれていた。
○ダンテがフィレンツェを追われた後に、残された家族のその状態、そして孤独に神曲を描き続けるダンテの身辺も、私の想像していたものと大きく違った。
映画では、切なくなるようなかなり貧しい様子で描かれていた。
○親友グイドやベアトリーチェなど死んで行った人々を思い出しながら、神曲を書き綴って行く様子がリアルに描かれていたのが印象的だった。
理解できないところもいっぱいあったので、私がこの映画から感じた断片的な印象を箇条書きにしてみた。
私以上に分からなかった次女は、21時開始の映画の
途中から船を漕ぎ出す。
仕方ないよね。難しいから。
この映画に行くか?
と聞かれて、
二つ返事で承諾した事実だけでも素晴らしいと私は思っていた。
久しぶりの家族揃ってのエンタメの時間は、このように不思議な様相を呈して進んでいった。
皆がそれぞれに寄り添いながら、それぞれの好きな世界に触れる努力をすることは、大切なことだと思う。
自分の好きなことにほんの少しでも触れてもらえるとやはり嬉しいものだ。
もちろん無理ない範囲でではあるが。
時に反発し、
時に迎合し、
行きつ戻りつしながら、家族というものは、家族らしい形を形成して行くのである。
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