先週は私の友人が訪れ、その後、次女の親友をあずかっての数日間は怒涛のようだった。
そんな賑やかな一週間を過ごし、主人がフィレンツェで用事がある日に、次女の親友は帰って行った。
そこに次女も一緒について行ったので、海辺のアパルタメントには、長女と二人居残り。
何度も洗濯機を回し、たくさんのシーツやバスタオルを洗う。
早朝テニスをしようと思い、朝食後に長女とテニスコートへ降り立つと、
本日もまた先客あり。
長女の
「テニスはあんまりしたくないんだよなぁ。」
という思いが、天に通じているように
彼女としようとすると、やたら阻まれる。
午前中は、やらなきゃと思いながら先延ばしにしていた事務仕事を終える。
まとわりつく子犬のような次女がいないと、仕事に集中できて、サクッと終えることができた。
未完了事項は、行動を妨げると言うけれど、
確かに、このやらなきゃと言う思いは、頭の中の小さなスペースに居座り続けているので、
そういうことが無くなると、どんどんと他のことを考えることができるようになり、
頭の中の風通しが良くなる。
未完了事項処理について書いた記事はこちら。
そして上の本を読み出す。
日本でも、出版されているイタリア人気作家スザンナ タマーロ
の「心のおもむくままに」。
日本にいた時、初めて手にとったスザンナ タマーロの本は、心にじんわりとしみいった記憶があったが、
今回イタリア語で読み始め、あまりにも内容を覚えていない自分の記憶力の悪さに、がっかりした。
初めて読む本のように、心が震えていた。
上の写真の本が、どうしてこんなにボロボロなのかと言うと、
長女の友人が、長女に貸してくれたもので、この友人はお気に入りすぎて三度も読んだと言うことだった。
時折、彼女が引いた鉛筆でのラインが出てくる。
思春期の女の子はこういうところに、感銘を受けるのかな?
と線が引いてあるところを二度ほど読み返す。
主人はこの作家について、あまりよく言わない。
私は日本語訳のものも結構好きだったので、がっかりしていたが、
長女も同様に
「簡単すぎるでしょ?」
と。
確かに、私でもかなりのスピードでスラスラ読めるということは、
イタリア語のボキャブラリーは平易なものの羅列になっているのかもしれない。
しかし、心の琴線に触れる表現というのは、語彙の力だけではないと思うので、
全面的に彼らの意見に納得しているわけではない。
長女は、ナチスドイツ下について書かれた本を、複数読み進めている。
強制収容所について書かれたもので、イタリアでははずせないものがプリーモ レーヴィ
の、「アウシュビッツは終わらない」
改訂完全版では、イタリアの原題 Se questo è un uomo にそって
「これが人間か」
というタイトルが加えられている。
私は日本語訳で、下の休戦も含めて読んでいるが、イタリア語で挑戦するところまではいっていない。
主人はダンテ研究とともに、近年プリーモ レーヴィについても講演する機会が増えているので
プリーモの文体に、関して長女にこんなことを言っていた。
「プリーモの文体は素晴らしい。的確な語彙を使って表現している。」
語彙力が乏しい私には、難書になりそうであるが、
書物に関して、
一冊の本の中に、辞書並みの語彙が散りばめられている良書でなければ、
100年後に世に残らない。
と言うようなことを、漱石や鴎外を持ち出して、茂木さんが言っていたような気がする。
これには感銘を受けた私だったので、主人の言うことにも納得できるわけだが、
これはまず母国語に関してのことで、イタリア語については、
平易なものでも、没頭して読み入る何かに出会えることが重要だと思っている。
集中して一冊読み切ることが、達成感にもつながるので
たまに背伸びをしながら、自分のレベルを確認しつつも、
少しずつレベルアップしていけたらと思っている。
長女にタマーロの本を貸してくれた友人に感謝である。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。





