昨日はブロ友さんから沢山のお祝いのメッセージ、ありがとうございます。
励みになります。
東京駅丸の内 三菱第一号美術館


「トワイライト、新版画―小林清親から川瀬巴水まで」
三菱一号館美術館で5月24日まで スミソニアンから珠玉の名品が里帰り

天気が悪い火曜日
バスで東京駅まで行きました。
スミソニアン博物館群のひとつである国立アジア美術館から、選りすぐりの浮世絵・新版画・写真約130点を借用。
アメリカ建国250周年という記念の年に、貴重な日本美術コレクションが、いまだかつてない規模で来日を果たします。
本展に出品される浮世絵・新版画は、ロバート・O・ミュラー(1911-2003)が蒐集し寄贈されたものです。
彼はディーラーとして米国に新版画を広める役割を果たした一方で、約4,500 点のコレクションを形成しました。
吉田博(1876-1950)、伊東深水(1898-1972)、川瀬巴水(1883-1957)といった絵師たちを含むその新版画コレクションは世界最高峰と目されています。
浮世絵と写真。
浮世絵は一部撮影できません。
小林清親(1847-1915)
幕臣の家に生まれた小林清親は慶応4(1868)年の鳥羽・伏見の戦いに加わり、幕府滅亡後は剣術で食いつないだのですが、独学で絵を学び絵師を志します。
1876年から刊行された『東京名所図』と呼ばれるシリーズにより、江戸情緒を残す東京の景観を移ろいゆく光と陰翳の中に描き「光線画」と呼ばれて人気を博しました
その後、広重『名所江戸百景』に影響を受けた回顧的な風景を描き、さらには日清戦争や日露戦争の際には戦況記録的な錦絵を数多く描きました。
錦絵の衰退後は肉筆画を描いて活動しています。

神田川夕景
お茶の水辺りです。
今も雰囲気が残っていますね。
両国花火之図
浅草仲見世
1908年(明治41年)、還暦を過ぎた61歳の小林清親は、友人の勧めもあり両国にあった東京美術倶楽部で千画会を行ないます。
千画会とは、その名の通り、即興で千の画を描くという企画。また、1914年(大正3年)にも、京橋築地で「清親百画頒布会」と称するイベントを開催しています。
その精力的な活動はさらに続くかに思われましたが、翌年の1915年(大正4年)に68歳でこの世を去ります。
幕臣として生きた期間が長いため、浮世絵師としてのデビューは遅咲きでしたが、その最期まで画業とともに生きた生涯となりました。
明治の頃の写真
魚屋かな?鮭を売っています。
ほぼ江戸ですよね。
蕎麦屋
これも時代は明治ですが、江戸ですよね。
そして小林清親が歌川広重の江戸名所百景に触発された作品
武蔵百景之内 江戸ばしより日本橋の景

武蔵百景之内 両国花火
武蔵百景之内 深川木場大判錦絵
明治十七年(1884年)
最後の浮世絵師、明治の広重と云われた
小林清親
川瀬巴水(1883-1957)
芝区露月町(港区新橋)の糸組物職人の長男として生まれます。戯作者・新聞記者だった仮名垣魯文は伯父でした。画家を志し一時は洋画を学びますが、結局鏑木清方(1878-1972)に入門し巴水の号を授かりました。
版元である渡邊庄三郎と出会い、さらに伊東深水『近江八景』に触発されて木版画に興味を抱き、風景版画の制作を開始します

明治末期に浮世絵の復興を目指した新版画は、新しい日本の風景を発見していきました。
清親から吉田博・川瀬巴水らに至る風景版画の流れを、スミソニアン国立アジア美術館のミュラー・コレクションによって辿ります。
川瀬巴水・伊藤深水・吉田博もありましたが、撮影禁止でした。

風🌬️と雨☔️が強い中、帰りはいなりやへ寄りました。
今日はねぎ蕎麦最後に日。
でも私はねぎ蕎麦は食べません。
今季は5回食べましたので。
天もり 1400円+200円(大盛)
大きな海老天婦羅 天つゆも付きます。
大盛
蕎麦湯
そして3月でねぎ蕎麦は終わりました。
ブロ友さんも来てくれました。
ブロ友のMIMSYさん
ねぎ蕎麦美味しかったですか。
ブロ友のsakuraさん
ねぎ蕎麦 2回食べました。
そしてブロ友のなっちんさん
苦労をしてねぎ蕎麦を食べました。
皆さん、ご苦労様でした。
因みに今夜はピンクムーン🌕だそうです
楽しみですね。