先日、アマプラで映画『月』を観ました。

2016年7月に起きた相模原障害者施設殺傷事件(津久井やまゆり園事件)を題材にした作品です。

Amazonプライムビデオの見放題で配信されていたのは知っていたけど、視聴を後回しにしていました。テーマがあまりにも重すぎるので、自分のコンディションが良い時……というか、ちゃんと観られる状態の時に観たかった。


感想を一言でいうと、決して誰にでもお勧めできる内容ではないけれど、本当は誰もが観て考えるべきテーマの映画。私は観てよかったです。

俳優さん方の演技は鬼気迫るものがあり、素晴らしいとしか言いようがありませんでした。ただ、それなりに引きずります。私の場合は、数日映画と事件のことばかり考えていました。



うまく言語化できるか分かりませんが、感想を書いてみようと思います。内容がとっ散らからないように、初めての試みですが見出しをつけて書いてみます。


注意映画や事件の内容に深く触れています。ネタバレしたくない方やショッキングな内容が苦手な方、閲覧にご注意ください。



  『さとくん』と植松聖


映画は、主人公の女性が森の中にある障害者入所施設で働き出すところから始まります。

そこで出会う『さとくん』。映画でフルネームは明かされていませんが、実際の加害者である『植松聖(さとし)』から取った名でしょう。彼は人当たりもよく、入所している障害者に優しいように見えます。ですが、映画が進むにつれて少しずつ彼の異常性が浮き上がってきます。残酷で生々しい話をいきいきと語ったり、正義感があるものの危うい印象を受けます。点滅したライトを寝ている入所者の顔に当て「こうするとてんかんが起きることがあるんですよ」と楽しそうに言うこともありました。

ライトを当てていたのは、最初の方のシーンで入所者を乱暴に扱っていた他の職員でした。観ていてごっちゃになっていました……このシーンにすごく違和感があったので、コメントで教えてくださった方ありがとうございました。


その一方で、目も見えず話すこともできない寝たきりの入所者─きいちゃんの居室には自身の作った紙芝居を切って月を作り、そっと貼る。きっと見えているよ、とでも言うかのように。


さとくんは入れ墨を入れており、ハッパ(大麻)をやっている。これは植松との共通点です。

そして、障害者を2つの施設で260人殺すと宣言した犯行予告の手紙を公邸に送り、精神病院に措置入院になる。その後、出てきて犯行に及ぶ。この流れも植松と同じ。ただ、おそらく映画のように同僚(主人公)に直接犯行予告をしたわけではないので、フィクションの部分も多いと思いますが。

というか、元々原作は小説だからね……


小説や映画が実際の事件の詳しい部分までなぞっていることを理解できたのは、私自身がこの事件に深い関心を寄せていたからです。実は、長男の障害がかなり重いと分かった時点で、私は事件の裁判傍聴記録などルポを図書館で借りて読み、それがきっかけでナチスのT4作戦(障害者安楽死政策)の本にも目を通しました。理解することはできないけど、知っておきたかったのです。


  『さとくん』の主張に抱いた感想


さとくんは『障害者には心がない、だから人ではない。人ではないから権利もない』と主張します。生産性のない人を世話する労力を、もっと未来があり生産性があることに振り分けるべきだと語ります。そして、

「障害者をいらないと思ったことは一度もないですか?汚い、臭いと思ったことは?」

と主人公に問うてます。


率直に言うと、私はあります。長男に対して、もういらない!育てたくない!と何度思ったことか。

汚いか?なんてのは愚問です。食べこぼしもひどいし、食べ方も汚いし、外に出せば顔中土や草だらけで戻ってくるし、もう大きいけれど排泄は完全オムツだし、なんでもしゃぶるからヨダレ臭かったり、弄便がひどい時期なんかは家の中がいつもうんち臭かったり、はっきり言って最重度知的障害児の現実なんてそんなもの。

「長男くんは素直で可愛いね」と人から言われたら(じゃあ長男みたいな子とずーっと一緒に暮らしてみなさいよ、あなたの家の子どもとうちの子を取り替えてって言ったら嫌でしょ)と心の中で毒づきたくなったことも一度や二度じゃありません。


でも、そう思ったことがある=殺してもいい、とはならないよね。あまりにも突飛すぎる。障害児育児も障害者支援も綺麗事ばかりじゃありません。そのような恐ろしい考えが頭をよぎったことのある人は少なくないと思う。でもそこまで思い詰めているということは、少なくともその人は逃げていない、それだけ真剣に向き合ってるってことだと私は信じたい。


私としては、さとくんも(現実の事件では)植松も、障害者施設で働きながら『障害者には心がない』という考えにたどり着いたのが不可解でした。障害のある人たちの側にいれば、心がないなんて言えないはず。やまゆり園の事件についてのルポを読んでも結局よく分からなくて、人格障害や精神疾患、大麻の影響があってこうなってしまったのかなと感じました。


  健常児を望む母の気持ち


主人公は子どもを病気で亡くし、新たに妊娠していました。次の子も上の子のように亡くしてしまうのではないかと恐れる彼女に対し、さとくんは生まれてくる子どもは健常児がいいという主人公の気持ちと、意思疎通できない障害者は死ぬべきだという自分の考え方は同じだと突き付けます。

だけど、それは違う。母親がそう思うのは自然なことだもの。そこを突かれたら誰も反論できない。母親の複雑な気持ちや葛藤を、歪んだ論理に利用されてるみたいで、腹立たしかったです。

出生前診断で異常が見つかった親の多くが中絶を選びます。法律上中絶は殺人ではありませんが、それは簡単なことではないでしょう。どちらを選ぶにしろ、どれほどの葛藤や苦しみがあるかは当事者にしか分かりません。決して、このような事件を起こすような人には理解できないでしょう。


  物語の結末と、葛藤


事件は、映画の終盤の方で起こります。視聴者はまるで時限爆弾のカウントダウンを見せられているようなものです。事件が起きてしまうことをどうしようもできません。無力感。

襲撃シーンは心が痛くなりました。本で読むのと視覚化された映像を観るのとではまた衝撃が違います。実際の現場は、映画の何倍も凄惨なものだったでしょう。みんな、さぞかし怖くて、痛かったろうに。


最後、きいちゃんのお母さんが娘の死を知って慟哭するシーンで、私も涙が止まりませんでした。そして、『生産性がない』とか『誰もが健常児を望む』とか『家族に負担が大きい』とか、そんな理屈など霞むくらい、私は障害をもつ人がその障害がゆえに命を奪われてしまったことにショックを受け、純粋に涙してるんだと理解しました。


誤解を恐れずに言えば、さとくんの主張はある程度は正論です。重度の障害をもつ家族がいる家庭は、普通に生活することも難しくなります。福祉サービスを使って、ギリギリの状態の家も多いでしょう。ですがその福祉業界は深刻な施設不足に人手不足。支援が行き届いていない現実があります。虐待や無理心中など、事件が起こってしまうこともあります。

泥臭く生きなければいけないけれど、どこかで割り切ることも必要な世界です。


だから、多くの人がこのテーマで葛藤します。その葛藤から目を逸らしたいとすら思う人もいる。

でも、障害者を排除することが”正しい”と思ってるさとくんや植松やヒトラーみたいな人なんて、ほんの一握り。たとえ正論っぽい理屈を展開されても、本当はそれがただの殺人で間違っていることだと、みんな分かっている。それが答え。

そう。彼らは間違っている。


障害者に心はある。彼らは一生懸命生きている。

障害者の介護や支援が大変すぎて、家族や支援者の生活のQOLまで下げてしまっているのも事実。だけど、それとこれとは問題が別で、その問題の解決策が『殺す』なんてことは絶対にあり得ない。そもそも安楽死とは本人が望む場合にのみ適用されるものだもの。どんな人も障害者を安楽死させる権利などない。


この映画の問いに対する綺麗な正解は多分どこにもないけれど、強いて言うならきいちゃんのお母さんの涙が一番の答えなのかもしれません。