昨日─3月31日が、長男の最後の登園日でした。
通っている園は幼保一体型(いわゆるこども園)。長男は保育部なので、卒園式のあとも希望保育を利用したというわけ。
といっても熱がぶり返してしまったので、卒園式の後はずっと休ませていました。だから、何とか最後に一度だけ行くことができて、先生がたにも改めてお礼を伝えることができたので良かったです。
というのも、加配の先生や園長先生は4月で異動になってしまったので、新年度になって年中になる次男を送迎する際にもうお会いできないのです。
心からさびしい……。
長男は、最後の登園日だと理解できません。加配の先生や園長先生とさよならすることも分からないでしょう。
降園の時に先生たちが出てきてくれてお見送りをしてくれたけど、いつものように先生と手のひらをタッチして(タッチすると帰れると思っているので)、そそくさと帰ろうとしていました。私が、
「まだママが先生と話してるでしょー」
と言いながら手を引いて連れ戻すと、先生がたに向けて思いっきりくしゃみをしてしまいました(長男は花粉症です)。
「長男くんらしいお別れだね」
と、園長先生が笑っていました。
私もゆっくり話すことはできず、
「今まで本当にお世話になりました」
と簡単に挨拶をして、子どもたちに引きずられて去るハメになりました(笑)
きっと長男は、こうして知らない間にいろんな人とお別れしていく人生なんだろうな。でもって時々、
「最近あの人に会わないな…」
とか思うのかもしれない。なんだかちょっと切なくなりましたが、いつも通りの姿のままお別れできるって、それはそれでいいものなのかもしれません。
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うちの地域には療育園がないので、長男のように重度の障害がある子も地域の園に通うことになります。
3年間、常に加配の先生+補助の先生が付き、とても丁寧にみていただきました。田舎で人数が少なく、和やかな雰囲気の園は長男に合っていたと思います。
大変な子を受け入れて、何度も助けていただいた園の存在には、感謝しかありません。もしずっと家でみていたとしたら、長男を育てることをどこかで放棄していたと思う。
園生活を振り返ると、いろいろなことが思い出されます。大変なことが多かったな……
年少の頃は私も長男も園生活に慣れておらず、知り合いもいなくて完全にアウェイでした。給食が食べられない、昼寝ができないなどで早めのお迎え要請が来ていたので、幼い次男も抱えて毎日バタバタで。弄便が始まったのもその頃だったな。
でも、まだまだ周りも幼くて、長男も先生に手を引かれるがまま何となく活動に参加…みたいな感じだったので、クラス写真を見るとまあまあ馴染んでいます。行事は何となくその場にいられることもあったけど、基本的には嫌がってました。
年中になると身体も大きくなり、先生への他害が出てきて、扱いにくさが増してきました。ちょうど義父の入院や介護が重なり、私も心を病んで通院し始めました。
運動会はとてもよく頑張っていて、感動したのを覚えています。ただ、周りとの差はどんどん開いていき、運動会以外の行事にはほぼ参加できませんでした。
年長ともなるとさらに大変になり、正直園でみるのは限界に近いという感じでした。他害や自傷や癇癪、オムツ交換の際に暴れる、食器を投げるなど、迷惑ばかりお掛けしました。極力他のお子さんに危険が及ばないよう、パニックの際は何もない部屋に連れてきて隔離、常に誰かが目を離さず見守ることを徹底していただきました。抗精神病薬の服用を始めたのもこの頃です。
同級生はもちろん、年少や年中クラスの子と比べてもその差は歴然となってきて、障害児っぽくなってきたな……と思っていました。日々の活動や行事も参加することは難しくなり、別行動や不参加ばかりでした。特性が強くなり、過敏さも増したゆえと思います。
ただ、長男を理解してくれて気軽に話せるママさんたちが増えました。次男も入園してアウェイ感がなくなったので、園での居心地がよくなりました。
卒園して、正直私はほっとした気持ちです。
特別支援学校、放課後デイ、そしていずれは生活介護や入所施設……長男のように障害が重い子は、障害に特化した施設で専門の支援者に支えられ、障害児者の世界で生きていくことになるのでしょう。それでいいと思う。その方が、気持ちがうんと楽。
いろんな人がごちゃまぜに生きる、そんなインクルーシブな世界は理想的かもしれない。けれど現実的に考えると、ある程度棲み分けた方がみんな快適でかつ合理的だと思います。
長男みたいに知的障害が重すぎると、定型発達児から刺激を受けて成長するということはないとよく分かりました(成長するのは本人の発達のタイミング、もしくは大人の働きかけによることが多いです)。悲しいかな、そこまでの社会性がないのだから。
でも長男なりに園の子どもたちのことは認識しており、心地よい存在と認めているようでした。そして、園の子どもたちも長男を大切な仲間として見てくれていたようです。
だからきっとこの日々は無駄ではなかったし、ずっと忘れないと思います。長男も。そして私も。