我が子が知的障害だという判定を受けてから半月ほど経ちました。
ふざけたような(ヤケクソとも言う)文章を綴ることが増えてきましたが、まだまだズーンと気持ちが落ち込むことはあります(´-ω-`)

我が子に知的障害があるなんて、嫌だ。

っていうと、かなり響きが悪いけど。
現状の本音はこれに尽きる。

でも、
じゃあ具体的には自分は何が嫌なのか?
それに先日気づいたので、忘れないうちに書き殴ろうと思います。

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私の通っていた小学校区内には特別支援学校(当時は養護学校)があり、毎月交流がありました。重い知的障害のある子ばかりで、会話ができる子は半分もおらず、他害や脱走も日常茶飯事でした。

怖くなかったと言えば嘘になるけど、彼らは何かを訴えるために人を叩いたり逃亡するのだと気付いて、その意図を汲み取ろうと必死になったものです。
彼らが好きだったし、せっかくだから一緒に楽しく過ごしたいと子どもながらにただ当たり前に思ってました。

中学に入学しても交流はありました。
ですが、他の小学校出身の子は初めての障害児との交流に戸惑い、嫌がり、私の小学校出身の子たちを『養護の子担当』にして押し付けたりもしました。

差別、というには大袈裟かもだけど。
小学校時代には感じなかった空気をそこではじめて知ることになりました。

でも、他校出身の子を責めることはできない。だって、小学生の頃から交流していた私たちと、そうでない子たちとでは、まず与えられた環境が違うのだから。

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この経験が根底にあるからか、障害そのものというより、障害のある人と関わることなく大人になってしまう人が多いこの社会が怖いです。

幼い頃から関われば当たり前の存在でも、知る機会がなければ異質なものとして嫌悪や恐怖を感じてしまうのは、当たり前のことです。
もちろん、障害があることが傍若無人に振る舞うことの免罪符にはなりません。嫌な思いをしたら、嫌と思うのは当然の権利です。
でも、イメージだけでネガティブにとらえてしまう人が多いのも事実だと思います。

私は、そんな社会に我が子を置いて、一人死ぬのが嫌だし、怖いです。
もうずーっと傍にいてあげられればいいのに。私が逝くときにこの子も連れていけたらいいのに。それはダメだけど。
そう思っているということに、気づきました。

だからなんだって感じなのですが、それに気づいただけで気が楽になるのだから、不思議なものです。
まだ何十年先のことを、十何年も昔の経験をもとに心配している自分がちょっと滑稽になったり。
未来とはままならぬものなのにね。