理不尽さを
明るく乗り越えたい。
いや、そんなの無理だから
(バッサリ (笑))
こんにちは。セラピストの坂木 珠緒です。
先日、ある方から頂いた
感想というか質問かという中に
こんな内容がありました。
「どうしたら理不尽だったことを
明るく乗りきれるんだろう、
忘れることができるんだろう…。」
ここでだと、
「そりゃ、そんなの無理でしょう。」
の一言で終わりです( ̄▽ ̄)
一応、お返事は
ちゃんとした文章にしたので
こんな感じになっておりますが。
「ああ、ここは無理ですよ。
無理、というか
そもそも「明るく乗り切る」必要なんかないです。
何故、そんなことしなきゃいけないんですか?
そんなに良い人になりたいんですか?
何か嫌なことをされて、
傷ついて、許せないと思ってることって
もしかしたら一生許せないかもしれない。
くらいに思っておいて下さい。
それでも全然、構わないんです。」
そもそも、
そうする必要が
さっぱり分からない。
そうしなきゃいけないと思う理由が
さっぱり分からない。
ここって
「許せない人、出来事を
どうやったら許せるんでしょう?」
と悩む人と同じ話だとも
思ってるのだけど。
(こっちだと、まだ分かりやすいのかな)
まあ、何かにずっと捉われていることが
苦しいし、きついから終わらせたい。
そして、そこを乗り越えられる自分になれれば
もっと良くなれるのに。
もっと楽になれるのに。
と思ってしまうのだろうな
とは思うのですが。
でもね、
「乗り越える」とか
「許す」ことを
「少しでも早く
やらなければいけない!!」
とか考えている時って
がっつりそこに執着してるから
逆に手放すのが
難しくなってたりするんですよね。
更には、
時間が過ぎることでしか
落ち着かない
結果が出ないこともあるものだし。
解決に固執するあまり
「乗り越えられない」
「許せない」
自分のことを責め始めるのも
本末転倒です。
だから、
出来ても出来なくても構わない、
ということを自分に許す。
自分で結果を
無理にコントロールしようとしない。
ということが
大切なのだと思うのです。
それに、そもそも
何故、そんな無茶なことを
やろうとするかなーーと( ̄▽ ̄)
「何かの問題を乗り越える」って、
ただやることすら大変だろうに
(だから苦労してるし、
人の助けを借りようとしてる)
何故、そこにわざわざ
「明るく」とか
変な条件をつけて
ハードルを上げようとする?
自分にはそんな器は無い。
自分はそんな何でも
ドーンと受け止めて
笑って流せるような人間じゃない。
ということを
認めることが先かもしれない。
それにねー。
笑って、自分は大丈夫というフリをして
「乗り越えた」
「許した」
という綺麗な言葉で
誤魔化そうとしてませんか??
とも思う。
そもそも、その出来事って
理不尽なことだったんでしょう?
嫌だったんじゃないの?
腹が立ったんじゃないの?
悔しかったんじゃないの?
その乗り越えるって、あなたの中では
どんな状態を思い描いてる?
過去のことだから、
自分の中で消化できさえすればいいってこと?
次、現実に
似た様なことが起きたらどうする?
もしかしたら
しっかりと怒りを感じる、
許せず、恨んでる自分を感じる
ことが必要なのかもしれないし
これ以上自分を
酷く扱わせないがためにも
きっちり
怒る。断る。文句を言う。
ことが必要なのかもしれない。
中途半端に逃げをうって
表面上だけ綺麗にしても
全然、終わっておらず
変わっておらず
場所と相手を変えて
また同じことが繰り返される
ということも
よくあるのですから。
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