自分の選択
そこからの決断や行動から
自分の言葉や思いから
逃げるということ。
それって、ずーーっと
自分でどうにもならない
人からいいようにされる
世界で生きる
ということを選んでる
と言えるとも思うのです。
こんにちは。セラピストの坂木 珠緒です。
責任が怖い。
自分の思い、行動に
責任なんか取りたくない。
正直言って、
こう思う人がいるのは
分からないんじゃないんです。
だって、
特に「責任」という言葉には
人によって
色んな解釈を引っ付けてるものだから。
自分の言葉、思い。
自分の選択、決断、行動。
そこに責任を取る
=
責められる、怒られる
とか思ってたら
まあ逃げたくなるのも
仕方ないかと。
自分が何かをやった所で
どうせ失敗する。
どうせ馬鹿にされる。
どうせ怒られる。
なら、最初から自分じゃ選ばないよ!!
だって、私には力なんて無いんだもん!!
どうせ、何やったって
誰も認めてくれないんでしょう!!
人の言う通りにやっとけばいいんでしょう!!
みたいな感じになってる人も
ちょいちょいいますしね。
でも、それでも
その人の人生はその人が選んでる。
その人が思っている通りの
現実が目の前に現れてる。
そうである以上
自分がやっていることについて
1つ1つ責任を持つことからしか
人生って変わっていかない。
責任というか
どれもこれも
自分で選択している(いた)ことに気づく。
そこがまず大事。
相手から○○をやらされた。
自分には選択肢は無かった。
↓
相手の言う通りに従うことを
自分で選んだ。
自分の感情なんて
自分で選べるはずがない
↓
自分の感情を大切にするよりも
自分の思いを相手に伝えて
嫌な思いをするより
(馬鹿にされたり、否定されたり)
何も考えず、されるがままの方がマシだったから
いいなりになることを選んだ。
みたいな感じで。
ここについては
パターンは山ほどありますけどね。
ああ、そして
場が丸く収まるならと
「人に合わせる」
ことをやる選択肢が
全て悪いわけでもない。
ただ、
「それをやると選んだのは自分である」
というだけ。
何故、そこを人のせいにできると
疑いもなく信じてるかは
ちょっと見直してみるといいかと。
どれもこれも
「自分で選んだ」
「自分で選んでこれをやった」
という所の
責任を持つことを放棄すると
そりゃ、どれもこれも
「○○さんからやらされた。」
「○○さんからそんな感情を味合わされる」
ということにしかならない。
自分の人生
自分の感情は
自分ではどうにも決められない、
どうしようもない
自分は他人に振り回されるしかない
力なき人間なんだ、
みたいな生き方に
自動的になるよなーーと。
けれども
自分で最初に
「○○と感じた。」
「○○をする。」
と決めたという所を放棄してる人は
そこから出た結果についても
自分自分で引き受けない
ということにも繋がっている。
成功した
上手くいった
という達成感も喜びも
上手くいかなかった
失敗した
という悔しさや悲しさも
自分の思いではなくなる。
ゼロではないかもしれないけど
かなーり目減りする。
だって、
人からやらされたことだしね。
いつでも逃げをうてるしね。
上手くいくか分からないけど
怖いけど、恥かくかもしれないけど
それでもやると決めた。
選んだ。
という所から逃げているのだから。
人って、ここの積み重ねにより
自分への自信や
力強さをつけていくのだと思う。
そういう意味では
自分の様々なことに責任を取らないって
色々もったいないことを
やり続けてる
ということでもあるなー、と思うのです。
~・~・~・~

