長いこと生きていると、心の中に瘡蓋(かさぶた)のように張り付いている屈託がいくつかある。その屈託は、まるで自分の心に住み着いたように『あいつ・・・。どうしているかな。』なんて、時々・・・というより頻繁に顔を出す。
つい先日、教え子で、大学生講師をお願いしているS君(北大の大学院で学んでいる)に、中学生時代彼の同級生であったT君のことについて、何気なく、『T君のこと知っている?』と聞いてみた。するとS君は、『T君は、大学院には進まず、昨年、大手ゼネコンに就職しましたよ。』と教えてくれた。その時、私の心に瘡蓋のように張り付いていた屈託が『ばりっ』と音を立てて剝がれた。
T君が私の教室に来たのは、中3の9月のこと。友人が数名来ていて、その友人の母親から紹介されてやって来たのだ。確か、S君のお母さんの紹介だったと思う。T君は、ご丁寧に、お父さんとお母さんと一緒にやって来たから、私はその時のことを鮮明に覚えている。彼は、キャプテンを務めていた部活も中体連が終了し、受験勉強を本格的に行うために、違う塾の夏期講習会を受けていたようだ。しかし、その塾になじめず、友人が通っている私の塾に、9月から通うことになった。
彼は、部活のキャプテンをやっていただけあり、責任感も強く学力もトップクラスであった。私は、当然のように、志望高はH高校を勧めた。学力試験A・B・C、そして、定期試験と、高得点を獲得してくれた。順調すぎる仕上がり状況であった。
そんな彼の様子が変わったのは、11月の学校の進路指導が終わった頃である。
『先生、話したいことがあるのですが・・・。』と、彼は深刻な顔で私の指導机の前にやって来た。どうやら・・・私立高校からスポーツ特待(スポーツ漬けの高校生活を送らせるための手段としての制度)の話が高校の部活の先生を通じて中学校の部活の先生に来たようだ。
案の定、T君は『私立のT高からスポーツ特待が来て、その高校に行く』と、私に告げた。私は、『ご両親は、賛成してくれているのかい。君の学力ならトップクラスの高校だって合格できるんだぜ。勿体ないよな。』・・・。それから、私は、毎日のように、あらゆる説得を試みた。両親にも『彼は北大にも合格できる実力があるのです。あまりにももったいないです。』と、食い下がった。しかし、T君とご両親を説得することができなかった。
説得に、精根尽き果てた私は、彼を指導机の前に座らせ、『二つだけ約束をしてくれたら、認めてやるよ』と話した。一つは、その高校の「特別進学課程」に通うこと。(スポーツ推薦は、練習が激しいので勉強とは両立は不可能なため、レベルの低い普通科に通う生徒が殆どだ)もう一つは、来られるときで構わないから、この教室に通うこと。(当然、費用は必要最小限にした)
その条件で、私は渋々承諾した。だって、彼は、難関国立大学に合格できる優秀な能力を持っているだけではなく、人間としても素晴らしく将来を嘱望される人材と考えたからだ。
しかし、高校に進学した彼は、1年生の夏ころ疲労で倒れてしまった。勉強と過酷な練習が重なったからだ。真面目なT君は、睡眠を3時間ほどしかとらず1年生の一学期を過ごした。これでは倒れるのも無理はない。加えて、部活には「遠征」が多くあり、授業を休むことも多々あったようだ。『学校の授業を受けることができなかった分は、遠征先の旅館で時間を作って勉強頑張るから、先生心配しないでください』とほほ笑みながら、私に伝えてくれた。
そんな状態で、あっという間に、彼は、受験学年を迎えた。私は、彼が3年生になった時、たまりかねて、彼の高校の進路指導の先生に電話をした。私は『T君は非凡な学力を持っているのです。北大に合格できるように、全力でサポートしてください』と熱く語ったことを覚えている。
彼は、高体連(彼の部活は、予選で敗退した)が終わった7月から、私の教室に毎日通ってきて、受験勉強をした。その様相は鬼気迫るものがあった。しかし、センター試験を前にしたある日・・・。『先生、2か月足りませんでした』と私の前で肩を落とした。その年、私の教室は、大学への受験生が13名ほど居り、4名が北大、2名が他の国立大学、医療系の薬学部の私大に2名など、華々しい合格実績を出した。T君の中学校の時の同級生は3名北大に合格した。T君は、地方の理系の国立大学へと進んだ。彼が大学へと旅立つ前、北大に未練を残し、『仮面浪人(大学に通いながら)しながら北大を目指します』と言って悲しそうに、私に向かって微笑んだ。
それ以来、T君がどうなったのか分らなかった。私は、彼の家に何度も電話をかけようとした。しかし、遂に・・・かけることは出来なかった。
それから、5年・・・あの時、彼と彼の両親を説得できなかった屈託が瘡蓋のように私の心に貼りついていた。数日前、S君から『T君が昨年、大手ゼネコンに就職した』という話を聞いて、私の心に瘡蓋のように貼りついていた屈託が一つ剥がれた。
甲子園で行われる全国高校野球、国立競技場で行われる全国サッカー・・・。私は、試合よりも、レギュラーになれず、観客席で、一生懸命に自分の高校を応援している子供たちの方に目がいく・・・というより、部活に青春をかけて予選で敗退してゆく大勢の子供たちのことを考えてしまう。
高校って何なのだろうか・・・。部活で頑張るのも素晴らしいことだ。いろいろなことを学べる。しかし、勉強を通じてこそ、初めて学びが生きて来るのではないか。
大人は、一人ひとりの子供たちの羅針盤になることが求められているのだと私は思う。
For blue『君に捧げるほろ苦いブルース』作詞 作曲:荒木一朗 歌:寺尾聡
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淋しさに一人飲むコーヒーは ひきたてのほろ苦い味がする
ゆきずりの夜に買う綿あめは 君と愛した味がする
BYE BYE まだ 夢のようさ
BYE BYE 君 ドアの外の
気に入りの紫蘭の花 昨日の朝 枯れたよ
淋しさに一人弾くセレナーデ イントロはほろ苦い音なのさ
ゆきずりの街に聞く汽車の音は 君と愛した音がする
BYE BYE まだ 夢のようさ
BYE BYE 君 ドアを開けて
六月の空を見れば まぶしすぎる僕だよ
BYE BYE MY LOVE 永すぎた
BYE BYE BYE MY LOVE ぼくの歌もやがて
BYE BYE MY LOVE 終わるだろう
BYE BYE MY LOVE もうすぐ
淋しさに一人書く置き手紙 あて先はほろ苦い友達さ
横書きの白い地の便箋は 愛を記した時もある
BYE BYE まだ 夢のようさ
BYE BYE 君 ドアを閉めて
思い出の紫蘭の花 庭の隅に埋めたよ
BYE BYE 君 すぐに行くよ
BYE BYE MY LOVE 君と同じとこへ
BYE BYE MY LOVE 夏になれば
君のいる処へ・・・
※bちゃん・・・。毎年この時期になると、天セイロ蕎麦とアルベニスのグラナダを思い浮かべます。
今年、6月、3年ぶりに行われた、奈井江コンサートポールでの合同ギターコンサートでは・・・。
伊福部昭さんの『ギターのためのトッカータ』とファリャの『ドビュッシー賛歌』を演奏しました。
伊福部さんの曲は、200小節すべて16分音符で紡がれた、けっこう難曲です。途中、ゴジラの3つの音のテーマが何度も 現れます。不満な所は一杯ありましたが、止まることなく弾けましたよ。(笑い)
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