~ ハニカミながら・・・花束を。~ | fadoおじさんのblog~明日の君に~

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子ども達の未来を共に考える、小さな個別指導の学習塾の先生fadoおじさんのblogです。

 先日の日曜日の朝、私が住んでいる集合住宅1階のベランダに、真ん中に紫の細い筋の入った白い朝顔が三つ咲いた。昨年までは、猫の額ほどの裏庭の土地に、ナスやキュウリ、ミニトマトなどの野菜を少しばかり植えていたが、数年ほど前から、2軒隣に住むYさんが、キャベツ、ナス、枝豆、などの野菜をたくさん持ってきてくださるようになった。Yさんは、少し離れた場所に10か所ほど家庭菜園を借りており、野菜作りを楽しんでいる。それで・・・今年から、我が家のちっちゃい裏庭には、花だけを植えることにしたのだ。裏庭の花たちは、季節ごとに咲き誇り、私たち夫婦の目を楽しませてくれる。

 

 私は、とても花が好きだ。

 

 小学校に入学する3年ほど前かな。だから、私が4歳ぐらいの時だったと思う。向かいの長屋の一番左端のTさんという家に、私より2歳上の、くに子ちゃんという、Tさんの親戚だという女の子が半年ほど住んでいたことがある。

 くに子ちゃんは、毎日、『○○ちゃん(私ですね)、遊ぼう』。と言って、誘いに来てくれ、近くの山に連れて行ってくれ、遊んでくれた。そして、一面に黄色い花が咲いている場所に行って、蜜蜂を捕まえて、蜂蜜を取り出し、『○○ちゃん・・・あ~ん』。と言って私の口に入れてくれた。ある日、私は、蜜蜂を捕まえようとして、右の人差し指を刺されたたことがある。その時、くに子ちゃんは、私の人差し指に刺さった針を長い時間かけて抜いてくれた。それから、『唾をつけると治るよ』。といって、自分の口に私の人差し指を入れてくれた。

 わずか半年ほどの幼い日の想い出だ。私が中学3年生の時、高校2年生になって、セーラー服を着た、とても美しくなった、くに子ちゃんが、Tさんの所に遊びに来ていたことがある。私は照れくさくて、くに子ちゃんを見ることができなかった。

 幼い頃の甘酸っぱい思い出と共に、あの一面に咲いていた眩いばかりの黄色い花が、心から離れない。きっとあの時から、私は、花が好きになったのだろう。

 

 『Y先生は、いないのですか・・・。話したいことがあるんです』。と、中学2年生のMさんに言われたのは、20年ほど前の9月中旬こと・・・。『Y先生は入院したので、これからは、私がこの教室に入ることになったんだよ。どうしたの・・・。』と聞くと、Mさんは、Y先生と、なかなか馴染めないので、辞めたいのだとのこと。私は、『これから自分が担当するので、1か月ぐらい、様子を見たら』。と言う事で話はまとまった。

 

 その年の4月、私は『脳梗塞』になった。幸い軽くて、4か月ほどで職場に復帰することができた。ちょうど夏期講習会の時期で、数回、麻生教室でY先生を手伝いながら、身体を慣らすといった状況であった。2学期も始まるころ、Y先生が病気で倒れた。私はY先生の替わりに、麻生教室を担当することになったのだ。麻生教室を担当して最初の授業での出来事である。

 

 何回か指導するうちに、Mさんは、『辞めるのを止めました』。と言ってくれた。それどころか、『先生、この教室は、生徒が少ないので友達を紹介してあげるね』。と、次々と素直なお友達を連れてきてくれた。2か月後には、麻生教室は、私の担当した時の人数の3倍にもなっていた。Mさんは吹奏楽部に入っており、しかも、目がクリっとしてとてもチャーミングなのだ。また、吹奏楽部でも中心的存在。同級生やら後輩やらが沢山、入会してくれた。今は、少子化のため、あの頃に勢いが、懐かしい。

 

 麻生教室は、7階建てのビルの4階にあり、入り口の郵便受けに、『トップゼミナール麻生教室』と書いてあるだけで、ビルには看板がない。外からは、塾があるなんてわからないのだ。しかし、生徒や保護者の皆さんが生徒を紹介してくれ、教室には友達がいっぱい通ってきてくれていた。

 

 その年の11月の半ば頃、Mさんは、『札幌コンサートホールキタラの大ホールで、吹奏楽部の合同発表会があり、全道から中学校の吹奏楽部が集まるんです。私の中学校も参加するので、先生・・・来てくれますか』。と言って、一枚の招待券を渡してくれた。しかし、その日は、前々からの約束があり行くことができなかった。私は、招待券を受け取り、『行けたら行くね』。といった。内心はどうしようかと考えていた。

 

 その時、『そうだ・・・。彼女たちに、花束を贈ろう』。と、閃いた。直接、花束を渡すのは、恥ずかしいが、花キューピットでホールに送るのは、恥ずかしくない。

 

 発表会が終わった次の週・・・。授業にやってきた、花束を贈った3人の生徒たちが、私が座っている指導机の前にやって来て、『先生・・・。感激しました。有難うございます』。と言って笑顔を投げかけてくれた。

 

 吹奏楽の発表会はもとより、合唱、バレエ・・・。など、私は、生徒たちに、何度、花束を贈ったかわからない。

 

 

 『友が皆 我より偉く 見ゆる日よ 花を買い来て 妻と親しむ・・・。啄木』

 

仕事がうまく行かず、悩んだ時や、どうしようもなく、心が折れた時、私は、近くの商業施設の花屋さんから、バラやカーネーションの花を、一輪買って帰り、照れながら妻に渡す。

やはり、私は花が好きだ・・・。

 

 

『このエピソードは、8月7日(日)に、九州は都城から、自称『天下の大愚者日本哭檄節』さんが、わざわざ、蝦夷地まで、やって来ました。しかし風邪をこじらせ、札幌のホテルで3日間も「うんうん」とうなっていたという「おまけ」つき。そして、ようやく元気を取り戻され、彼が札幌を発つ8月9日(火)の前日の夜。私は、中々、寝付かれませんでした。そして、彼が大好きだという、戦後、昭和のにおいプンプンする宮本輝の「泥の河」を読んだのです。その時、突然、記憶の地図が開いたのでした。』

 

 

For Ingrid 『花と小父さん(昭和42年)』作詞、作曲:浜口庫之助 歌:植木等

You tube 

 

 

 

小さな花に 口づけしたら

小さな声で 僕に言ったよ

小父さんあなたは やさしい人ね

私を摘んで お家に連れてって

私はあなたの お部屋の中で

いっしょうけんめい咲いて なぐさめてあげるわ

どうせ短い 私の命

小父さん見てて 終わるまで

 

かわいい花を 僕は摘んで

部屋の机に 飾っておいた

毎日僕は 急いで家に

帰って花と お話をした

小さなままで かわいいままで

ある朝花は 散っていたよ

約束どおり 僕は見ていた

花の命の 終わるまで

約束どおり 僕は見ていた

花の命の 終わるまで

 

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