1986年4月26日。旧ソ連ウクライナで発生した人類史上最悪の事故、チェルノブイリ原子力発電所4号炉の爆発。大量の放射能が発生し、その風下に位置したベラルーシに流れ間もなく悲劇が始まりました。その時、甲状腺がんに苦しむ人々を救うべく立ち上がった一人の日本人。菅谷昭(すげのやあきら)さんのことは、以前「志の高さ」(8月23日)の拙ブログでも、紹介させていただきました。
信州大学医学部の外科医師だった菅谷昭さんは、単身ベラルーシに渡りました。そして、たった一人の戦い始まったのです。彼の高い手術技術や、患者との交流に心を打たれていく若い地元の医師たち。いつしか菅谷さんのアパートに若い医師たちが集まりました。そして、菅谷医師は、勉強会を開き、集まってきた若い医師たちに自分の技術のすべてを伝えのです。
人間一人の出来ることには限界があります。志に導かれて集まってきた若い医師たち。そして、菅谷先生は、彼らを育てることが「究極の役割」と考えたのではないでしょうか。
福島での「使命と志に燃えた」熱い日々。
M君の避難先へ、そして、心に傷を負った人々へのカウンセリングの日々は続きました。最愛の家族を失い、家を失い、土地を失い、そして、放射能の不安との戦い。避難所に住まわれている被災された方たちの心の傷は、彼の予想を遥かに超えるものでした。彼の専門は、成人対象の「認知行動療法によるアプローチ」です。彼は、ひたすら、彼が学んだ技術を生かし、被災された方々の心の叫びに耳を傾けました。最初は心を固く閉ざしていた彼らも、何度となく訪れる彼の熱意に打たれたのでしょう。少しずつ心を開くようになっていったのでした。そのような「使命と志に燃えた熱い日々」を送っている彼の心に、瘡蓋(かさぶた)のように張り付いた、一つの気がかりが脳裏を離れませんでした。「自分はどうなってもいい・・・しかし妻と子供たちの安全は…」彼は決断しました。
妻と子供たちと共に仙台への移住。
震災から数か月たって福島も少し落ち着きを取り戻したように見えたとき、彼は家族と共に仙台に移住しました。これは、妻と子供たちを守るための「苦渋の選択」でした。そして、彼自身は、毎日仙台から福島へと新幹線を利用し通ったのです。当然、病院に泊まり込んで仕事を続ける日も何度となくありました。彼には日曜日も祝日もありません。彼の心の大半を占めていた思いは「被災されている方々は日曜日も祝日もない!」という熱い「志」だったのです。そんな時期は6年も続きました。
自分一人で出来ることには限界がある。
福島で彼の「臨床心理士」としての熱い日々は続きました。心に深く傷を負った人たちへのカウンセリング、日を追うごとに仕事の量は増え続けました。毎日毎日が戦場のような忙しさ、そんな中、来る日も来る日も頭の中にあるのは彼を頼りに来てくれる人々のことでした。身も心もズタズタになりながら「志」だけが彼を支えていたのでしょう。
そんな時、頭をよぎったのは「自分一人の力には限界がある」という事だったのです。この考えは、風船のように彼の気持ちの中で膨らんでゆきました。
そうだ「『志の高い』若者たちを育てよう。
「自分一人の力には限界がある」そう思う日々が続きました。「自分のように『志』を高く持った」若者たちを育てよう。今、日本中いや世界中でも子供から老人まで「心に傷を持った」人々があふれかえっています。そんな人たちにそっと寄り添い、「心のケア」ができる「臨床心理」の専門家の必要性は多くなっています。
母校の大学で「臨床心理士」を育てる。
教育(臨床心理士を育てる)の必要性を強く感じていた彼に、一通の手紙が届きました。それは、母校からの「准教授」のオファーでした。彼は迷うことなく、そのオファーに応じたのです。それは、彼が福島の大学病院に着任してから7年後、2016年のことでした。今彼は、毎日、母校の准教授として70人の学生を相手に授業を行い、週2回、母校の大学病院の「心理臨床・発達支援センター」のスタッフとして30名ほどの人たちの治療にあたっています。また、研究のも忙殺されているようです。日曜も祝日もなく…。
M君へ・・・。
あなたが、中学生の時、私の塾に来たことも、医師から臨床心理士へと方向を転換したことも、福島の大学病院にいて、震災も含め大勢の人々のカウンセリングに従事したのも、今、母校の大学病院で若者を育てながら発達支援センターでカウンセリングを行っているのも、全てあなたに与えられた「人生の使命」であると私は思っています。
あなたは、先日、私に「今、私が生徒たちを指導している原点は中学生の時、○○先生に教えられたことを忠実に実行していること」と言ってくれましたね。でも、あなたは、既に、私なんかより「ずっとずっと高みに」行っていますよ。
あなたが、これから様々な「志の高い」生徒たちと巡り合うとき、次のような「道元禅師」の言葉を贈ります。
感應道交(かんのうどうこう)
「師との出会いは自然にあらず」、決して自然必然の因果ではなく「感應道交」である。「発心するものの発心の機が、まさに時を得て、個我を超えたものに逢着するのが感應道交」、運とかツキとかのレベルで子弟の出会いは語れず、心から求めて歩く者と、伝えるべき志の師とがめぐり合ってはじめて、おおぅと呼応し、結実の結縁とでも言える出会いが実現するのだ。
感應道交:仏と人間の気持ち、または、教えるものと教えられるものの気持ちが通じ合うこと。
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