養老孟司教授とネコのまるによる思い出を写真集に | 北条得宗家の鎌倉めぐり

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鎌倉散策や鎌倉散歩の様子の他に養老孟司教授の著書を中心として紹介

 

どうやらペットロスに陥っていたらしい。その気持ち、よく分かるんです。なぜかというと、私は東京の従妹を24歳で亡くしているから。人命は地球より重いと述べた間抜けな内閣総理大臣がいた。本当にそうかなあ。息子も首相になって、も議員になっている。福田一族に、会ったことはないけれども、私が子供の時に首相になる前の小渕恵三氏に会ったことはある。また自民党王国の群馬県が牛耳っていやがる。そんなことは、ヒトとしてのお約束事に過ぎない。同姓婚だろうが、男女平等だろうが、結局、生きている、ということは死に向かっている。つまり我々は死に向かって生きている。ゴールは死なのである。でも、死があるのは、家族や親戚など二人称のモノ。自分という一人称と赤の他人の三人称に死はない。人間のがそうなっている。だから、いちいち自分を発揮していなくても、本当の自分が今そこにいるのは当たり前というモノ。

 

 

それがまさに『バカの壁』(2003)の主張だった。続く『死の壁』(2004)では「祇園精舎の鐘 諸行無常の響きあり」ということを思い知らされることになる。ネコは18歳。人間で24歳。たまにインターネットをやっていると、生意気にも年上だからとマウンティングしてくる、サルみたいな中高年も存在する。なんも分かっとらんクセに。そこまで豊富な経験はあるんか、答えてみろ。都市にいただけでは、そこまで大きな経験なんて出来るはずがない。多様性という意味を頭で知ったところで、これを単なる頭でっかちというのだよ。ガン患者を看病した人なら分かるハズでね。

 

 

癌細胞が、消えました。転移しています。消えました。また転移しました。この一喜一憂の繰り返し、経験があるハズ。生きている間は、いいんです。たまに「兄ちゃんコレやろう!」とか「美味しい!」といった奴の声が今でも頭の中で聞こえてきて、走馬灯のように思い出が駆け巡ると、涙が止まらなくなる。まるで養老孟司教授が地下鉄の中で父親の思い出を返した時のように。そう、アイツはもう、この世にはいない。確信するべき時が何度も来る。自分より年下なのに逝ってしまった。祖母も最も悲しむ一人だった。年寄りの自分より先に逝きやがって、と思ったな。

 

 

ところで秘書って平井玲子っていうのか。ハハーン。ちょっと映った手を見ると、わりとオバサンだと思ったけど(笑)。みんな大切なモノは、人それぞれだよね。ネコにしかり、人間にしかり。でもやっぱり、私が養老孟司教授の著書を読み続けることだけ、やめらなかった理由は、経験が大きい。まさに本当の世間は「ゆく河の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず」なのだ。高校の古典で習っている。分かるでしょう!…って、いや、分からないんだな、コレが。世の中って、そんなに簡単なモノではない。宇宙のように複雑だから、現代の世の中は脳化社会と呼ぶ。分かったつもりでいる。自分は年齢が上だから分かっている。それって、ただ単にボーっとして年喰ってても、同じことじゃあ、ないのかね。

 

 

だから私はノムさんこと野村克也元監督ではないけれど、年下にも初対面では丁寧語を心掛けている。良いところは真似る。悪いところまで真似る必要はない。インターネットがなぜ役に立たないか。それはカッチリした情報のひとつに過ぎないから。自分を変えたくない人ほど他人任せにするし、そうやって、いくら年齢を経ても一向にワガママな幼稚じみた性格は抜けない。事実として、2010年代で50代の人、2020年代で60代の人、は一昔前の20代の精神年齢だという。思春期が二度来ているのだ。でもネコなら、そんなプライドなど一切ない。人間性ならぬ、ネコ性なのかもね。自分の子供が私立に行って、いい大学に通って、などと自慢することもない。まして日本で学校がタダとなると、「何で他人の子供まで面倒見なければならないんだ!」とウルサイ。自分のことしか考えていない幼稚な大人とは、このこと。国際的には、学生はタダで行けるのが普通。アメリカでは公立高校まで。欧州では大学までという国も多い。その代わりアルバイトせず勉学に励む。ネコは勉強しないもんね。働くこともない。養老孟司教授というエサ出し機さえ、あればいい。お金を見せても、食べられない。本当は人間界でも、お金は食べない。

 

 

ウチの嫁もカネカネカネゴンでウルサイ。節約しなきゃ。本家の親戚は台湾にいる。民進党か国民党か。もちろん他にも、政党はあるけど、二大政党制はアメリカやイギリスやドイツやフランスや韓国と同じ。先進国では日本だけ事実上として自民党一党独裁。とはいえ、70%を超える選挙投票率なだけに熱くなる面も。民主主義は、それだけ重要。かつて私の無関心の意味を取り違えていた人がいた。天皇に対する無関心は嫌いとは違う。だいたい無関心世代で調べれば、すぐ出てくるハズなのにね。ネコなら「一体何やってんだコイツら?」と思っているに違いない。だから「まるはものさし」の意味がよく分かる。1日がその日暮らしで呑気なら、それでもいい。ただ人間の世間体として、お金が必要になってしまった。しかし、いくら都市化と言っても、行き過ぎた面はある。若い人が、不幸になっている。中高年たちが、若者の悪口に明け暮れている。では聞くが、高層ビルを建てたのは一体誰だろう。幼い子供がタワーマンションから落ちる。パンダが木から落ちるのとワケが違うんだよ。

 

 

見事な木登りと落下芸だ。ネコと関係ないと思っているでしょう。パンダって中国語では熊猫だからね。猫の顔した熊なんだよ。まん丸顔だな。

 

 

猫のまるが来たのは20039月だという。同年4月に平成の名著『バカの壁』は初出版された。450万部を突破。恐らくものさしが必要だった。

 

 

死因は拘束型心筋症。心臓を患っていた。老人だろうが老猫だろうが、年を重ねていくと、ガタがくる。実はコレ、年取れば必ず、という意味ではなく、若くても心臓の悪い人はいる。中日ドラゴンズの平田良介は異型狭心症だし、オリックス・バファローズの安達了一は潰瘍性大腸炎だから、ダマシながらやっている。ただの風邪で大騒ぎしているような人は何も出来んやろって思わんか。私も心臓が弱いから薬を飲むワケで。

 

 

ちなみに、秘書の平井玲子というオバハンのコラムが載っているけど、自分が養老研究所に飛び込んだこととか、そこはまだしも、自分事が、かなり多いためにややウザイ印象。養老孟司教授は「自分なんてない」と述べているのにね。このあたりが戦後世代だよね。自分を中心に年齢が若いとか年寄りだとか、見ている。私的にそんなことは承知の上で述べているわけで、だからこそ、例えば福岡に帰った時に同い年の従姉妹の息子が3歳の時に「九州新幹線つばめ(プラレール)」を見せびらかせてきて、ホラー見て見て!と必死こいてアピール。現代人の自己顕示欲って、それと何ら変わらない。やっぱり、精神的に大人になれない人が多いのだろう。この世の中って変じゃねと、常に思っているからこそ、猫のまるは人気になったんだと思う。黙って仕草を見てみれば可愛い以外の単語だってあるハズ。まさに生きるものさしなんだと思う。

 

 

ブータン王国あたりに行けば、犬が放し飼いでも、ヒマだから寄ってきて、手だか前足だかを差し出す。別に、エサくれって言っているわけではない。ただの好奇心だという。間違いなく動物にも感情があり、人間は感情を押し殺して政治や経済や法律に当てはめてみる。いくら何でも、やはり、行き過ぎた面はある。相手が感情的だからって、同じぐらい感情的に言い返しても、感情的になるなと、自己都合ばかり。自分勝手な人間は後を絶たない。私の姉の同級生は弁護士だから、早稲田大学で修士号まで取って、女弁護士アリアリの女性に寄り添った弁護を行うのであり、やっぱり、自由と平等なんて嘘だよね、と分かる。ただしその個性は身体にあるのであって、痴漢や盗撮は、実は身体的のモノだよね。心が折れたとか言うけど、女が「どこ触ってんのよ!」って叫ぶぐらいなら、どうせオッパイと尻がほとんどなんだから。ただし脳も身体的なんだよね。精神的というのは心だとか言うけど、実は脳なんだよ。これがウソだと言うなら今現在の心療内科医は全員が噓ついていることに。

 

 

猫のまるは、私にとっても、間違いなく生きるものさしになったと思う。動物を飼っても良いとは思っている。だけどアレルギーがひどくて飼えないだけのことでね。別に嫌ってワケではない。自分の身体のメンテナンスに必死こいているのに、アニマル軍団の面倒まで、漏れなく、見なければならないとなると、私なんて冗談抜きで倒れちゃうよ。コメント入れるのだって、相手からデータ料金を奪っているのと同じだからね。コレ意外に分かっていない人、多いんだよね。他人に一方的にやらせて満足している中高年も、決して少なくないけど、少しは他人の健康面を考えたら、どうなんだと思うね。50歳の10分の15歳に、いつまでもなれないでしょう。私なんて医療費が、どれだけかかっていると思っているんだ。自分に最も甘いのが今現在の日本人なんだよ。分かるでしょう。だって、みんな自分がいちばん大事だと思っている。それは当然のことでね。当たり前のことをいちいち口に出すのは、それが当たり前ではないから。若い人がどうだとか言うのは、昔からの常套手段で、新型コロナウィルスを蔓延させているのさえ、若い人のせいにする。でも実際に守らず蔓延させて逮捕されているのは50代と60代のはずなのにねえ。

 

 

だいたい西日本出版社って、九州の西日本新聞というマイナーな新聞社の出版かと思ったら、どうやら大阪府吹田市にある中堅出版社のようだ。西日本鉄道というのもあるし、西日本と聞くと、どうしても九州のイメージが、私にとっては、強くなってしまう。西鉄ライオンズの西鉄は西日本鉄道の略なんだよ。近鉄は近畿日本鉄道の略。福岡県や佐賀県に縁がある身にとっては西日本の方が、福岡ソフトバンクホークスやサガン鳥栖ばりにしっくりくる。なんじゃそりゃ。まあ、とにかく、以前に出版された猫本とは、あまり変わらない印象だったかな。敢えて言うなら関由香というカメラ女子が撮った『まる文庫』(2013)とか『うちのまる』(2008)や『そこのまる』(2010)や『どスコい座り猫、まる。』と、ほとんど変わらないと思う。敢えて違いを挙げるなら、秘書のオバハンがアマチュア・カメラマンになって撮ったような、せいぜい、スマホ撮りっぽい印象。別に文句を言いたいわけではなく、自分を大きく見せたがる割に、誰でも撮れそうなアングルかな~と思ってみたりしたから。ウチの嫁も、実は、カメラ大好きなんだよね。デジタルカメラ世代なので、インスタントカメラを見せたら、メロメロになるぐらい感動していたけど。オイラ撮るなよって思わないかね。油断は禁物だな。とはいえ童顔の私を撮っても何も面白くないでしょ。31歳の時に23歳に見られたような人物なんてつまらんだろ。サル化する世界のごとく年齢や体格で相手を舐めてかかる幼稚な大人は少なくないけど、いくら朝三暮四でも世間は変化しない。

 

 

 

 

【ニューソース】

西日本出版社 公式サイト

そこまるぶろぐ。 - 養老孟司先生と猫の営業部長