本書は穀田屋十三郎と中根東里と太田垣蓮月らを中心に物語が展開される三部作となっている。いずれも極限なまで慈悲の心を持った清廉潔白な市井の人たちである。ノンフィクションではあるものの語り口は司馬遼太郎とも酷似している。
司馬遼太郎いわく日本が江戸時代から明治期に見事に変わることが出来たのは、役人になった人たちが日本人らしい恥の思想を持ち得ていて、横領や賄賂をしなかったことが大きいとされている。つまりは私利私欲に走ることを恥だと思っていたわけだ。インスタ自慢して「すごいと言われたらスッキリ」して満足するのを悪いとは言わないけど、こういうのはぶっちゃけていうと幼稚。ストレスなんて誰でもあるわけで甘ったれるな、と言いたい。それでも相手のことをあまり考えない奴がいる。それって正直言うと近所付き合いが下手なんだろ。だから明治時代には「井戸端会議が重要」だと言われていたんだよ。井戸に水くみに行ったらオバハンたちがペチャクチャ喋るだろ、あれだよ。
【穀田屋十三郎】
時代は八代将軍・徳川吉宗が終わるあたり、江戸幕府九代将軍・徳川家重の頃である。現在の宮城県黒川郡大和町吉岡という仙台藩の下にある宿場町が舞台となっている。主人公の穀田屋十三郎は代々続く浅野屋という商家に生まれたが、訳あって穀田屋という浅野屋からほんの数件離れた造酒屋に養子に入った。当時の吉岡は半農の二百軒ほどが軒を連ねる貧しい宿場町であったが、吉岡の住民を悩ませていたのは年貢の他に求められる伝馬役という大きな負担であった。
穀田屋十三郎をはじめとする吉岡の有志数名は、このままでは町が疲弊してしまい、住む人がいなくなってしまうのではないかと危惧していた。そこで彼らは仙台藩に占領を超えるお金を貸し、その利息分を仙台藩から受け取ろうと計画し実行に移す。一部の商家では商売が傾きそうになるほどの私財を投げだして、紆余曲折を経ながらも彼らは仙台藩から利息分を受け取るという目的を達成する。
彼らが良かったのは計画を実行するにあたり、綿密に考え道筋を通し、根回しを行いながら物事を実行させていったことだ。しかもその時、大役を担った有志数名は計画が成功したとしても顕正されたり、そのことで後世に名を残したりしないように、と誓い合っていた。現代人との大きな違いはここで、私利私欲にしか走らない安倍晋三バカ首相を筆頭とするシラケ素っ頓狂世代とは違うのだ。
【中根東里】
中根東里は江戸の元禄時代に伊豆の下田にて生まれた。13歳の時、三河国出身の農民であり医師でもあった父親が死去。母親の勧めで出家し地元の禅宗である寺院にて僧侶となるが、中国語を学びたいと考え始め、のちに京都にある黄槃山萬福寺に僧侶として師事する。しかし禅宗の修行に目的を持てず、学問したいがために江戸は駒込にある浄土宗連光寺に移り、大蔵経を読みふけった。ちなみに、この頃に荻生徂徠と知り合い入門し還俗した。中根東里が20歳ぐらいの頃である。
その後、荻生徂徠の説く学問である儒学に疑いを抱くようになり、朱子学に傾倒して、1716(享保)元年に23歳で加賀国金沢(現:石川県金沢市)の室鳩巣に師事する。江戸時代当時、最高の頭脳明晰と言われた二人から教えを請うたにもかかわらず加賀藩への入り口を拒み、さらに翌年には陽明学に転じた(研究者?…ってか高等遊民?)。純粋に学問を生きたと言えば聞こえは良いかもしれません。自分が好きな学問をして良い人生を送るために「赤貧洗うがごとし」といった暮らしぶりに身を置いた。貧乏ではあるが、本人がこれで良ければ幸せに感じているのだろう。まるで大卒ニートのような生き様で、夏目漱石『それから』の主人公・代助のようにも思える。
【太田垣蓮月】
太田垣蓮月は幕末から明治期にかけての女流歌人である。彼女の父親は藤堂高虎の血を引く伊賀国上野の城代家老、藤堂新七郎で母親は藤堂新七郎が京屋敷の普請の際に上洛してきた折、知り合った芸妓だという、言うなれば妾の子である。藤堂新七郎は生まれたばかりの太田垣蓮月を京都知恩院門跡の寺侍、太田垣光古(もとは山崎常右衛門)に預け、のちに太田垣光古は太田垣蓮月を養子にする。
彼女は子供の頃から容姿端麗で知られていたが、その美しさを疎ましく思い歯まで抜いたという、なかなか野蛮な人でもあったようだ。また和歌や裁縫や舞などの習い事も数えられるほどの腕前になり、他にも柔術や剣術などの武芸にも秀でていた。とはいえ、決して幸せな人生ではなく33歳の時、再婚した夫が病死したのを機に尼となった。のちに自分の短歌を彫った手作りの陶器を売って生計を立てるようになる。
やがて陶器は蓮月焼きと言われるようになり、人気を博すようにもなるが、彼女の生活は慎ましくも質素なものだったようだ。しかし飢饉の際は大金を奉行所に届けたり、私財を投じて鴨川に橋を架けるといったことも行った。明治期の文人、富岡鉄斎は子供の頃に彼女の薫陶を得ている。
2016年5月14日(土)
『殿、利息でござる!』として映画で上映
フィギュアスケートの羽生結弦選手も起用
さてさて、私利私欲に走る現代人はどう思うだろうか。団塊世代(1947年~1949年生まれ)以下、シラケ世代(1950年代~1960年代生まれ)、団塊ジュニア世代(1970年代生まれ)に悟り世代(1980年代生まれ)と、太平洋戦争以降に生まれたほぼすべての世代が明治期の人たちの純粋な心には勝てないと思う。だいたいリア充が足りないオッサンがインスタ自慢しているんだぞ。何やってんだか、冗談抜きで泣けてくるね。私が団塊世代のようなタイプの人間だったらゲバ棒持ってボコボコにしてやりたいよ。
現状に不満があるなら自分を大きく見せる演技する時間なんか割いてサッサと選挙に行けよって言いたい。それで済むんだから。相手が若者とか中高年とか中国人とか欧米人とか、自然観からすればどうでもいいことなんだから、言葉で区切ればすべてが差別になるし、すべてが決まりきった方法論にしかならないわけだから、気分屋の人には分からないだろうけど、日本は世間が中心なんだから、やはり相手には敬意を払うべきですね。言われるまでもないでしょう。
【ニューソース】



