ちょうどツッコミたいネタが・・・。沖縄の人々の心の拠り所である首里城が炎上した。多くの人々が涙を流してみていた。人間の脳にとって、これほど思い通りに行かないことはないだろう。あれを見て「沖縄も都市なんだな」と思った。それだけ都市の人間は弱い。
日本の国民の象徴が天皇なら、沖縄の人々の象徴が首里城なのである。別にバカにしているわけではない。日本はそういう文化なのである。ブータンなら文化財にハチの巣が大量に張り付いていても、決してどかすことはない。ラオスやカンボジアやチベットあたりも、象徴的存在とは別の生き方をしている。だから、そういった国々は発展途上国と呼んでバカにする。田舎だと罵られる。しかし、ああいう自然観が日本にも間違いなくあったのだ。日本は列島すべてが都会だからサルが出たのクマが出たのと騒いで殺処分する。
以前にインドが西洋文化に食われているというコメントもあって、わざわざ本文を書いているのに読まないってどういうことかと思うのだが、私はそういうことを言いたいわけではなく、インドも明らかに釈迦の時代から都市だし、中国も論語で3000年前から都市なのである。欧米文化になったから都市になったわけではない。カースト制度なんて明らかに都市文化。日本の上下関係、インドや中東のカースト制度、身分を区別・差別することは明らかに都市文化の象徴なのである。インドがもし発展途上国の片田舎であれば四苦八苦なんて出て来ない。釈迦が4つの門を出て、それぞれ「赤ちゃん」「老人」「病人」「死者」に出会ったという話は、間違いなく都会から外に出た証なのだ。
在りし日の首里城なんだけど、これだけでは五感は研ぎ澄まされない。森、川、動物や鳥の鳴き声、江戸時代までは動物を呼ぶ笛を作ることができた。よって絶対音感が存在することを肯定します。では現代人はどうか。実はテレビとか音楽とか映画とか車や電車が走る音とか、飛行機が飛ぶ音とか、機械音ばかりを聞いていると絶対音感が退化するらしい。小さいころから音楽教育していないと絶対音感が身に付かない、とよく言われる。それは実は逆なんですね。小さい頃から音楽教育をしていないと絶対音感が退化するんです。
要するに計画していた沖縄旅行や~めた!ってことなんだけど、肝心の首里城を見れないのではしゃーないしね。こういうものを見るより、やはり鎌倉あたりに行くしかねーな。ほか京都に行けたら、行きたいんだけどいつ電話しても旅館が満杯なんだよな…。
おまけに天皇は関係ないとか言ったら、それはお前が若いからだと言わる始末なんだけど、そりゃあ、単なる思想の問題であって、どこのどいつか分からん奴に言われたかねーよって感じ。むしろ、私は養老孟司(82歳)とか野村克也(84歳)に近い考え方を持っているんですけどね。それはあんたが私を年下だからとハナからバカにしてロクに読んでいないからでしょう、と。ネット用語で書いたら「あんたの頭の方がピカピカの1年生だろワロスwww」になるわけです。別にこれもバカにしているわけではありません。それが唯脳論ですから。
私に天皇がどうあろうと元号が変わろうと関係ない。では先日のハロウィンはどうか。渋谷でハロウィンパーティーなんかやらないでくれませんかね?と言いたくなる。私の家に近い。自分の街を荒らすバカなんかいないでしょう。それを考えたら出来ないはずなんだけど、他人事だと思っている。自分事だとは思っていない。だから平然と「天皇は関係ない=何も考えていない」という他人を見下した公式が成立するし、ああやって他人のテリトリーで騒ぎ始めるのである。これはシラケ世代(1950年代~1960年代生まれ)から顕著になったことです。
頭の中がどうだって、結局は脳に回帰するのです。人によっては「優秀=イエスマン」「知能が高い=何でも知っている」と思っているでしょう。オウム信者の方が年上や上司に従順で、知識においても上ですよ。ハッキリ言って。だから洗脳とか帰依とか言って、脳の中で「1時間水の中に入って生きていられる」ことと「5分間息を止めたら脳が壊れる」ことが並行して知識として残っているわけです。あのオウム信者は特別な存在ではありません。我々の中にも少なからず思い込みはあって、テレビの見過ぎでああなる。さあ、そこから統合失調症の始まりだ。宇宙人が乗っ取るまであと少し。要は「年齢」とか「時代」とか「人種」とか「性別」ではなく、考え方ひとつなのである。
先日も母親と実家でケンカした。どんなケンカかって、私が「売れ残ったペットが殺処分なんておかしいだろう!」と言い張ったら、反対に「大きくなったら売れないし世話できる人がいないから仕方ない」と逆襲に遭った。姉に至っては「ウンウン、可哀そうだね」といけず。こんな人格的に性悪な奴らが動物の気持ちなんて分かるわけがないだろう。私が言いたい結論は「動物がペットショップに売っており、商売として成り立っていることに疑問を感じる」のである。そうこう考えていたら、最近アメリカでは一部の州でやはりペットの売買自体が禁止されたらしい。
さすがにワシントン条約によってパンダは売買されていませんけどね。チワワはウルウルお目目がたまらない。動物を見るとほっこりするのは、やはり人間は社会性がないと生きていけない存在だからなのです。創価学会や幸福の科学やエホバの証人なんて共同体ではない。部落・集落でないとダメなんです。動物で哺乳類だったら、のろまな奴がいてもしっかり待っているはずです。動物にはシンボルが存在しないから「おまえはおかしい」とブツブツ文句を言うことはない。だから違いを意識するよりも、違いを受け止める方がよっぽど重要なのです。
そこまで下手に意識していたら、そりゃあ自分の思い通りに行かないでしょうな。なぜなら、それは自意識過剰の裏返しだからです。現代人は自由ではなく、自己が強すぎるんです。最も自由な世代が団塊世代(1947~1949年生まれ)。この世代がいなくなれば真面な世の中になるみたいですね。だって文化面や思想面で一致しているなんて大嘘ですから。だから「世界に一つだけの花」「オンリーワン」なんでしょう? 俺はこうだ、と主張するわりには他人の話を聞かない人があまりに多すぎるんだよね。もうお世辞抜きに対抗するしかないな。










