養老孟司教授による文系と理系の違い | 北条得宗家の鎌倉めぐり

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鎌倉散策や鎌倉散歩の様子の他に養老孟司教授の著書を中心として紹介

 

第一章 (文系理系の違い)

 

文系 → 英語・国語・日本史・世界史など

理系 → 数学・物理・化学・生物など

 

ここで語られるのはこういうことではない。改めてみると

 

文系 → 医学部・薬学部・農学部・工学部など

理系 → 文学部・理学部など

 

なぜこうなるのか。それは「どうしてそうなるのか?」を追求するのが理系でオタク気質を持ち、蘊蓄が止まらない。その分ここでいう文系は「これからどうしようか」ということ。それでも例えば熱力学第二法則「閉鎖系によってエントロピーは増大する」という。宇宙は膨張し続ける。逆回りに縮小したことがあるか。ない。時計が反対回りになるのはオカルトしか聞いたことがない。つまり生は常に死に向かっていて「成長=老い」が成立する。

 

一方、文学部はウソが多い。分からないとは「あいつと意見が違う」だけ。最も正解に至らないのが心理学。この気持ちはこうだとか、挙句の果てに発達障害の表が出ると病気呼ばわりする。ネットに答えが書いてあるとでも思ったのか。人それぞれ違うのに単純にグループ分けできると思ったのか。例えば音楽レビューでさえ「自分の文章だ」と威張っている奴に限って解説から丸写ししていることに誰も気づかない。

 

要するに文系だと話がまとまらないのだ。ガリレオの実験にピサの斜塔から重い球と軽い球を同時に落とし、同じ速度だとする実験がある。それを教会は見た目なんてウソだと言って天井をドーム状にし絵を貼ってみた。もちろん天井は真っ直ぐなのだが、見た目はドーム状になっている。これでは話が堂々巡りで終わらない。ぶっちゃけ「自分が正しい」と言えばそれまでなのだ。騙す方もだが、騙される方も悪い典型的な例。

 

第二章(SR・VR)

 

バーチャル世界を見てみよう。静止した画像だから同じはず。しかし、子供・成人・男女・老人でみんな視点が違うのだ。例えば宮崎勤のような女児好きにとってはスカートをひらひらさせてブランコに乗る7歳ぐらいの少女に目が行くかもしれない。欲求不満な人にとっては20歳ぐらいの大人の女性がホテルに入っていく様子が映るかもしれない。これは極端な例だが、そうでなくとも一人一人違うのだ。

 

日本中で最も湧き涙した曲は「世界に一つだけの花」ではなかったのか。

 

第三章(政治・経済の限界)

 

政治の話で言えば国境がある。遊牧民にとっては今でも国境線がないはずだが、人間が勝手に線を引いている。ヌーの群れは境界線なんか知ったことではない。投票だって県・州ごとや1ヵ国1票が必ずしも平等ではないのだ。経済も同じで、1万円はただの紙切れなのだが、人間にとって価値のあるものほど効果を発揮する。それって当たり前じゃないの。いいえ、当たり前ではありません。

 

私にとっては音楽CDやライヴのチケットに変わるかもしれない。ギャンブル好きの人は馬券に変わるかもしれない。女性に至っては洋服に変わるかもしれない。好きなことに使っていいよ、といえばこれだけ違う。人間は同じにすることの妄想を抱いていて「民主主義=平等」は空想なのだ。日本の若い人口が減っている。同じ1億人でも14歳~64歳が8000万人なのと、14歳~64歳が2000万人ぐらいでは、国力が違うのだ。2035~2045年ぐらいにこのままいくと破綻する恐れも予想されている。この章ではこういうことを述べている。

 

第4章(STAP細胞)

 

2014年1月にネイチャー誌において「小保方晴子の研究チームがSTAP細胞の発見に成功」と発表された。これはもちろん誤報である。山梨大学教授の若山がキメラマウスの作製に成功したことにより、瞬く間に世間に広まった。

 

日本では性善説に基づいていて、いったん信じると思い込みが離れない傾向がある。カルト教団に世界で最も信者数が多いのが証拠であるが、その小保方という詐欺師が今度は「ES細胞の混入でミスでした」という言い訳を始め、それが見苦しいとも思わず、また世間は信じた。そんなもん、最初からES細胞に決まってんだろ。

 

ただ生物学は「育種」でiPSの山中より小保方の方が出来ると思ったのだろう。笹井もそう思った。だけどそれがすべて崩れ去って日本人らしい死に方を選んだ。しかし、人が一人一人違うように、細胞レベルも多様性があって、治癒力があるかどうかはやってみなければ分からない。つまりそれは整形外科であり、山中はそこに目を付けた。だから敢えて「初期化=記憶を消す」とは言っていない。それでも生物史において40億年も記憶が消えなかったのだ。

 

もし細胞の記憶を消したら、我々生物は生まれてこなかっただろう。つまり、これは無意識を排除する恐るべき行為であって理屈だけでもSTAP細胞を否定する確実な証拠になるのだ。にもかかわらず、論文も作成データも何一つおかしいとは思っていないし、理研もやっちまった感が強い。だから野依良治センター長も小保方だけに責任をなすりつけた。むしろ、敢えて論文を取り下げるべきだった。もっと早い段階で再検証すれば笹井も自殺せず、10年かけて再テストにより実現不可能となって平和に終わったはず。

 

現代人にとっては今こそ「フィールド・サイエンス」と「実験室」の分け方で両方が公平に見れる生き方が必要なのだ。

 

P.S. DVDまる

 

 

 

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