今度はエッセイ集で、元は「週刊新潮」のグラビアに連載投稿していたもの。第一刷を購入しておいて、こちらも少々、温めておいた。なぜかというと、5月は福岡への帰省で忙しかったし、何分、梅雨時は本を読む気にならない。
● 「スポーツを経て精神力を養い献身的な心を磨く」は真っ赤なウソ
この世は嘘で溢れている、というのは養老孟司の著書にも散々書かれている。スポーツもそのひとつ。なぜなら、最も事件を起こしているのが何を隠そう、あの日本のお家芸である柔道部出身者だから。アイドル殺傷事件や京アニ爆破事件は犯人が柔道部員で、双方とも共通するのは「自分に自信がある」と述べている。そもそも気合いや根性論だけでまともな人間に育つなら苦労はないな。ちなみに言うと、気合いや根性論を振りかざす人間ほど自分が動かず、相手を自分の配下にしてロボットにしたい、という欲求がある。少しぐらい大したことないだろ!と自己正当化するのもそのひとつ(自己愛性パーソナリティ障害のひとつである傲慢症候群)。
● 運動神経とスポーツとの密接的な関係はない
運動神経さえ良ければスポーツは何でもできると思っているだろう。実は違うのである。私はサッカーをやっていたから分かるんだけど、特に足が速いからといってもドリブルが出来なければボールを相手にすんなり取られる。ただ突っ立っているだけの守備ではいくら運動神経が良くても、動かない壁と同じなだけ。ちなみに聞いた話によると、シライグエンで知られる白井健三は体操以外まったくダメなのだそうだ。
● 日本人は親切だという欺瞞
これも養老孟司の著書にも散々書かれている通り。親切なだけなら、アメリカ人の方がよっぽど親切。…だけど、言わないと動いたり共有・共感してくれない。これは人それぞれで意見を持っていて当然だという論理の世界特有のものであろう。私も出張のために行ったシアトルで迷った時にはとても助かった。まあ、イエローモンキーが歩いてきて、イチローを見に来た旅行客か何かかな?とでも思ったんだろうけど。
アメリカの「自由と平等」が噴飯ものであるのはドナルド・トランプが大統領になってからあからさまになってきたし、フランスの「自由・平等・博愛」というトリコロール攻撃も、実は黒人が入植して来て迷惑だと思っているに違いない。あいつらなんで日焼けしてんだ?とさえ思っているんだろう。では日本は差別はないか。そんなはずはない。単眼症は一つ目小僧として、巨頭症はお岩さんとして、それぞれ江戸時代に出て来たし、死者はホトケとして戒名を与えられ、存在を抹消されるのである。あいつら人間じゃねえよってぐらいに。いや、人間ではないと思っているからいちいち名前を変えるんでしょうが。だいたい我々イエローモンキーと韓国人と中国人は近い仲間で、黒人は日本人と思わない。
大阪なおみもサニブラウンも八村塁もかわいそうにな…などと思っていること自体もまた差別なんだろうけど。
● 私ぐらいの世代は左派が多い
私(1982年生まれ)は創価学会などというカルト教団の信者でない限り、中道左派か左派が多い。私より下の世代になると、今度はアベ帝国に託したい人が多い。これは民主主義になったために選択肢が増えて、その選択が自分で出来ない人があまりに多い。要するに、これから若い世代になるほど独裁体制を好む人が増える、ということ。誰かに決めてもらいたいからだ。
でも私ぐらいになると、やはり中道左派が少なくない。韓国は好きか?と問われると「好き」「まあまあ好き」が半数以上を占める。伊藤政則のような60過ぎのオッサンのような人は今度は保守派が多くなる。だからアメリカとイギリスしか見ていない人が少なくない。音楽の趣味でも同じ。だから伊藤政則が70年代ブルース・ハード・ロックのファンであるのは何の不思議もない。
それと同じで私がヨーロッパのメロディ系の音楽を追い求めるのも、それは中道左派や左派の考え方から来ているといっても過言ではない。ドイツもオランダもイタリアも良い音楽を提供しているし、それが分かっていれば90年代サウンドにおいて「メタルはロックが基本」なのではなく「90年代サウンドはパワー・メタルが基本」で、ネオクラやプログレやシンフォや正統派など、多様性のある音楽性であることはカナーリ前から言われている。つまりメロディック・パワー・メタルが聴けるということは、正統派もネオクラもプログレもシンフォも聴けるし、そこからメロデスに行って、さらにメタルコアに行き着く。この音楽の趣味を藤原正彦いわく「太陽族」と言ってバカにしたらしいが、世代が違えば分かるは大ウソ。その世代に生まれて生きてみなければ分かるわけがない。
だいたいウチの両親でさえ新婚旅行がハワイでなんとプロペラ機という恐るべき機体で行った話を聞かされたわけだから、アメリカに行くのにプロペラじゃ落ちること必至じゃねーか!とシャウトしたくなる。私なんて夏休みや冬休みが長く取らなくても良い近場の韓国や台湾や香港だってジャンボジェットで行ったよ。すっげー楽だったな。
● いじめは都市化が産んだ
藤原正彦のように教育で直すことも一理ある。だからこそ『論語と算盤』なんだけど、もともといじめっ子がADHDだったら何の意味もないだろ。むしろ元名大生(タリウム事件)のようにワクワクしてしまうのでは。つまり、行くところまで行ってしまっているのだ。日本終わり。
そうやって捻くれた目で見て香港のデモ隊を応援しているのだ。暴力が良いとは思わない。だけど雨傘運動がんばれー!…などと、つい応援してしまう。この辺が左派ならではの見方なんだな。正義という名の暴力はなぜか許してしまう。保守派は森友・加計問題同様に弱い者いじめが専売特許だが、私はそういうのは許せない。ひとりマスコミ向けに頑張るアグネス・チョウこと周庭。
● 天才でも栄光と挫折の両方を経験している
自称・イケメンで「西の釜本 東の藤原」といえば家族一人知らない者はいない数学者・藤原正彦・元お茶の水女子大学理学部教授(とオマケの妻)。この人の人生も栄光ばかりの栄光ゼミナール・栄光学園ではなく、やはり中学で国立?私立?に通ったのち公立高校を受験し直している。父親は作家・新田次郎のため、お金がなかった。作家は引きこもり状態が少なくない。
言っておくけど、何を持って優秀かって今でも曖昧なんだよね。そもそも偏差値は世界共通ではないし、他人をバカにしたり笑い者にして差別したら一昨年のハーバード大学なんて入学取り消しにしたわけだから、日本は警察に捕まらない限り、その人の本性は表に出ないよね。というか、隠せば本性は消されるわけだし、会社に入ってもお荷物な連中はどこへ行っても少なくない。
学歴社会ならアメリカやイギリスの方がどちfらかというと当てはまるね。なぜなら、日本の大学生って自分で何を勉強するかを決めることは出来ても、卒業論文で何をテーマにするかは分からないんだから。それって、与えられたことは出来ても、与えられないと分からない、という高校生気分のヤツらがいるってことでしょ。下の世代が、というなら私だってそう。なぜなら、最近の18歳~22歳って、どうやって授業を取ればよいかも分からず、ただ黙って座っているだけらしい…。そんなもん、分からなかったら学生課とかに行って職員をこき使って講義の取り方・ゼミの取り方を聞いて来いよ!ってシャウトしたくなるね。私は言われなくても大学探検して、だいたいこういう時はここに聞けばいいんだな、とか、突然、体調不良になった時はここに駆け込めばいいんだな、とか、ほとんど覚えちまったよ。
【ニューソース】



