はじましての方へ✨
こちらの続き
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私たちが愛知に会いに行った
その翌日・・・。
家族が数十分買い物に出かけた後
えっちゃんは静かに息を引き取った・・・。
“人に迷惑かけたくない”
という想いが強かった
えっちゃんらしい最期だったと感じた‥。
会いに行った日・・・。
余命3カ月ないって
聞いていたんだけれど・・・。
実は口には出せなかったけど
もしかしたら、これが最期に
なったしまうかもしれない・・・。
と、感じた私がいた。
亡くなる前日、
母は沖縄から持ってきた三線を弾き
唄いながら、えっちゃんと共に
涙を流してた。
私たちが帰った後
えっちゃんは初めて
”淋しい”
と言って、涙していたそうだ。
これが最期になると
えっちゃんはわかっていたのかもしれない。
何とか笑顔も見れたし
何とか会話もできたのに・・・。
それがその翌日には
天国へ旅立ってしまった・・・。
実感が全くなかったけど
えっちゃんは、私たちが会いに行くのを
待っていてくれてたんだろうなぁ・・・。
人の命は、
本当に儚いものだと感じた。
余命宣告されても、生きる命もある。
余命宣告されずとも、失われる命もある。
生きるって何なんだろう・・・。
えっちゃんの訃報が入って
母は、えっちゃんに会いに
再度、愛知県へ向かった。
えっちゃんの生前の希望で
お通夜も葬儀もせず直葬だった。
この日の朝、神旦那さんと
子ども達をそれぞれ仕事と
学校へ送り出した後
一気にドーーーーんと
体の力が抜けて、体が重くなった。
母が沖縄から
来阪してきてからというもの
母の感情のふり幅に
引っ張られていた私がいたことに気づいた。
母の感情が乱れる度に
”自分は強く、
冷静でしっかりしていなくちゃいけない”
と無意識に自分を戒めていたことに
気付いた。
だから泣けなかった自分がいた。
いや‥
”泣かなかった自分がいた”
これは、幼い時からの癖だった事にも
改めて気づかされた。
気付けたことで、体の力が一気に緩んで
涙が大量に溢れ出した。
えっちゃんのやせ細った姿にも
亡くなったことにも
本当は、ものすごく悲しかった。
けど、我慢していたことに気づいて
そんな自分を赦して
一人、部屋で
わんわん泣いた。
人は無意識に自分に制限してるものがある。
そこに気付いて
どんどん手放していくことは
すごく大切なことだと感じた。
頑張り屋だった、えっちゃんが
天国から
“ジュリ!そんなに頑張らなくても
大丈夫だがねー✨”
って、
明るく笑顔でガハハガハハと笑いながら
言ってくれたような気がした。
天国のえっちゃんへ。
えっちゃんが亡くなって1か月半が
経ちました。
いまだに、本当にえっちゃんが
亡くなった実感がありません。
また、いつものように
元気に電話してきてくれるような
気がしてる私がいます。
我慢強い、えっちゃんだったけど
痛みから解放されたことで
ほっとしてる私もいます。
えっちゃんの体は
今、ここには存在していないけど
えっちゃんが与えてくれた
愛や優しさや温かさや
思い出や元気が‥
確実に私の中に宿っていることを
感じられてる私がいます。
目には見えないけれど
それは決して
なくならないものです。
素晴らしいものを与えてくれたこと
心から感謝しています。
精一杯、明るく
生き切った姿を見せてくれて
ありがとう。
私も一人でも多くの人に
愛を与えられる自分でありたい。
そのためにも
自分らしく、与えていただいている命を
思いきり輝かせて
頂いた役割を全うします。
おじちゃんが棺桶に入れるために
心を込めて作った鶴と
”愛してるぞ”
のメッセージに
えっちゃんと、おじちゃんが
共に歩んできた深い日々と
幸せを感じることができたよ。
えっちゃん、いっぱいいっぱい
ありがとう。
愛を込めて✨
これからも見守っていてね✨
HP
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2022年新作✨
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