といっても時刻表関係だけです①
#今回は(次以降もありか?)「(道内の)一等C寝台」についてです。
・・・その前に
●鉄道省以来の等級は明治30(1897)年、上・中・下等から呼称変更となっていた、1,2,3等で
ありました。
この中で、「3等」寝台車「スハネ30000形」は<1・2等寝台車>にかなり遅れて、昭和5(1930)年に
登場しています。ご存知の方も多いかと思いますが、「同形」は車輌長手方向に直角3段ベッドの
設計としたため、上段寝台が従来の2重屋根では大変窮屈となることから、本邦初の丸屋根車と
なりました。
これで、座席、寝台とも1-3等そろったのですが、戦後も落ち着いてきますと、料金体系が
「3段階」の従来のシステムは次第にメンドーがられるようになってきます。
◆ついに、寝台車の仲間は、
昭和30(1955)年7月1日に一等寝台は廃止され、車輌は二等寝台車に格下げ統合されます。
旧一等寝台の形式称号である「イネ」は、「ロネ」に。
この際、旧イネの車両形式は「40」以上にまとめられます・・・マロネ40、マロネ41など 404040!!
↓さらに下に続きます
***☆編成例:36-10の明星 13レ 東京⇔大阪 🏁1
⑩スハフ⑨スハネ30・・・③スハネ30②マロネ41(開放室のみ)①マロネ40(区分室あり) →大阪
""""""<図ー1:マロネ40と41>🏁2
マロネ40/41は昭和35年1等AB/B寝台となります:本文
2形式とも「東京⇔大阪間寝台専用列車ー隔世の感があります!!」のシンボル的存在で
ありましたが、老朽化、車体重量がかさむなど、戦後特に欠点が目立つようになってきました。
東海道新幹線開通と同時に、一部は山陽道に転出しましたが、マロネ40は昭和40年、
41は42年までに廃車または事業用車輌となりました。
= = = $車重 🏁 参考にしました:Wikipedia
記号 重量 中央値 換算重量(1=10ton)
無 2/3軸車 ・・・ ・・・
コ 22.5t未満 ・・・・ 2.0以下
ホ 22.5-27.5t未満 25t 2.5
ナ 27.5- 32.5t未満 30t 3.0
オ 32.5-37.5t未満 35t 3.5
ス 37.5-42.5t未満 40t 4.0
マ 42.5-47.5t未満 45t 4.5
カ 47.5t以上 ・・・ 5.0 以上
*******🏁 参考にしました!!
🏁1 昭和36年10月改正時刻表を愉しむ 三宅俊彦 氏 監修 洋泉社 2011.9.5.発行
🏁2 昭和の鉄道<30年代> JTBの交通ムック 今田 保 氏 他著 JTBパブリック 2010.11.1.発行
*******
↓上から来ました
このとき二等寝台車のうち、
マロネ40旧一等寝台区分室を二等A寝台、
マロネ41のプルマン式寝台等、旧一等寝台開放室冷房付きを二等B寝台、
マロネ29のツーリスト式寝台等、従前からの二等寝台開放室で非冷房のものを二等C寝台
としました。
***☆この昭和30年のさらに1年後、昭和31年6月から青函連絡船の1等寝台が2等A寝台となり、
「一等車」は東海道の客車特急<つばめ・はと>の最後部につく「展望車:マイテ/スイテ」のみと
なったものの、それもごく短期間で、東海道線全線電化(昭31.11)の4年後である。
◆昭和35年には、客車群も、先の客車特急が電車化され、
本格的に
座席車は「1等ーイ→2等ーロ」、「2等ーロ→そのまま1等「ロ」、
「3等ーハ→2等ーハ」)の二等級制に、
寝台車のグループは、2等寝台はそのまま一等寝台ABCおよびA「個室」の区分は継承されました。
最終的に・・・
◆区分室Aと開放B寝台は
「イネ」から一旦2等に統合(昭和30年)されたときは、「ロネA(区分室)とB(開放室)」を名乗ります。
次に、1等廃止による2等級制実施で、呼称「ロネAB」のまま「1等寝台AB」に返り咲き(昭和35年)。
◆「C寝台」は3等級制時代は二等寝台「ロネ」→「イネ」が「ロネ」に統合されると(昭和30年)
2等C寝台「ロネC」と細分化→昭和35年の2等級制実施では1等C寝台「ロネC」と変化したものの
一貫して呼称は「ロネ」
そして翌36(1961)年に本グループは当初標準とされたツーリスト式と呼ばれた寝台車でありましたが、日中向かい合わせに着席するのが、優等列車に使用する車輌としてふさわしくないと、
戦後、増備グループにも恵まれず、急速に守備範囲をを縮小、廃止となり、事実上開放式の一等寝台はB寝台のみとなります。
***<図ー2:C寝台>🏁3
上から ①マロネ29/②マロネ38/③マロネ30、スロネ30
######🏁:参考にしました!!
🏁3 寝台車(part 2)様、図ー2 と 一部下記の本文
http://www.jnrsite.net/PC/shindai/htm/shindai1_frm.htm
####
①マロネ29:昭和3-16(1928-'41)年まで製造された、日本初の鋼製2等寝台車
「マロネ37300(00-42)+増備車37350(50-98)と37400(93-138)形」を統合し、昭和16年の
称号改正で一旦マロネ37形にまとめられ、
さらに元37300初期車は進駐軍接収・返還後全車廃車、
次の37300後期車は
昭和19年、戦争激化による寝台車使用休止の命で一部「マハ47、後マハ29」、
昭和28年以降まで残った車輌は、「3軸ボギー」の呼称変更で、「マロネ29」となり
「旧・37350」とともに優等列車に使用され昭和38年までに用途廃止となりました。
最後の「旧・37400」は日本初の丸屋根・2等寝台車で昭和8-16年の製造。
先にも書きましたが、日中の座席配置の評判がいまいちで、戦後の追加製造はなく、
最終の本グループも、マロネ37→29と称号変更を受けて、昭和42年までに
全車撤退しております。
②マロネ38形:はもともと「区分室イネ」を持つ形で、2等級制移行時に「A/C寝台」の
資格があったのですが、「亜幹線用」という使用に限定したため、区分室の洗面設備を
撤去、もともと非冷房車でしたので「C寝台」に甘んじてしまいました。
(ですから、「イロネ」格下げ「ロネ」なので当然「ロAC」となるべきところ、「ロC」どまりのため
マロネに続く数字も「40未満」ですー40未満の意味はマロネ40/41図近くの<404040>を
ご覧ください)
しかし線区によって「名士様」が区分室にご乗車になったときなどは、ちゃっかり
A料金を取っていたようです。
③C寝台の中で、この両形式だけが、戦後派です。目的は戦後の混乱期、スリ・置き引きを
防ぐ目的だったということですが、この人数は詰め込みすぎだったのでしょう。
当然「暑苦しい、他のベッドの人間の気配が近すぎて眠れない」等々、評判は
よくありませんでした。
☆例外扱い:軽量客車群の一角、「オロハネ10」の就役当初、非冷房車でしたので
「ロネC+ハネ合造寝台」とされてました。
++++少し疲れましたね・・・
簡単に書きましたけれど、ここまで来るのには、結構時間がかかっているようですよ。
☆第二次世界大戦後、最初に鉄道の3等級を2等級制に切り替えたのは欧州のWWⅡ戦勝国→
米国の順番でしたが、これは、「3等車をつぶす」という考え方でした。
日本も2等級制に統合を考えていましたが、欧米式に1等を残して、3等を潰す・・・これは「根こそぎ
動員(*)」までして戦った二次大戦の傷跡も癒えない再建国家の「フトコロ具合」としては無理な話で
「1等を潰して」庶民寄りの「2・3等をもとにして」1-2等体系を作り直すことになります。
###(*)根こそぎ動員:戦闘員として可能な年齢層(国によって違いますが二次大戦前後では
(16-60/70歳男性)の10%以上が戦死、戦傷、行方不明などで戦力としてカウントされなくなった時
<根こそぎ>の言葉が使われます。
「根こそぎ動員された」と伝えられている、大日本帝国軍隊でさえ、1945.8.15現在で、損耗率9.1%と
記録されています。あれほどボロボロになるまで戦って9%ですので、10%はよほどのこと思います。
(ってーことは、ナニカイ?ちょこっとなら、本土決戦もできたってーことかい??--スイマセン、
ミナさん、あとでしめておきますから・・・)
#######
話元に戻します。
☆座席の2等級制で一番問題になったことは、
アメリカが中心となって組織ができていた”General Head Quarters[GHQ]"=進駐軍総司令部の
御威光で、「二等車用リクライニング・シート付回転いす」を並べた「ロ車」を作りなさいという宿題
ありました。
これには、「新制国鉄公社」もびっくり。「そんな<自在座席・・・死語ですね~>・・・は展望車しか
使っていないので、ぜひ「一等<イ>」等級とさせてくれ(この時はまだ3等級制)、と修正を求めますが、GHQはとりあうわけもなく結局、リクライニング座席の「ロ」、戦前派の「ロ」(転換クロスまたは
ワイドピッチの固定クロス)が残りますが、やはり両者のアメニティで差はいかんともしがたく、
苦肉の策として、前者を「特別2等車:特ロ」、後者を「並ロ」とよび、さらに、「特ロ」を幹線優等列車の
座席指定に充てるなど格差をつけました。当然「ロ」車には2段階の料金体系があったのです。
これには、欧州には1800年代から、開放客室の座席車は「コーチ」とよばれるリクライニング・シート付
座席車と固定座席車の2本立てだったと伝えられます。
***<図ー3>昭和33(1958)年当時の「東京⇔熊本急行・阿蘇」の編成 🏁 4
スロ51はリクライニング座席の「特ロ」、丸印は指定席車
オロ40は転換クロスの「並ロ」で自由席車 🏁 5
オロ35は昭和9-16年製の旧称スロ30850形で、昭和34-37年に
電気暖房設備を搭載、スロ43となったが、全車昭和42(1967)年までに廃車。
***参考にしました!!🏁
🏁 4 主要客車列車編成表様(旧・ARC資料館様)
http://cyuouline.la.coocan.jp/page336.html
🏁 5 鉄道ピクトリアル 特集 グリー車 「ロ」 国鉄に在籍した客車気動車の2等車
岡田誠一 氏 著Vol.43 No9,879, pp49-65,2013
******
このコーチcoachでさえ、普通座席車の範囲で、欧州の長い鉄道文化を感じさせられます。
これらはアメリカの鐵道界にも引き継がれましたので、リクライニング座席車を日本人が高い位置で
眺めるのを不思議に思ったことでしょう。
「並ロ」は昭和40-42年に全車営業から撤退、、「特ロ」の「特」もとれて料金も一本化になります。
ま、それはともかく、こんどは、進駐軍が、リクライニングシート車には冷房をつけろと言い始めて、
再度国鉄当局を慌てさせます。要求の実現??は最終的に
「リクライニングシートにして、かつ、冷房装置をつけて」も「客車重量が変わらないよう」という
ゴムタイなリクエストも、なんとか「小糸製作所」さんの工夫で座席重量を抑えることで、
当初の目的を達成。
これには、国鉄の
後々、「スロ54」などの冷房化にみられるような、「台車を軽量なものと交換」によって、
車体重量の増加抑制に貢献したことも大きかったと思われます。🏁 5
しかし、さすがに、「軽量ナロ10」を冷房化したときは、車体重量の増加により等級変更になりました
「ナロ10→オロ11」。
また行き場所がなくなってしまった展望車の代わりとして
「特別料金+の1等車=パーラーカー」と呼ばれる「デカ窓;西鉄8000先頭車輌に雰囲気似てます?)、
片側1列、フルリクライニング、360度回転シート」を配した車輌を組み込みました、
***<時刻表ー1>東海道・山陽本線、昭和39.10.1. 🏁 6
🏁 6 はじめ東海道に使用された電車特急は、東海道新幹線開通後、山陽本線に転用。
いずれも新大阪発着で「つばめ:門司」「はと:熊本」「しおじ:下関」「うずしお:宇野」征となって、
「パーラ^カー」を連結。
時刻表のマークは「展」。
最短距離を走る「うずしお」の
「新大阪ー宇野間:2等特急料金/\600,1等/1320,パーラーカー/\1650
一番遠距離、博多までは
2等/\800、1等/\1760/パーラーカー/\1650
※1等、パーラーカー料金は交通税10%が入っています。パーラーカー料金は
1等料金に上乗せで乗車できました。一律であるところがせめてものお情け?
新大阪から博多までパーラーカーに乗ると
運賃\1270+一等\1760+パーラーカー\1650=\4680
国鉄初乗り運賃が10円、大学で初任給が\23000程度🏁 7 のころです。
###参考にしました !! 🏁
🏁 6 時刻表完全復刻版 1964年10月号 久野知美 氏ほか監修 JTBのMOOK JTBパブリッシング
2010.10.1.発行
🏁 7 明治 ~平成値段史 様 「2、給料、労賃」
http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J077.htm#E02
####
さてさて、やっと本番ーいつもの・・・前振り長くて、本編チョー短い・・・パターンか?
●まず、北海道の夜行列車(🏁 4 )の時刻表(39.10 🏁 6)をご覧いただきます
◆<時刻表ー2A>39,10.時代の函館線最終ページをご提示いたします。
<時刻表ー2B>時刻表ー2A赤枠の拡大であります。
一等寝台車を確認していきます。
「根室線釧路行]急行「まりも」はB寝台
「石北線網走行準急「石北」<北見網走間普通列車>」はB寝台
[宗谷線稚内行]準急「利尻」は「一等C寝台」とありますが、どんな車輌を
使ったのか?
この他の夜行優等列車に準急たるまえ(函館ー函館・室蘭・千歳線経由ー札幌)がありますが
デカ矢印:前半省略の意味です。
それでは各列車の寝台の使用車輌です
***<表ー1>道内夜行優等列車の寝台車連結状況:🏁 4
◆「マロネロ38」という車輌がすべての夜行優等列車で使用されていたことがわかりました。
◆「マロネロ」は「1等寝台+1等座席」合造車ですが、39.10.で使われていたのは「利尻」だけ。
よって、<マロネ>の部分は「C寝台でした。
◆「石北」「たるまえ」は「39.10..」改正から「軽量10系オロハネ」が使われ始めたばかりで、
「利尻」ちょっと遅れを取っただけでした。1年半後に10系寝台車が充当されていました。
下にとびまーーーーーす
###興味本位の付録 🏁 4
☆「たるまえ」の出自は変わっていますので課kにまとめました。
#####<図ー4>マロネロ38はこんな車 🏁3、8
●最初は平面図から行きますか? 🏁 8
2等寝台2等車で、昭11-14(1936~ '39)年に35輌製造されました。丸屋根形。
室内はマロネ37(改番でマロネ29となります、図ー2ご参照ください)の開放式長手寝台((2名x6)と
オロ35形8(急行・阿蘇編成[図ー3]とオロ35の説明文をご参照ください)の転換クロスシート式
の2等室(2名x16)を併せた構造になっています。🏁 3
なんで?
座席定員が寝台定員の2.5倍もあるの?
?????
あくまで想像ー多分当たっていると思いますが、
「利尻」の場合、全区間のって、運賃\950、1等準急¥220、C寝台下段¥1430+で
座席 vx 寝台料金を比較すると220+950:1430+950=1:1.9
札幌・稚内間の半分ほどの距離、運賃が¥500、準急1等と C寝台は上に同じ
座席 vx 寝台料金を比較すると 220+500;1430+500=1:2.9
☆1,9と2.9の平均値2.4を少し近距離客多数利用・・・に修正。。。2.6に。。。「遊びすぎですか?」
***参考にしました!!🏁
🏁 8 知られざる連合軍専用客車の全貌 中村光司 氏 著JTBパブリッシング 2015.4.1.発行
*****マロベロ38のオハナシ:続きー参考にしました!!! 🏁 3
製造当初はマロネロ37600~37634という車号で、昭和16(1941)年にマロネロ37 1ー35に改番。
昭和19年、
「寝台車使用停止令」で、一部が戦時改造により3等車格下げとなりました。
このグループのその後
戦災による廃車1輌以外進駐軍接収。
接収中の改造:マロネ37形(マロネ37 140)、スイ37形(後のマイ37形)へ各1、
マロ37形(後のマロ38形)x2
接収解除後
1953(昭和28)年の3軸ボギー車の称号改正のときに欠番を整理
→マロネロ38形(マロネロ38 1~6,9~13,15,16,21,22)に改番された。
1956(昭和31)年には マロネ37形(当時はマロネ29形に改番)に改造されていた1両を復元改造
マロネロ38 14に編入した。
定着と終焉
マロネロ38 21, 22は二重窓を装備した北海道向けの車輌。
本系は全国的に亜幹線の急行等で使用されたものの、
1966(昭和41)年までに全車廃車となり形式消滅となりました(「並ロ」の整理時期に一致)。
今回のオハナシはここでおしまいです。
「利尻」だけなぜ「C寝台」だったのか疑問に思ってはじ目ました。
乗車時間が短い?樺太までの戦前のメインルートを絶たれたので乗客が極端に減った?
どれも違うようでした・・・
そのうち、いつものくせで、あ、これも書かないと説明不足になると・・・
中心が、ボケボケに・・・
今回も沢山の方々のお作・レポート参考にさせていただきました。
***最後にもう一度ありがとうございました
🏁 参考にしました!!***
Wikipedia 客車車体重量のカタカナ表記
🏁1 昭和36年10月改正時刻表を愉しむ 三宅俊彦 氏 監修 洋泉社 2011.9.5.発行
🏁2 昭和の鉄道<30年代> JTBの交通ムック 今田 保 氏 他著 JTBパブリック 2010.11.1.発行
🏁3 寝台車(part 2)様、図ー2 と 一部下記の本文
http://www.jnrsite.net/PC/shindai/htm/shindai1_frm.htm
🏁 4 主要客車列車編成表様(旧・ARC資料館様)
http://cyuouline.la.coocan.jp/page336.html
🏁 5 鉄道ピクトリアル 特集 グリー車 「ロ」 国鉄に在籍した客車気動車の2等車
岡田誠一 氏 著Vol.43 No9,879, pp49-65,2013
🏁 6 時刻表完全復刻版 1964年10月号 久野知美 氏ほか監修 JTBのMOOK JTBパブリッシング
2010.10.1.発行
🏁 7 明治 ~平成値段史 様 「2、給料、労賃」
http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J077.htm#E02
🏁 8 知られざる連合軍専用客車の全貌 中村光司 氏 著JTBパブリッシング 2015.4.1.発行
*****
そして最後までお付き合いくださった方々、深謝申し上げます
近文ー帝国陸軍第七師団・補遺:・・・といっても時刻表関係だけです①・・・とはいえないよね?
まあ、とにかく、了
カラスのクンセイ 拝







