血の気の多い人たちと気候・・・偶然とは思いますが(1)日清日露戦役まで | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

最近、ちょっと、気になることがありまして・・・

ーーードーセ、あてずっぽだろ?!

ハイ、それに、かなり近いのですが、これが皆様のきょーみを少しでもくすぐれば大成功と

考えております。

 

以前、私は、世に「低気圧病、台風病・・・気圧の谷が近づくと膝が痛くなるなど・・」は

科学的根拠があることをご紹介させていただきましたが・・・

戦争と申しますか、そこまでいかなくとも国境付近のちょっかいの出し合いなどは・・・

気候の不安定が、グンタイのお偉い様のご気分をなんとなくイライラさせて始まるのでは・・・?

・・・「隣国をたたいて少しすっきりしてみっかア~」ナド・・・

気候の変化に関係あり?とモーソーしてみたわけであります・・・

              (すっこし、いーすぎでないかい??)
 

※喘息は気圧低下が犯人でした。

***<図ー1>

また、こいつの最大の欠点は、いくら札幌地方の気象を検証してところで、、国民全体の戦意に

つながらないということでありましょうか?

 

ただ気候から、将兵の士気を推測する可能性があるとすれば、日露戦争の旅順陥落のとどめを

刺したのが「旭川・第7師団」でありますので、それだけは、「将兵の士気と気候の関係」をつかめる

かもしれません。旅順第3次総攻撃は、陸軍第3軍(1,9,11の3個師団)をもって、1904年

11月26日開始されました。

しかし、いずれもうまくいかず、一部が27日より、27聯隊が投入されました(師団全体への出撃

下命は29日午前4時)。旅順要塞ステッセル司令官の降伏は翌年元旦でありました。

 

ところで、この師団、最後の最後まで半島に呼び寄せられることなく10月中に大阪に一旦集合、

11月10日ようやく半島に出発いたします(大本営ではただただ死傷者が増えるだけの戦場に

 簡単に送り出すのはあまりにも忍びない・・・と考えていたとあります)。

当時山陽線は、三田尻(現・防府)までの開通でありました。

******************:<陸軍第7師団戦時編成[屯田兵を改編]、乙師団>

●歩兵第13旅団:25,26歩兵聯隊

●歩兵第14旅団:27,28歩兵聯隊

  ■1個機関銃中隊(機関銃x16)

●騎兵第7聯隊

●工兵第7大隊のち聯隊

●師団輜重→輜重第7大隊のち聯隊

 

### 上の編成を図式化

 

********************************

そんだば、大阪に行く前後の気候に何か特徴的なことがないか?みてみればいいんでないかい?

とはいえ・・・旭川はもう雪が降ってもおかしくない季節です。

そんな気温の変化を「人間の気持ちまでも好戦的にかえるか?」どうかを証明するのは

至難の業でしょう。

 

ましてや、大本営がどー考えよーとも、極寒の地・旭川の将兵が気候がまるっきり違う大阪に

長期留め置かれたとあっては、面白いはずはなかろーとゆーもの・・・

まさか普段食べたことのないものに、面白がってたかるほど気分的余裕はありますまい・・・

 

「ワ~い、たこやきぃー、たこばくだーん(このころからあったかどーか私知りませんが?」

 

 

血の気の多い人たちと気候・・・偶然とは思いますが(1)日清日露戦役まで    了

 

 例によって、「暇つぶしにモーソー」と「思い付き」で書きました

 この方面にご興味がない方にはまるっきりおもろくないと思います。

 でも、私自身が気候に踊らされているのか、時々こんな文章をムショーに書きたくなります。

 

 もー、自分でもびょーきと分かっていて止まりません。

 最後までお付き合いくださった方、ありがとうございます。そして、ご容赦ください

 

 え?あ??(1)ですか???気が向いたら続編を書くとユーほどの意味です。