「袴腰屋根下見板張り」の駅 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

●袴腰屋根の形状

については、切妻屋根の妻側に屋根上部から途中まで寄棟屋根のように屋根を架けたものです。

腰屋根は別名「隅切り」・「半切妻」・「ドイツ屋根」とも呼ばれております。

◎袴腰屋根の意義は?
①建築基準法上高さ斜線制限に掛かるような場合、先端妻の高さを低く抑える為

   確かに上のような場合はあったのかもしれません・・・しかし次の・・・、

  「両隣の日照権を得るために用いた例があった」と書いた文献がありましたが、

  大正から昭和のごく初期に、ほとんどが低層住宅のご時世のはず・・・

  そんな深刻な話が実際起こるのでしょーか?

  うそくさいなーと思いました。

勿論デザイン的にも用いられるケースもあります:どーも駅舎の場合はこちらの目的が

  メインのような気がいたします

 

下見板張りの形状

読んで火に入る・・・ではなく・・・言葉が形状そのものですので、ご説明することもなかろうかと

思われますが・・・ただ、分布上は、北に行くほど増えるようなのです。

◎下見板張りの意義目的は?

①少し重ねて組み立てていく建て方でので、保温性を考えてのことでしょうか?

  ですから北ほど数が多いということかと思いますが、建材費はかさみます。

  ここで疑問なのが、基本は瓦拭きですから、「北に多い」と一口に申しましても、

  北限があるはずとおもいますし、同じ県内でも多雪地域での建設は無理と考えます。

  屋根の積雪は1m積もると1平方mあたり0.5tonになります

  例えば建坪30坪≒100㎡に1m積雪あらば50tonにもなります。

②横から見ますと「稲妻型」です。出っ張った部分から水が滴って、平面に張っていくより

  水を木材の中に侵入させづらいといわれています。

  さらに、「カキシブ(#)」などの「撥水剤」を外張りに吹き付け防水しますとカンペキ!!

  皆様ご存じの?え・・・ご存じぢゃない?!?・・・ま、そーゆーことで・・・「番傘」は紙を貼っただけなのに、

  雨水がしみてこない、それにあの「へんてこなベージュ系」の色合い、アレナニ?

  あれこそが日本が誇る撥水剤・防腐剤の一つ「カキシブ」の色なのです。

③また、一説に雨などで壁が腐食した場合、腐食の範囲が広ければ、全面的に改修をする必要性も

  出てきましょー。しかし、合わせ材の、下見板張りですと、腐食した部分+安全圏分を考え、被害を受けた

  広さより少しだけ大きく交換するだけで改修完了!!と補修を簡単・安価にならしめたのではないか?!

  と説いている研究グループもあるようです。

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「カキシブ(#)」

渋柿の未熟果を擦り潰して搾汁して、発酵させ濾過したものを「柿渋(かきしぶ)」と言います。

カキシブ液の中に含まれる「柿タンニン」には防水、防腐、防虫効果があり、塗布することで効果を発揮します。

カキシブ効果は江戸時代以前から知られていてそのまま木に塗布したり、ベンガラ(弁柄:赤色顔料の一種)

と混ぜ合わせて塗料として使われてきました。美しい色を出すためと、防虫効果を期待して家具などに

塗られるのが一般的でしたが、 漆塗りの製作過程でも使用され、漆を塗る前に渋を塗り、

高価な漆の吸い込みを少なくするという使い方もされてきました。

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では、以下に駅写真の実例をお示しいたします。駅名行最後の年号は駅舎竣工年です。

 

●えちぜん鉄道:永平寺口→東古市→永平寺口(旧駅舎).1914(大正3)年  

撮影日:昭和58(1983)年4月23日、キャノン自動焦点カメラ(以下同じ)

 2014年に新駅舎と交代。

※袴腰ではないが、寄棟?が袴折につながる前の意匠のような気がしてなりません。

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えちぜん鉄道:松岡、1914(大正3)年

撮影日:昭和58(1983)年4月23日

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●南薩鉄道→鹿児島交通鉄道線:伊作、大正3(1914)年

 

 左キハ102+104,右のキハ302車内から「伊作構内マルゴト」撮影

 私鉄駅の規模として、木造駅舎の中では国内最大級であることは

 間違いありません(おそらく国鉄では折尾旧駅クラス、私鉄では雄勝線・西馬音内クラス)。

その両端の屋根がスコティシュ・フォールドのように多少傾いていても誰も

あまり関心を向けないと思います。

参考文献<■>

鹿児島交通南薩線ー南薩鉄道顛末記(下) 「下巻の始めに」 湯口 徹 氏 1974.7.11

                 RM Library 109 NEKO Publishing

===$$オマケ画像:スコティッシュ・フォールド$$===

耳が折れ曲がっていることが特徴のこの子は

突然変異の神の落とし子です。

名前が示すとおり1960年代スコットランドで発見(とゆーのでしょーか?)

されました。「フォールド」は折り曲げる、折り重なる、の意であります。

伊作駅の長大な母屋の両端の袴腰の折れ曲がり具合は

かくもこの子猫程度の規模の傾斜で、駅建築に興味がある方が、

近づいてやっとそれとわかる程度であります。
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高松琴平参宮電鉄:滝宮 大正15(1926)年

 

  昭和53(1978)年3月18日撮影 

  この写真のみ、キャノネットQL17,f 11,ss 1/250sec,ASA 100

  ☆「近代化産業遺産」認定

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●近江鉄道本線:鳥居本  昭和6(1931)年

昭和58(1983)年4月23日撮影

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東北本線:黒田原、大正9(1920)年、路線付け替えで現在地に移転

              昭和15(1940)年、現在の駅舎となる

写真は「歩王様、2016.11.4」のレポート

大正9年まで存在した東北本線旧線時代の黒田原駅跡に行ってみた

から無断拝借させていただいたものであります。

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こーして、並べてみますと

「袴腰屋根下見板張り」の駅は「流行」とでもモーすのですか??

どこからともなくやってきて、突然消えてしまいます・・・

松岡、伊作、滝宮、鳥居本・・・その地区では有力私鉄だけにあって、大手13社(当時)にはありません。

黒田原は別格として昭和6年が最後の竣工と判断しました。

誰かが売り込みに来たのでしょうか??

大正5年から第一次世界大戦の戦後の物資不足(輸出超過)に入ります・・・

                            国内では売り込みがうまくいかなくなった??

(建築様式としては高価な方に入ると思います)。

昭和6年、「売り込みにきた商売人 あるいは 縁者」は、もう一勝負にでます・・・

満州事変が始まったので、景気が良くなる!!

鉄道会社が自分たちのデザインを買ってくれるかもしれない?!!

・・・ところが、時代は「ギャンブレル屋根」の時代になっていてサッパリ売れなかった・・・

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左:ギャンブレル屋根

右:マンサード(マンサール)屋根

本邦では非常に混同例が多いようです

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■■ギャンブレル屋根実例

小田急五大停車場(すべて昭和2年開業)

・稲田登戸→昭和30(1955)年、向ケ丘遊園に改称

・新原町田→昭和51年、町田に改称

・厚木

・大秦野→昭和62年、秦野に改称

・新松田

■上毛電鉄・西桐生駅,昭和3(1928)年開業

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地方にまでギャンブレル様式に進出されますと、建材重量が重い「袴腰屋根下見板張り」様式は運送費で、

とても不利です。仮に同じ値段でできたとしても、低廉で建築可能なギャンブレル様式などと比べ

小振りにならざるを得ません。

瓦のみならず壁面も瓦重量に耐えるだけの頑丈な建材が要求され、ほとんどの建材が高価に

なりがちで、運送費もかさみ、遠方の地方ほど、「袴腰屋根下見板張り」様式に勝ち目は

なくなっていったと思います。

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■■「袴腰屋根下見板張り」様式の駅を年号順に並べなおしてみました

大正3年:松岡 竣工当時は「京都電燈」

       伊作 昭和39年、三州自動車と合併するまでは「南薩鉄道」<文献同じ■>

          「沿革」高井 薫平、田尻 弘行 氏 共著

□大正3-7年、第一次世界大戦

大正15年:滝宮→琴平電鉄創業時、大正15年「滝宮ー栗林公園間」の駅舎を利用。昭18から現社名

□昭和4年、世界恐慌

□昭和6年、満洲事変

昭和6年:鳥居本→当初から近江鉄道、

            本線の開通は以下の通りで、米原ー(昭6)-彦根ー(明31)ー八日市ー(明33)ー貴生川

            鳥居本は米原ー彦根間の中にあって、本線上の駅としては、比較的新しく開業した駅です

□昭和14年、第二次世界大戦

→□昭和16年、日本、大平洋戦争に参戦

   「帝国は、本日(12/8)未明、、太平洋上にて、鬼畜米英に対し戦闘態勢に入れり・・・(ラジオ放送)」

   ・・・当時のメディアは「日本が米英に宣戦布告した」とか、「日本がどこぞの国からセンセンフコクを

       受けた」と、昭和20年迄、ただの一度も放送したことはなかったらしいです・・・・・

。。。。。。・

昭和15年:黒田原 鉄道省

   実はまだまだあったに違いありません・・・

<参考文献> 

Rail No.17 京福電車の歴史と現況-越前本線の沿革と特色 pp49-51 中田 安治 氏著 

       昭和61(1986)年2月28日、プレス アイゼンバーン

鉄道ピクトリアル 1989 臨時増刊 3 <特集>九州・四国・北海道のローカル私鉄 Vol.35 No.3 通巻 No.509

日本鉄道旅行地図帳 8号 関西1 今尾恵介 氏監修、新潮ムック、新潮社 平成20年12月18日

 

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☆最後になりますが・・・鉄道利用者の「駅構内と外部」の動線が・・・!!

  駅舎妻面から入る型:松岡、滝宮、黒田原・・・A

  壁面から入る型:伊作、鳥居本・・・B

「B」型であれば、「A」型に比べ、客室スペースと駅務室を両方大きくとれて、

余裕の設計か?と思っておりましたが、松岡駅に見るよう、駅舎中ほどで、90度動線を

曲げると、その奥が全部駅務関係に使えますので、こちらが、乗降客・駅務スペースがせまいとは

言いきれないと思われます。

それよりも・・・

妻面に出入りをつけるとファサード、社紋などつけねばならず、建物の長軸にあたる方向からの

「トップライト」は「出入り」と反対側だけつけるやり方であれば、簡単にできそうですが、出入りを壁面に

着けると、トップライトは両側の壁面全部を使って入れられますので、駅舎の中での採光は片面だけから

トップライトを取れない?「B型」より工夫しやすくなるように思いました。

 

「袴腰屋根下見板張り」の駅   了

 

例によって、ヒトサマの記事からヒントを得て、好きなことだけ書いた、イーカゲンな文章です。

最後までお読みいただいた方(あきれておいでにならないと思いますが)から、

チラ見の方まで深く御礼申し上げます。

 

「歩王様」

いつもお世話になっております。

ありがとうございます。

 

 カラスのクンセイ 拝