アラアラ・・・もー6日も経っていましたか・・・
折角張り切っておりましたので、年寄りのワガママとご容赦頂き、旧称・南弘前駅の様子を表面だけでも
書かせてくださいな。
●ED33 3の件
私が、元々弘南鉄道を見に行こうと思い立ったのは、弘南の貨物輸送が昭和59(1984)年度中?に終了、
主力牽引機のED33は、当時でもかなりの御高齢であらせられたので(大正12,1923,年新製)、
貨物輸送終了時点で解体されるかもしれない(昭和59年で61歳)、という噂でありました。
過去に、私は地元・札幌でも、定山渓鉄道が廃線になった時(昭和44,1969,年)、長野電鉄に旅立ちました、
ミニEF58ともいうべきED5000(200kwx4)のラスト運転を見損なったという大失態を演じておりました。
そこで!!!今度こそELのラストラン、特に「ハクライモノ」でありますED33の最後の雄姿をカメラに
収めたい!!この一心で、昭和58年4月1日、弘前に赴いたのでありました。
当時、道内には函館地区に「日本セメント専用線」という電化私鉄がありましたが、旅客車がなく、
路線も10kmに満たない線区は・・・片道273km-3.5時間も費やしていくには魅力が少し足りませんでした
(この線も昭和62,1987,年廃止となってしまいましたが)。
以下、<歩王様>の綿密な文章+鋭いカメラアングルの写真の下記レポートと比べながら読み進めて
いただきますと、多少昔との比較がわかりやすくなるかもしれません
【まったり駅探訪】弘南鉄道弘南線・弘前駅に行ってきました 2016.10.3
【まったり駅探訪】弘南鉄道弘南線・弘前東高前駅に行ってきました 2016.10.11
始発の「弘南線の弘前駅」は、広くは見えましたが、実際には国鉄の敷地に挟まれて、結局のところ
「島式1面2線」ですが、片方は「欠き取り」ホームでありました。。
さらに驚かされましたのが、当時「南弘前」を名乗っておりました「現・東高前駅」が堂々たるヤードを
持ちながら、ホームを挟んで、旅客上下本線、貨物上下本線という「役割別並列配線」だったそうで、
列車の行き違いは旅客同士はできないとのことでした。
ですから、現在、棒線配線になっておりますが、さほどダイヤに窮屈さがないのは交換駅が当時と
変化がないせいなのでしょうか。
**********<図ー1>弘南線路線図****
####[参考図書:<特集>東北地方のローカル私鉄 時増刊号 3 1987
鉄道ピクトリアル Vol.37 No.3 通巻No.477
東北地方のローカル私鉄 現況2 今井 琢磨 氏著 pp113-122
南弘前は、上に書きました通り、旅客同士の列車交換はできません。
通常は館田タテダで行われ、朝夕・イベント時のみ手前の新里ニサトでも行われていました。
また当時は運動公園前駅は、降雪期以外の季節駅でした。
**************
ED33 3の常駐駅は南弘前で、機関車を磨いておられた職員さんに「解体の話」を伺うと、
「貨物なぐなるのはほんどだよ。え?こいつばらすって??あんだ、そのはなす、どっがら聞いたね?
ジョーダン言わねーでけれ。しばらくは、除雪用に使うってこったよ。」
まぁ、それでも怒らないで説明してくださったのは、この方の性格だったのでしょうか?
実際、現在も除雪用として稼働中ですとか・・・御年104歳!!
◎ED33 3御略歴
・武蔵野鉄道(現・西武池袋線)が、大正12(1923)年11月、アメリカ・ウェスティングハウス・エレクトリック
(WH)社より3輌のELを輸入、「デキカ[デンキキカンシャ]11-13]と命名、貨物輸送に就役させました。
整備重量33トン。総出力373kw(93.25x4)、定格速度29.8km/hr。
・昭和20(1945)年、武蔵野鉄道、旧・西武鉄道が合併、10形11-13へ、さらに後年11形11-13へと改番。
・戦後になりますと、西武鉄道に強力ELが入ってまいります(E41-71)。
・結局これら新興勢力には太刀打ちできず、余剰機となって、昭和36(1961)年8月3日、
弘前にやってまいりました。西武に残った僚機にはE11(11,12)が与えられました。
*****<下手の横好きぎゃらりー>*****ED33 3は↓こういった大型機に追い出されたわけです
E51(52) 静態保存、横瀬車輌基地
ブラウン・ボベリ・カンパニ(BBC,スイス)鉄道省1020形
→ED121,122→昭和25年西武に譲渡、51,52号→昭和36年E51,52
水彩色鉛筆、ぺんてる修正液、STAEDTLER鉛筆(2H,F,2B)
毎度ヘタクソでスイマセン・・・
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◆西武鉄道に戦後入線したELを下記にお示しします。
E41は経緯が複雑なので少し詳しく書きましたが、本段落は直接本編とは関係ありませんので
簡単に書くにとどめました。ご容赦ください
◇<表ー1>西武鉄道に戦後入線の主力EL(E851は別格なのであえて除きました)
############
####[参考図書:<特集>西武鉄道 臨時増刊号 5 1992
鉄道ピクトリアル Vol.42 No.5 通巻No.560
西武鉄道の電気機関車 3 廃車機編 杉田 肇 氏著 pp239-249 ###
●訪問時・南弘前駅→「現・弘前東高校前駅」の件
本来ですと、駅舎のご紹介の場合
(駅舎ロケーション<路線図含む>→駅舎外観:これが逆順のこともありますね)→同内装・レイアウト
(オプション:トイレ)→構内風景・・・などとなるわけですが、ここまで記事を進めてきて、肝心のED33 3には
御登場願っておりません。
そこで異例ではありますが、いきなり、構内配線と左隅にいじけて映っておいでのED33 3から
ご案内申し上げます。
なお、ED33 3のクリアな画像をお求めの方は下記をご覧ください。
Wikipedia 武蔵野鉄道 デキカ10形電気機関車
***<写真ー1>南弘前駅構内、奥が弘前方***
撮影日、昭和58(1983)年4月1日、自動焦点カメラ(キャノン)<写真ー2>も同じ条件です
****************************
はりきって出かけて行った割には、「主人公・ED33 3」は左の片隅に撃つているだけです。
除雪用にしばらく使用される、と伺い撮影意欲がそがれたのかもしれません?
この写真と歩王様の9,10枚目のお写真と比べるのは少し無理がありそうです。
せめて、<写真ー1>の右側をカットして駅舎が手前にみえ、弘前方に連なる倉庫群が映っている
<写真ー1’>か、私の訪問時の駅舎を映した<写真ー2>を御覧いただきますと、
倉庫群がホームの中心に来るように建築されており、駅舎(ピンク色の建物)は倉庫群の端に追いやられて
ホームから離れたところに建っていることが実感していただけると思います。
歩王様の3枚目のお写真からも、窺いしれましょうか?
この情景から、倉庫群が整理されてしまいますと、
歩王様のお写真の説明文
14枚目
「その奥には廃倉庫や空き地、などなど。
今でこそ通学客で賑わう弘前東高前駅ですけど、
弘南線が貨物駅業していた昭和59年まで広大な貨物拠点があったのですよ」
15枚目
「米どころ弘前は貨物の取り扱い量が大きく、弘南線も貨物輸送が盛んでしたが、
国鉄駅の一端にホームがある弘前駅では貨物列車の併合が出来ず、
館田駅や平賀駅、田舎館駅で積み込みを終えた貨車は
ここ組成されてたのではないかと。
貨物列車は弘前駅のホームに進入すると機関車を付け替えて、
秋田駅寄りにある渡り線を通過して国鉄線に乗り入れしていたようですね。
弘前東高前駅の駅舎とホームが離れてるのにはそんな理由があったのか」
とピッタンコの推理となります。
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***<写真ー1’>写真ー1の左半分をちょびっと拡大***
駅舎は明らかにホーム延長から「館田側に外れて」建っているのがお分かりいただけると思います。
当駅のレイアウトから、かつての南弘前時代の一番の主役は「駅舎の弘前方の倉庫群を使ってくださる方々」であり「貨物輸送であること」を浮き彫りにします。
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<写真ー2>当時の駅舎
・遠方に見える、館田方の木造倉庫群(貨物輸送時に大活躍だったのでしょうか?)は
いまはすっかりなくなっています。
***<わかりづらい「せつめー図」>******
鉄道ピクトリアルの正確さの足下にも及びませんが、駅舎の並び、構内配線の変化はこういった
ところでしょうか?
<フロク>
武蔵野鉄道が発注した「デキカ3台」。大正12年11月就役。
この年の9月1日関東大震災が起こっています。
金を払ったから現物が来たのでしょうけれど、自社の設備に少なからず被害が出たと思いますし、郊外に新たな居住地を求めて転居した世帯も数知れずいたと聞いております。
いつ果てるとも知らぬラッシュ・・・
そういった中での不慣れな電気運転の習熟。
下手なスポーツ漫画よりよほど根性が入っていると思いませんか?
「旧姓・南弘前駅」:コメントに代えてを書こうと思っていたら・・・ 了
例によって、他人様のレポートからネタを思いつき
好き放題書きました。
特に「歩王様」御不快の点がございましたら
即ご指摘ください。
また、「ここはそーゆー意味ぢゃなーい」といった誤解があればすぐさま訂正いたします。
また、最後までお読みいただいた皆様、いつも通り深謝申し上げます。
カラスのクンセイ 拝








