近鉄雑感…参宮急行電鉄2200のフロク① | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

前回まで
「北海道新幹線で木古内町が<ストロー現象>をふせぐことができるか?」といった主題で

記事を書いてきたつもりが、いつのまにやら、参宮急行の話に重点が移ってしまい、気が付けば、

「木古内町」はどこへやら・・・

どーせここまで来たなら「近鉄話」一回分まとめて記事を書くことにしましたので
よろしくおつきあいください。
ただし、話題は、あっちへいったり、こっちへ来たりと、まとまりのないものとなると思います。

◎1.景気低迷し、大阪電気軌道(大軌、近鉄の祖父に当たる方)が取った妙手とは?

      昭和4(1929)年頃までのオハナシ
 このお話はドコカでしてあるはずですが、見つけられられませんでしたので再掲いたします。

 
大阪を起点として生駒山系を越え、このまま伊勢平野まで快進撃するかに見えた「大軌」で

 ありましたが、東進の速度が速すぎるあまりの投資過剰、さらに、折からの世界恐慌

 [昭和4(1929)年]が重なり、手持ちのお金がなくなってしまいました。
 「お伊勢さん」を目指す路線も「櫻井」で止まったままであります。
 ・・・ウ~ん、困ったネ・・・そこに登場するのが「大和鉄道」さん。<櫻井ー名張>間の免許をご持参し、

 その上(宇治)山田までの免許を出願中だとゆーではありませんか!!

 なんと、「お伊勢さん」のご加護か?昭和2(1927)年、めでたく免許が下り、櫻井より先の山田に至るルートは、

 同じ年の昭和2年、大軌がさっそく100%出資の参宮急行を設立、鉄路建設は参急に任せてしまいます。
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<図ー1>伊賀上野ー伊賀神戸ー名張 / 西名張
 
 
ー| |ー:途中駅省略
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さて、名張の街では「大阪電気軌道」だか「参宮急行」だか、大鉄道会社がやって来るんやて?!

・・・と、早々にうわさが広まり、伊賀鉄道・名張駅(⇒西名張⇒⇒廃線)付近の地価は
ドンドン ヒートアップしていきます。

ところが、参宮急行は !!「澄まして」伊賀鉄道の名張駅東方1kmに土地を購入。
理由は「伊賀鉄道の軌道敷は線形が悪く、高速電車の運行には不向きなので、
伊賀神戸からの線形改良を含めて駅も移動させた。」
とゆーものでありました。
◎参宮急行の駅を「<名張>、伊賀神戸から8.3km」
◎伊賀鉄道の元々あった名張駅を「神戸から9.7km西方の駅は<西名張>」と名をかえ
営業を続けましたが、他線と広域的連絡がない以上、役割は限られますし、

神戸以西は参宮本線と重複しており二重投資になってしまいます。


昭和39年10月1日、東京五輪のファンファーレを聞くことなく「伊賀鉄道の神戸ー名張=西名張」の

旧線の部分は、終焉を迎えております(五輪との因果関係はないけどね)。

蒸気動力からスタートしました、伊賀鉄道の線形が高速電車運転に向いていなかったのは、おそらく

事実だったのでしょー。しかし、参宮急行としては、新駅を安い地代の場でゆったり作りたかったのでは?
と考えたくなりませんか?
そこは大阪商人ですから・・・

御気の毒なのは、イガ鉄・名張駅周囲にあった商店街、駅前旅館・食堂の存在意義が
なくなって、付近はキューソクに、思いっきりさびれてしまったことであります。
 
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◎2.「鉄道省・国鉄・JR VS 対 大阪電気軌道・参宮急行・関西急行鉄道⇒・近鉄」の
   勝敗の行方?特に大阪ー名古屋間、名古屋―伊勢・山田間


   あまり細かく書きますときりがなくなりますので「青ゴシック」が、エポックメーキングの
   事柄で、それを中心に書いていきたいと思います・・・と思ったんですけど、結局

   ケッコーくどくなりました。
     
       結論から申しますと、国鉄が近鉄系鉄道と「いい勝負」を演じていたのは、
   近鉄側に「名古屋から伊勢中川(名古屋から78.8km)、あるいは江戸橋(同65.3km)までが
   狭軌線で、大阪方との間で乗り換えが必要であったころまで」
であったようです。
   
   ただ、この、乗換駅、「近鉄さんにとっても厄介者」であったことには変わりなく 「接続時間を

   いかに短くするかに腐心していたか」をうかがわせるエピソードが残っています。
   なんでも、「伊勢中川駅前には飲食店ができてもサッパリはやらず、パチンコ屋も一軒もなかったそうで・・・
    

    また、実際、接続も1435mm-1067mm間の列車の乗り継ぎには数分間の待ち時間で

    ことたり、大変よく考えられたダイヤグラムだったようです。

 

Ⅰ昭和5年2200形大阪ー伊勢急行が走り始めてから伊勢電氣鐡道の合併まで
 ◆近鉄特急事始め:    

   ◇昭和5(1930)年、参宮急行電鉄が新造2200形電車を使用し
                <上本町ー山田>間急行電車が2時間45分で走破。
    ◇昭和7年、特急電車が上六ー山田間について登場!!、2時間1分

                      -------ここまでは省線、参宮急行とも優等列車の料金を徴収せず、運賃のみで
            行き来ができました。


     ◇昭和11年9月 ライバル・伊勢鐵道⇒伊勢電氣鐡道の抬頭と破綻・買収
       蒸気動力で開業していました、「イセデン:桑名ー大神宮前(山田)」の買収作業が終了

sssssssssssssssss

大阪ー伊勢

  Ⅰ’この間の鉄道省の動き

   Ⅰ’-ゼロ:前史

       参宮急行登場以前:浪速鉄道⇒大阪から伊勢へは関西鉄道~参宮鉄道がメインルート。

        <参急線開通前:湊町駅(⇒現・JR難波)- 山田・鳥羽駅間各列車所要時間>

         ・準急が約5時間、普通が約6時間。

        <参急線が開業する前年、昭和5年10月のダイヤ改正>

         ・準急x2往復、山田までの所要時間は3時間32分と41分に、

         ・昼行の普通列車x2往復、所要時間が5時間8分と11分と短縮。

         ・夜行・湊町駅発23時45分 - 鳥羽駅行き列車。山田着5時35分・鳥羽着6時。

         (湊町 - 山田間の所要時間は5時間50分)。これら列車の系統の参宮急行線にない利点は

         奈良市周辺から直通利用できる程度であったということです。

         ☆新設:同じく5年10月改正「参宮快速」(省線内の正式愛称ではない)登場

           姫路ー大阪ー(山陽・東海道、草津・関西、参宮線経由)鳥羽行き準急

           大阪ー山田間は参急電鉄より40km以上遠回りでしたが:所要3時間4分

                (山陽道・東海道はC51牽引で<超特急・燕>と同等の表定速度で運転)◆へ

           <昭和9年12月改正>2200形急行(⇒特急)への対抗策

            湊町 - 山田間準急の所要時間は3時間6分と12分で戦前の最高となります。

            その後日中戦争・太平洋戦争の影響で、

            <昭和17年11月改正時>同区間は3時間35分と43分

            <昭和18年2月改正>戦争激化により準急消滅。

            ◆一方、「参宮快速」はどーなったか?

           昭和10年12月が運転本数・所要時間の短さともピーク:神戸付近の乗客からは

           「参宮快速」と呼ばれ5往復。最速、大阪―山田:2時間52分。

           昭和12年からは日中戦争の影響を受け始め、昭和18年「参宮快速」は消滅。

 

◆名古屋ー大阪

 Ⅰ’この間の鉄道省の動き

   Ⅰ’-ゼロ:前史

        元々、この区間は、「官設鉄道 VS 関西鉄道」間で、明治30年代前半(1900-1905年頃)スピード

        合戦、サービス合戦が繰り広げられた線区であったことは、諸賢には周知のことと存じます。

        明治40(1907)年国有鉄道法の公布とともに、関西鉄道は関西本線となりましたが、

        ヒト・モノの往来の夥多から東海道本線の整備が進みます。

       トーゼン、関西線は一気にマドギワ族となりました。

         それでも・・・

        <参急線が開業する前年、昭和5年10月のダイヤ改正>

         ・準急が1往復登場し、名古屋駅 - 湊町駅(現、JR難波駅)間を4時間45分。

          同時期・東海道本線の名阪間急行は3時間20分―4時間10分

          普通列車は同区間を4時間 - 5時間30分間程度で運行

           (関西本線・準急は東海道線優等列車と比べそれほど速くはありません)。

 

  Ⅰ’この間の鉄道省の動き

   Ⅰ’-1:2200形急行(⇒特急)への対抗策

      <昭和10年12月改正>

           ・準急を2往復に増発+所要時間を3時間余に短縮。

            一方、東海道本線の名阪間

             *最速列車:(超)特急「燕」が2時間38分、

              *急行列車:3時間20分ー4時間を要していました。

             ※東海道本線が全線複線 VS 当線区ほぼ単線ともなれば、東海道経由より

               15km程距離程が短いのも焼け石に水で、当時の所要時間の短縮は

               おそらく限界一杯であったかと思われます。

      

◆名古屋ー伊勢

Ⅰ’この間の鉄道省の動き

   Ⅰ’-ゼロ:前史

     名古屋駅 - 亀山駅間:関西鉄道によって明治28(1895)年までに、

     亀山駅 - 山田駅(⇒現、伊勢市駅)間:参宮鉄道によって明治30(1897)年までに、

     山田駅 - 鳥羽駅は関西鉄道・参宮鉄道の国有化後、国の手によって明治44年に開業。              

     しかし、この路線の速達列車は、大正15(1926)年8月に設定された東京 - 鳥羽間の直通

     夜行普通列車(名古屋駅 - 鳥羽駅間では快速運転した)のみが見当たるだけであります。

     (「明治期、<お伊勢様>は関東人に人気がなくなっていたのでしょうか?)

Ⅰ’この間の鉄道省の動き

   Ⅰ’-1:伊勢電氣鐡道、「桑名ー大神宮前」間特急(所要110分)への対抗策

   <昭和5年10月改正>

   伊勢電気鉄道(伊勢電)が桑名駅 - 大神宮前を昭和5年12月に開業させる直前の10月、それへの対抗と

   して「準急」(料金不要)が2往復設定されました。

   名古屋駅 - 山田駅間を2時間20分で走破し、それまでの普通列車の4時間と比べて所要時間は大幅に

   短縮されました(後年の電車特急の1時間50分と比べても立派なモンです)。

    <昭和10年12月改正>

    準急の所要時間をさらに2時間2分にまで短縮省線は四日市 - 津駅間では亀山経由で8kmほど

    遠回りで、さらにスイッチバックの必要があったにもかかわらず、名古屋から直通で伊勢まで行き来

    できる(伊勢電はまだ桑名止まり)ため好評でありました。

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上記「Ⅰ」の時代に相当する図を「中勢と伊勢」に分けました。

<図ー2A:中勢地方 / 2B:伊勢地方>(初代)伊勢鐵道⇒伊勢電氣鐡道とライバルたちの概略図 

☆☆伊勢電氣鐡道

☆本線

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<図2-A>中勢地方

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●中勢地方における有力鉄道の鉄路改廃状況

*参宮急行、昭和7(1932)年、参宮急行、伊勢中川ー津間の「津支線」敷設

         昭和13年、津ー旧・イセデン江戸橋延長

         (昭和34,改軌時、江戸橋はさらに移設) 

*伊勢鐡道  大正4年と大正年間開業区間            

         諏訪ー白子ー一身田町 始めの開業区間含む

                         線形の改廃、駅の移設多し

          大正6年 一身田町ー江戸橋(上記の江戸橋と同一駅)

          その後も「伊勢電氣鐡道」と名を変え急速に延伸

           ・(近鉄名古屋線の御先祖)、昭和4年、イセデンが「桑名―諏訪」を

           電氣運転開始(開業は大正8年)

           ・津(⇒津新地)から大神宮前は継ぎ足しで昭和5年全通

             こちらは始めから高速電車線として開業

*参宮鉄道⇒国鉄/JR参宮線

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<図2-B>伊勢電氣鐡道と参宮電鉄、国鉄・参宮線の志摩半島部の分布と

イセデン本線(桑名駅 - 大神宮前駅)

<凡例>太線は複線

難読駅名:相可おうか、外城田ときた、二見浦ふたみのうら、朝熊あさま、漕代こいしろ

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<参考>

図1,2AB:日本鉄道旅行地図帳<8>関西1、監修:今尾恵介 氏

新潮ムック、新潮社 平成20年12月18日

年譜・その他資料:Wikipedia,

鉄道ピクトリアル1981.臨時増刊号12,近畿日本鉄道特集 Vol.31 No.12. 通巻 No.398

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〇本線(桑名駅 - 大神宮前駅) 82.7km:カンタン路線図をつけました。

  数字は桑名起点キロ程。●四日市はイセデン本社所在地駅です。

 (名古屋-(現在の営業キロで23.6km、免許のみ取得、未成線-])桑名ー諏訪13.3-

●四日市14.2-白子30.3ー江戸橋43,4―イセデン津44.4-結城神社前*49.1ー

新松坂63.9ー川畑**80.7ー大神宮前***82.7

*/**:イセデンが参急に吸収されたのち、昭和12年、新松阪ー川端、13年新松坂ー結城神社と

    段階的に単線化

***:「大神宮前」に到達したのは昭和5年12月25日のことでありますが、参宮急行の山田駅到達日

   昭和5年9月21日に後れを取らぬよう工事を急がせた(年末年始の集客狙い)と聞きます。

   またこの日から、「津―伊勢神宮間」は、ショーセン、イセデン、サンキュー3企業の争いに

   なりました

〇養老線(桑名 -養老―大垣ー 揖斐) 57.6km現在の養老鉄道養老線

〇神戸支線(伊勢若松 - 伊勢神戸) 3.9km

   昭和38年に平田町駅まで延伸。鈴鹿線に改称、                               

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●「伊勢鐵道⇒伊勢電氣鐡道」について

◆伊勢電気鉄道は明治43(1910)年免許をうけ、翌44年会社設立、大正4(1915)年、「一身田ー白子」より

  営業を 開始いたしました。会社設立から初列車まで、用地買収困難、オイエソードーがあったよーです。

  ここまでの伊勢鐵道は、軌道規格は、軌間こそ1067mmでありましたが、単線・非電化で、そのほかの

  設備のレベルも軽便鉄道並に低く、集落を縫うために(急)曲線が各所に存在する高速運転には

  不適当な線形でありました。
  また、それ等を検討してゆく鉄道技術者に恵まれなかったといわれております。

◆伊勢鉄道が大きく飛躍するのは大正14(1925)年、地元・四日市出身で「東海の飛将軍(前漢時代の

  漢の王の側近にして大将軍)」と呼ばれた豪腕の有力実業家・熊沢一衛が社長に就任した頃からで

 あります。当時各地で持ち上がっていた電鉄ブームと軌を一にして、この路線を電化し、桑名および

 大神宮前(伊勢神宮外宮前)への延長や養老電気鉄道の合併(昭和4[1929]年)に実現)などが

 計画されます。

    こうして当初から直流1,500V電化による高速電車線用電化工事が開始され、大正15年には社名を

    伊勢電気鉄道と改称、同年末から電車運転が開始されました。

    <南は伊勢神宮、北は桑名>へと、当面の路線網拡大目標を昭和5年までにほぼ達成しました。

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<イセデンの年表(抄)>

 大正15(1926)年9月11日:熊沢一衛が社長に就任。同時に社名を伊勢電気鉄道(伊勢電)へ改称

 昭和 2(1927)年12月27日:鉄道免許状下付(松阪町-宇治山田市)

 昭和3年11月2日:鉄道免許状下付(桑名-名古屋市中区)

 昭和4年 : 四日市 - 桑名間開業(複線)、養老電気鉄道を合併

 昭和 5年4月: 津新地 - 新松阪間開業(複線)、12月:新松阪 - 大神宮前間開業(複線)[26]

 昭和10年12月: 桑名 - 大神宮前間で特急「はつひ」(初日)・「かみち」(神路)運行開始

                       関西急行電鉄に鉄道敷設権(桑名-名古屋間)譲渡許可

                       鉄道免許失効(名古屋市中区長良町-同市西区)

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  ■イセデン特急車<デハニ231形、クハ471形、日本車輌製、17m半鋼製車>

     主電動機:140PSx4,東洋電機、客用扉間転換クロスシート

           特急運転時所要時間:「桑名ー大神宮間」82.7km/1時間25分=表定58.3km/hr

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昭和11年5月20日: 伊勢電気鉄道が養老線(桑名-揖斐間)を養老電鉄へ譲渡

               9月15日: 伊勢電気鉄道は参宮急行電鉄(参急)と合併、本線は同社の伊勢線となる

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   新規建設区間が比較的高規格(複線電化)の路線となったのに対し、既存区間の電化は

   蒸気鉄道時代の低規格の線形のまま電化したもので、四日市と津の両市内では、市街地を

   避けるための強引なルートを取らざるを得ず、極端な急カーブ区間が生まれました

  (四日市駅北の善光寺カーブが特に著名

 

近鉄雑感…参宮急行電鉄2200のフロク① 了

 

はじめは、この手の記事を書くことを軽く考えていましたが、大変苦労しました。

 

細かく書けば重くなる、軽く書きすぎれば前後関係・因果関係がわからない。

結局、始めの予定では「伊勢電氣鐡道」が合併されるところまで行きつきたかったのですが

字数がかさんでここまでになりました。

最低でも、四日市のカーブの図は、今回入れたかったです。

こーゆー記事は、「細心の注意を払って、手を抜いて、読みやすくする」ことだと思いました。

今この文章迄行きついた方、深謝申し上げます。

 

 カラスのクンセイ 拝