両端が国鉄線と接続していない私鉄といえば・・・ | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

◎両備バス西大寺鉄道・・・そー!あなたは鋭い!!

・水害で築堤が壊滅的被害を受けて「植木ー植木町」間を運休していた
  鹿本鉄道(⇒山鹿温泉鉄道)・・・いや、参りました!!!
・全廃前の3年間部分廃止で両端がなくなった頸城鉄道?
・全廃1年前嬬恋橋梁流失で新軽井沢ー上州三原を廃したクサカル?
・路線バス攻勢で茶屋町ー児島間を短縮した下津井電鉄??

いやいや、ツイツイ、話にのってしまうところでしたが・・・
災害・バス攻勢に負けて路線撤去、国鉄と連絡を持たなくなった私鉄は
この際考えないでおきましょー。

西大寺鉄道のような例は探せば、他にありそうですね!!
新宮鉄道⇒紀勢中線

◎しかしながら、
①全通時当初からの姿かたちを変えず
②現役の私鉄である
③国鉄と連絡をもたない

となりますと「上毛電気鉄道」のみであります(途中東武鉄道との連絡はあります)。
自信ないけど・・・

●今回は上毛電気鉄道に寄り道したお話:昭和59(1984)年7月26日
 2014.5.4+5.5の2回に分けて記事にいたしました「上信電鉄」のフロク
 みたいなものだと思ってください。
 訪問日は「上信」と同一日です。
  
     ・本邦創成期の製糸工場だけが「切り札」ではなかった上信電鉄1/2、昭59(1984).7.26. (2014.5.4)
         http://hama-sush-jp.pro/teinahoshi/entry-11839917883.html
      ・本邦創成期の製糸工場だけが「切り札」ではなかった上信電鉄2/2、昭59(1984).7.26. (2014.5.5)
        http://hama-sush-jp.pro/teinahoshi/entry-11841430046.html

 ◆上毛の御略歴
   ・大正15(1926)年 上毛電気鉄道設立
  •         ・昭和3(1928)年 上毛線中央前橋 - 西桐生間が開業
  •         ・昭和5年             乗合バス事業開始
  •        ・平成7(1995)年バス事業から撤退:モータリゼーション著しく「日本中央バス」に
                                権利を譲渡
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       開業当初はこのほかにもいくつかの免許があったようですが、昭和3年の現在線
      完成直後の世界恐慌で資金難となり、免許はすべて失効してしまいます。
      それでも、戦前は昭和10年前後に一度ピークを迎えました。

      宇都宮の陸軍14師団の2個歩兵旅団のうち、1個歩兵旅団が高崎聯隊と宇都宮聯隊から
      組まれており、管理組織が宇都宮師区と高崎聯隊区(⇒昭和16年から前橋聯隊区に
        変更)と人の流れが多くなったであろうかと思われます。
      持ち場が旧・満洲(現・中国東北部)でありましたが、昭和9年、師団は引き上げてきます(
      殆どの兵が平時徴兵任期満了したため)。
      その時餃子が宇都宮にもたらされたといわれておりますが、昭和12年の盧溝橋事件で
       また満洲に出かけます。

      戦中のお話はそんなところで、戦後になりますと、昭和22年、さっそくキャサリン台風で大打撃を
      こうむりますが、何とか立ち上がると、昭和30年代は、一転して、学校増設による通学生客の増加、
      東武急行の前橋中央乗り入れ、設備更新、自動信号化など躍進の時代となりました。
       ところが40年代になると、いずこの地方私鉄も同じ、急速にモータリゼーションが進みます。
       そして、平成の世になってみればかつてのドル箱だったバス路線も、「過疎」という敵に
       対抗しえず、手放すことになりました。
       特に乗客数は1990年代と比べ40%ほど減っており、さらに平成20(2008)年度で大胡駅最寄りの
         県立東商業高校が県立前橋商業高校に合併、通学生が減少、現在に至っております。

     ◆「毛」の話
      養老律令(757年)で「国名は地方色がよくわかる漢字一文字で表すよう」との
      御触れが出ました。
      熊本あたりは簡単に決まったようですよ!?
         「火の国」。いかにも噴煙立ち上る阿蘇山を象徴していて
      いー命名ではありませんか!!

      んじゃ、「毛の国」ってなにさ?ケサランパサラン(つーじないか?)か??
      これが少し後の光明天皇の御代になりますと、
         「わが国には「日本書紀・古事記」という歴史書がありながら
      地理・地誌のキョーカショがないのはあかんとチャウカー(当時の都はあっち方面なので)
      いそいで作りなはれ、そやな、書物の名は「風土記ふどき」なんてのがえーねんけどな、
      それと<木の国>だの<火の国>だの色気ないやないか。
      (光明天皇陛下は女帝です)。
      美字、雅字(良字)2文字を以って国名とするで!!」
      まー、いつの時代もお役人は・・・

      熊本は、「火」から作物がよく成長するようにと「肥前・肥後」となり、「木の国」はもともと
      「紀貫之さんなどの紀氏」のお膝元、では、大家のお名前をお借りしてお国の名としましょう。
      「紀伊」としたのですが・・・関西地方は「き」を「きー」と長音化する傾向があるため、「伊」を
      つけた、あるいは「伊」は、「和泉」と書いて「いずみ」と読ませるような「和=黙音字」と同じ
      扱いではないか?・・・とまだまだ1700年たっても謎は解けません。

      ただし、国名の2文字のうち大事な方の文字がよくつかわれますネ!
      「和泉」の特産、岸和田のタオルでしたら「泉州タオル」ですとか・・・

     ◆やっぱり気になる「毛の国」
      この地方の土着民が、大和朝廷の勢力範囲の人たちから見ると、髪は整えず、
      ひげもそらず、「毛むくじゃら」にみえたことから「毛人の国」とする説・・・
        肥沃な土地なので、「御食=みくい⇒みけ⇒け」・・・毛の国となったという説
         説はまだまだあるんだそうですよ!!
     ただこれだけは確かで
     ①「鬼怒川」は「毛の国」を流れている川なので、「毛の川(河)」⇒鬼怒川となった
     ②風土記を作る前後で、「毛の国」が「上かみ」と「下しも」の二国に分離しました。
       そこに、連体格助詞の「つ」が入って「上(津)毛野国と下(津)毛野国」となりました。
       津は次第に表記から外れるようになりました。
       ちなみに「連体格助詞<つ>」は眼の毛を表わす<睫まげ>、
       神あるいは天空からの風<天津風あまかぜ>などがあります。

      時代が下りますと、「表記から”毛”が抜けて≠脱毛」「発音」も怪しくなり
      「上毛野国かみつけのくに⇒上野国こうづけのくに⇒上野こうづけ」
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      ◎上:うえ⇒こう・・・とかわるのは一見無理があるように見えますが
       神戸市の例のように、「かみ⇒こう」の例はないとは言い切れません。
       ただ地方ルールのようなものがあり?わたらせ鉄道の「神戸」の発音は「ごうど」
       和歌山では「こうど」、西多摩では「かのと」、尾張一宮の「かんべ」などなど・・・
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       「下毛野国しもつけのくに⇒下野国そのまま⇒下野しもつけ」

       こんな具合ですから、旧国名、起点・終点から一文字ずつ取った交通網が多い中、
       上毛電鉄は「かみつけの国を走る電鉄」、両毛線は「上・下の毛の国を走る鉄道」
       ということになりますのに、すでに現代の地図上からは、該当箇所には「毛」の
       字が、「毛ほど」もないわけですから、初めてこの辺りをご旅行する方は、
       始め「???」かもしれません。

       また、この一帯を、「野州やしゅう」と呼びます。那須を中心に活躍している
       「東野交通(鉄道線があった時代は東野鉄道)」の読み仮名は、
       「やしゅうの東部の交通網をうけもっているので<とうやこうつう>と発します」

     ◆やっぱり・・・やっぱり・・・チョピット気になるよーな・・・ほおっておけない
       「富士山下ふじやました駅」
       富士山下駅北方200mに「浅間神社」があります。
       皆様ご存知のように、本家富士山も、テッペン10合目は「浅間神社」の所有で
       あります。
       桐生市のお社はその分社でありましょー。
            江戸期になりますと、我も我もとフジのお山にご利益を求める富士山信仰が
       浸透し始めます。
       でも高齢の方、体がご不自由な方など体力に不安がある方、オイソレと登る
       わけにはまいりません。
       そーゆー方々のために各地の神社に浅間本社から分社されたご神体、
       あるいはお言葉が配られ「富士山のピンチヒッター」として地元民用富士山
       登山にあてられました。
       中にはご丁寧に、境内の中に富士山を模した土盛りをしたお社もあったようです。

       ところで例えば富士山下駅がある桐生市から富士山まで行くとしたら・・・
       桐生ー太田ー熊谷ー坂戸ー入間ー高尾ー大月ー富士吉田ー富士山?と
       コースをとるとしましょーか??
       富士ゼロ合目まで上のルートで約160km。元気な成人男子は40km/日の徒歩
       速度だったそうですから、登山を入れて片道5日・・・楽じゃないですね・・・

       で、桐生浅間神社に話は戻りますが、
       駅、中間地点、お社の標高を比べますと、約100m-100mに分けた場合、
       海抜駅125m-中間点135m-お社境内?159mと公差は各々10m対26mとなり
       ますので、やっぱり最後は階段か急坂ですかー?とゆーぐあいかな?

       とにかく、桐生地区の弱者のための富士山がここにあるよ、ということを
         知らしめるための住所なり、駅名であろうかと思います。
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    ◎<図ー1>路線図出しますねー:昭和59年伺ったときを中心にその後の変化を
    なるべく載せるようにしました。

  • □訪問時との変化

       
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    ◎運輸について
    両毛線が非電化の時。上毛電鉄が時間で有利でありました。
    というのも国鉄が伊勢崎地区を通過するため、少し南方を上毛より遠回りしています。
    イメージ的には国鉄が直角三角形の短い二辺、上毛が斜めの長い一辺といったところでしょうか?
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    <図ー2>前橋・中央前橋ー(伊勢崎)-桐生・西桐生の地理的関係

     
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    <写真ー1>上毛電鉄、大胡駅発券機発行硬券,昭和59年7月26日
     

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    ◎電化以後の国鉄 VS 上毛

    ◆上毛電鉄:30分毎ネットダイヤ(朝7時台は3本)、所要48-51分。日中は数分少ない。
            670円。25.4km、/駅間22(駅数:上記路線図21+新駅2)⇒ 1.14km/個
    ◆JR:前橋ー伊勢崎・桐生 各1/時、所要30-33分。
          500円。29.0km/駅間6個、駅間平均4.8km
      ※私鉄は、やはり地元密着型でこまめに地区々々ごと停車しているのが見て取れます。

    ◎保安・運転
    訪問時の保安システムは下にお示しします通りで、
     中央前橋ー(単線自動)ー大胡ー(タブレット)ー赤城ー(単線自動)ー西桐生
    現在は全線特殊自動閉塞(電子符合照査式)となりました。最高運転速度は85km/hr。
    路線は、最急こう配25‰、最少半径180mと、電化鉄道でなければなかなか容易には
    走り抜けられないであろうといった赤城山ふもとの鉄道です。

    ◎主要駅
    ◆中央前橋駅

    起点の中央前橋駅駅ビルは「地方私鉄の域」を完全に逸脱しているほどの威容を誇る
    大建築物
    (過去の淡路鉄道⇒淡路交通・洲本駅、西大寺鉄道西大寺市駅、赤穂鉄道赤穂駅etc)と
    思いましたが、よくよく考えれば、中小私鉄とはいえ、県都にふさわしい格のターミナル
    構えるとここまで立派にするのも道理かな?とも思いました。

    残念ながら、このスグレモノもテナントが逸走、撤退が続き、荒廃が進み解体されたとか?
    とても信じられません。
    平成12(2000)年に、次世代駅ビルにとってかわられました。
    JR前橋駅までは徒歩10-15分(約1km)。
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    <写真ー2>中央前橋駅駅ビル:上電プラザ
    このビルが荒廃して15年ほどで解体されるとは・・・・
     
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    <写真ー3>中央前橋駅前
      
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    <写真ー4>中央前橋駅、櫛形3線、クハ30型(車輌は大胡駅をご参照ください)
     
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    ◆車庫所在駅・大胡駅にて 
    <写真ー5>大胡駅
    外見こそこの鉄道の中堅クラスの駅にしか見えませんが、車庫、車両基地=列車区
    (この独特さがいーですねー)、変電所を持つ本鉄道の心臓部であります。
      
    ※車庫(木造)、駅舎、変電所は国の登録有形文化財となっております:平成19(2007)年登録
    ※計画線では昭和の世界恐慌の影響で失効しましたが、ここから本庄までの免許を持っていました。
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    <写真ー6>ちょおーっぴり顔をのぞかせているデハ100型
     
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    ●訪問時の車輌たち
    ・デハ100型 100,104:昭和3年の開業時の自社注文車。昭和31(1956)年更新。
              訪問時すでに旅客営業からは卒業させられ、101のみ歯車比を
              4.6にあげて貨物牽引車に。104は全くの予備車でした。16m車
    ・デハ230型 8輌 :昭和30-31年製西武鉄道クモハ351形。17m車。
    ・クハ30型 8輌 :昭和29-32年製西武鉄道クハ1411形。
                 正面貫通型と非貫通型がありました。
                 230+30でMT8編成として運用。平成2(1990)年廃車。
    ☆230+30(-1990)⇒300:東武3000(-1995)⇒350:東武3050(-2000)⇒700:京王3000
    ※当鉄道のように、車輌群のグループ分けを「系、形」ではなく「型」を使うのも稀と思われます。
     ☆☆また10年ほどで主力編成を3回総入れ替えした鉄道も皆無ではないかと??
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     <写真ー7>ホームからデハ230(右)、101、と奥に車庫/車庫引き込み線。写真奥が前橋方。
       
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     <写真ー8>写真ー7で奥にいた230-30がホームに出てきました。区間運転用か?
      
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    西桐生駅・・・JR桐生駅から徒歩5分
    <写真ー9>西桐生駅。開業時と変わらぬマンサード屋根・・・ではありません・・・
    ギャンブレル屋根を持つ洋風建築。

    ※当駅は、登録有形文化財・県近代化遺産・関東の駅百選に認定されています。
    また、ホーム上屋も登録有形文化財に登録されてます。
      
    元・小田急五大停車場(稲田登戸、新原町田、相模厚木、大秦野、新松田)の駅舎もこのタイプで
    マンサード型と呼ばれていました。
    本邦ではやや混同がみられるようで、
    マンサード屋根は4方向の寄棟の腰折れ屋根であります。
    当駅のごとく「切り妻の腰折れ屋根」は「ギャンブレル屋根」と申します。
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    <写真ー10>西桐生駅前
    少子高齢化のご時世、今でも西桐生駅の駐輪場はにぎわっているのでしょうか??
      
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     ◎ある時は友好関係、ある時はライバル
     ◆東武新桐生駅:大正2(1913)年開業
    北から:上毛・西桐生国鉄・桐生[西桐生から徒歩5分]ー(渡良瀬川)-東武・新桐生[桐生から2.3km]
    このあと昭和63(1988)年改築されます 。
    2013年度1日乗降人員は2403人
      <写真ー11>東武新桐生駅
     
     
    ●東武鉄道の浅草ー中央前橋間乗り入れ
    ①夜行直通:昭和28-35(1953-60)年
    ②日中の伊勢崎線急行「りょうもう」:昭和31-38年
    しかし、前橋ー東京は国鉄高崎線経由の方が早く、大胡で客がいなくなることもあったそうです。
    また、東武の車輌は高規格で電気をよく食べ、上毛の車輌に電圧降下をおこさせたり、高加減速
    だったのでダイヤ上でも扱いが難しかったようです。
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     <写真ー12>新桐生駅前


    ******************************************:
    ◆国鉄桐生駅
    両毛鐵道により明治21(1888)年に開設とゆーユイショ正しき駅でアリアス。ソーギョー127年!!
    その後明治30年日本鉄道に譲渡、同39年国有化されております。
    2013年度一日平均利用客
    JR:3920+わたらせ鐵道:578(2012)=4498人
    東武を圧倒している理由は?わかりません。学校がこちらのエリアに多いからでしょうか??
      <写真ー13>国鉄桐生駅
    ちょうど高架工事の真っ最中でありました。
    2面4線のうち、1面ずつ昭和58(1983)年、60年と高架化され、駅舎も60年、3代目新駅舎がオープン。
      
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    <写真ー14>駅遠景
       
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    <写真ー15>国鉄桐生駅前
      
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    ◎写真撮影日はいずれも昭和59(1984)年7月26日
    ◎参考資料
    ・鐵道ピクトリアル 1983 6 臨時増刊号 関東地方のローカル私鉄 Vol.33 No.5 通巻 N0.418
                                     鉄道図書刊行会 「上毛電気鉄道」

    ・Wikipedia 上毛電気鉄道上毛線  
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%AF%9B%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%
    84%E9%81%93%E4%B8%8A%E6%AF%9B%E7%B7%9A


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    <ふろく>友人の兄上の遺品となってしまったお作であります
    中央前橋駅のところで、鉄道規模に比べ威容を誇ったターミナルビルの中に
    西大寺鉄道・西大寺市駅を挙げましたが、同駅の写真をお示しいたします。
    同鉄道は営業キロ11.4kmの914mm(3feet)軌道線でした。
      
      付)西大寺鐵道西大寺市駅  昭和36(1961)年?月?日
      
     ターミナル駅とはいえ、人口数万人の町の軽便鉄道の拠点駅としては「破格」な規模を
    誇る建造物であります。またにぎやかさも格別。
    「鉄道の黄金時代」を感じさせます。
     
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     例によってしょもない文章と写真を我慢して、最後までご覧いただきましてありがとうございました。

      カラスのクンセイ 拝