モーソーJR北街道のヤボー:「羊蹄区間」JR北街道電化区間の西端をゆく(2/2-3) | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。


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<図ー9(抄) 岩見沢ー小樽 「羊蹄」単独区間>:再掲


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乗務員、長万部まで
運転士:秋田谷、苗穂運転所[札ナホ]
車掌:厚谷、蠣崎、札幌車掌所

3号車アテンダント:南部、札幌車掌所

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皆様、正面、走行モニター画面の御鑑賞お疲れ様でございました。
さて、右に見えてまいりましたのが日本海でございます。


一番始めに通過する駅は銭函であります。
中線は、当駅より一つ札幌よりの駅、「ほしみ発着」列車の折り返しに使用しておりますが

元の貨物ホームなど使えば少し窮屈ですが2面3線の
退避駅になりますし、橋上駅化しますともっと楽に実現いたします。
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<図ー11>銭函駅改良案、4月28日の図と同じものです(*1)



下図の軌道の丸数字が上図の軌道敷の位置に相当
☆「下り本線・札幌方面行き」はホームにつぶされる「運命」にあります。

(*1)JR北海道、これからどーすんの・・・その③ー2、札幌近郊の列車密度の把握と
路線形態(2014.4.28)

http://hama-sush-jp.pro/teinahoshi/archive2-201404.html

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ただ問題は、最近の、通勤通学は、銭函までが札幌圏(実際は銭函以西が小樽市)という
地域感覚が世間に定着しつつあり、銭函まで仮に緩急自在列車を作ってしまえば、
ストロー現象が起きて小樽市の人口の札幌市域への転居が一段と早まる可能性も
でてくるかもしれません



さて、ここからは、しばらく、鉄道の創成期、明治のお役人がご苦労された、断崖絶壁に
トンネルを穿った鉄路が続きます。
間もなく列車トンネルに入りますが、手前なぜか、上下線の軌道間に余裕があります。

ここが、旧張碓駅の名残で、同駅の旧・中線の痕であります。


昭和30年代になり、海水浴場としても、やや有名になりましたが、国鉄では、ここを
特に海水浴場として宣伝するわけでもなく変だなー、とおもっておりましたら、ある日
ある時、「警部」様とおっしゃる方(*2)から、張碓は保線区の駅だったとご指摘を
受けた次第で、自分の勉強不足が身にしみます。

(*2)本編:私を悩ませた”不思議チャン駅”「函館本線・張碓駅」(2012.4.23)
http://www.tsuchibuta.com/hokkaido/kk/20120423/20120423.html
の中での「警部」様のコメント(抄)
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1. 無題
はじめまして。小樽出身の者です。私も、子供時代にこの駅の存在を大いに不思議がっていました。

家があるわけでもなし、集落に続く道も見当たらない、そもそも誰一人として乗降したのを見たことが
ない、何なのかと大いに悩んでおりました。

先日、「北の保線―線路を守れ、氷点下40度のしばれに挑む (交通新聞社新書) 」という本を読む
機会があり、ようやく謎が解けました。

要は、保線の拠点だったということなのですね。その後、技術やシステムの進歩によって重要性は
薄れたものの、駅としてはなんとなく残っていた、と。

ようやく少年時代からの謎が解け、ひとつ賢くなったような気がいたしました。
まことに鉄道は奥深い(笑)。

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つぎの朝里は、JR軌道敷と国道の高低差が20m程ある最後の駅です。
ここも銭函とほぼ同様な構内配線でありますが、いつの間にやら中線が撤去され、
無人駅となってしまいました。

ですから、ここも2面3線の待避駅は作れそうですが、海岸線が「銭函」より迫っているため、下り、
札幌方面のホームをを札幌方へ50-150mほど動かさなければならぬでしょう。踏切を避けて。。。


ところで、旭川からここまで走ってまいりましたが、
ひとつ前の、張碓がなくなってしまったため、
駅間距離は朝里・銭函間での8.8kmが最大となりました。
それまでは豊幌・幌向間の7.2kmでした。


朝里川温泉はこの駅前からタクシーの利用も可能でありますが、小樽駅前からの
北海道中央バスの定期便のほうが便利かと思われます。

さて、小樽までは、あと、小樽市街地の3駅を残すまでとなりました。


次の小樽築港は最後まで山線の優等列車を見てきた機関区所在駅であります。


昭和30(1955)年8月1日時点で、道内最大数の52輌の蒸気機関車SLが配置されており、

以来、岩見沢第一機関区とともに、北海道SL庫の一、二を争う基地として活躍して
まいりましたが、現在双方の機関区とも過去帖入りしてしまいました。


山線の急行列車が内燃化された後でも、1往復の急行客車列車と1-3本の函館発
ローカル列車が存置され(急客より函館ー札幌直行ローカルのほうが先に姿を消して
しまったと思いました)、どの客車便にも対本州青函連絡船渡航用「郵便車ユ・荷物車ニ」が
連結されておりました。



第3の急行列車(第1,2はディーゼル化、第3のみ客車のママ)に、
本州側も合わせてキニ、キユニなど使用すれば内燃化が可能であったと思われますが、
山線には有利であったでありましょう2台エンジン車のキニ・キユニがなかったことや、
急行車の先頭に一般色の車両が連結されるのが嫌われたのか(急行色郵便・荷物用
ディーゼルカーはありません)、スハ43/44、スハ14などが経年使用停止が来るまでの最後の
ご奉公であったのかは存じませんが、急行客車列車が残されておりました。

後々考えますと、道内急行が昼行便ということは、本州内は特急電車座席車・寝台車、
特急ディーゼル車、客車急行寝台列車の選択肢しかないわけですから、「ユ・ニ車」を運ぶのには
どうしても道内も「急客」の用意が必要だったわけです。


C62-2の人気の「スワローエンゼル(除煙板にツバメマークのブリキの切り抜きが張り付けた1台)」が
配属の頃で、まだC62の人気が沸騰しない頃のお話であります・・・
昭和42(1967)年10月、小樽・滝川間が道内初めての電化区間となったとき、札幌を出たED76-501は
当駅まで、ここで牽引機が交替し、長万部までC62-2+C62-3という組み合わせの重連が引いていった
ことが多かったと思います。


時代を経て、札幌から長万部までDD51重連が担当することがになりました。
いよいよ動力近代化の波が「ヘキチ・北街道」にも押し寄せ、C62の引退も余儀なくされました。



C62は
動輪周出力1660PS、引張力13870kg、最高設計速度100km/hr、運転準備車重145.17ton(炭水車含む)。


一方DD51の機関出力こそ2200PSとエンジン単体では、C62の出力を上回っていましたが、
液体式エンジンの宿命であります、トルクコンバータ動力伝達ロスで約30%出力が減じます。
つまり2200x0.7=1540PSとなってしまうわけで、重連にしますと1540x2=3080PS!?


馬力ロスはこれで終わりでしょうか?
何か変だと思いませんか?重連総括制御を行いますと、電気系統で補機に対して制御・命令を
行いますので、本務機の元気さが15%程度食われてしまいます。
すなわち、重連総括制御のDD51の出力は
 2200 x 0.70 x 0.85 + 2200 x 0.70 = 2849PS ともともとのエンジン単体とあまり変わらなくなって
しまうのです。しかもC62重連の86%の馬力にしかなりません。


とはいえDD51は、現在性能的には新鋭DF200に追い越されはしましたが、
日本のディーゼル機関車の中では、当時、最優秀機でした。
後継機に恵まれなかったこともありましたが、昭和37-53(1962-1978)年まで、
第一線で働いた功績は大きいものがありました。
DD51の他の性能
引張力16800kg,、
最高設計速度95km/hr、運転準備車重95.0ton。


こうしてみますとC62には荒削りながらディーゼル機関車にはない逞しさがあって、
もう少し
働いていても良かったかなと思うこともあります。


なお、現在、C62-2,スワローエンゼル機は京都の梅小路機関区に再度動態保存機
として活躍しております。


また、戦後一時期石炭の質が落ち短時間で火床(かしょう)いっぱいに石炭をどんどん埋めて
いかなくては、蒸気圧が上がらなかったとき、それを、「自動給炭機(メカニカル・ストーカー)」を
取り付け効率化し(一番にはC61に搭載、,二番は当機)、これらの急行用大型機関車は、
不遇の時期を乗り越えました。



次の南小樽は先に書きましたように、初めは小樽の中心部でご覧の様な掘割のような駅の構造。
駅ができた頃には日本海に注ぐ川が流れておりまして、鉄道+水運とタイアップした交通網で
ありました。

昭和50年代まで、列車の発車には「ベル」がなっておりましたですね~。

札樽間で発車ベルが鳴らされておりましたのは、小樽、当駅、先ほどの築港駅、そして、札幌駅と
4駅しかありませんでしたし、駅長さんの席次も札幌ー小樽についで3位でありました。

ここから以西は初代・北海道鉄道が敷設した区間となります。

さて南小樽を過ぎますと、
昭和39(1964)年9月26日に完成(営業は翌日から)しました「小樽ー南小樽間の高架複線化跡」に
差し掛かります。
当時からすでに住宅の密集している中「よくぞ、やってくれました!!」 といった労作で、
特に特に住宅密集地の「花園町」踏切の高架工事は見ていても大変でした。

今見ますと、何ら変哲のない、高架複線でありますが、そこには地味ながら、軒先をさけ、
動かしがたい高圧線鉄柱があらばカント(カーブをわざときつくとって線路を傾けて軌道敷面積を
狭くしたと思われます)をややきつくしたりと、乗車して感じていただくより、現場を歩いていただいた
ほうが、
より楽しめるコースとなっております。


それまで、鉄道沿線、国道5号線(札幌・函館間国道)沿道で踏切にあった老舗は、大部分が、高架下
などに入ってしまいましたが、昔とかわらずメインストリート沿いに店構えがある「かまぼこ・かま栄」、
「だんご・花園だんご」などなど・・・

小樽到着時皆様には、おひとり様あたり、「醤油・ごま・餡・うぐいす餡各2本づつ」の「花園だんごセットを
準備しております。


さて、小樽駅では停車時間をやや長くとり、一区切りさせていただきますが、特徴が二つあります。


一つは余りにも有名で、モデルが上野駅であること、もう一つは斜面にタクミに建てられてあるという
ことであります。

駅舎手前を走る国道は標高20m。駅舎本屋は同23-25m。駅フィールドは24-28mと線路を敷くだけでも、
あるいはホームをきれいに作るだけでも大変そうです。
まして、跨線橋を造るなどとは不安定でもってのほか、そこで小樽のホーム間連絡通路は「地下」に
なったと伺いました。


小樽到着でございます。

こちらで下車される方、切符にお一人様1500円相当のお買い物券が付いてございます。
駅弁をお買い求めの場合ですと、1番人気、ウニとイクラの競演、「海のかがやき」1260円、
意外な(と申し上げては失礼とは思いますが、私は長●部のものより好きです)美味しさの
かにめし850円、ほか3点の駅弁、あるいは、
駅ナカマート「タルシェ」で、北海道産品ならではの、握り寿司、甘エビの燻製ほか海産物、
カマンベール・チーズなど乳製品、果物、無添加パン、などなどお好みの品々のご入手が
可能となってございます。
また、朝里川温泉、赤井川温泉へは駅前からバスが出ております。


車中の皆様にはご予約のご昼食が小樽を過ぎたら出てまいります。
また途中乗車のお客様、3号車のダイニングの方にお越しくださいませ。

まもなく、小樽出発でございます。




モーソーJR北街道のヤボー:「羊蹄区間」JR北街道電化区間の西端をゆく(2/2-3)   了


最後までお読みいただきありがとうございます。

大分間が空いてしまって、皆様からはこの温泉列車シリーズは忘れ去られて
いるのだろーなーと思いながら書いております。
途中PCが入院し、あと1回入院が必要で今は仮復旧中であります。

文章生産量もどこかのJRと同じく速度制限を受けております。

 カラスのクンセイ 拝