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皆様、こんにちは。本日はJR北街道ご利用いただきありがとうございます。
札幌で乗務員が交代いたしました。
運転士は苗穂運転所、秋田谷、車掌は札幌車掌所、私、厚谷と蠣崎、3号車アテンダントは
同じく南部でございます。
室蘭廻り「たるまえ」と再度連結運転となります、長万部までご一緒させていただきます
どうぞよろしくお願い申し上げます。
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<図ー9(抄) 岩見沢ー小樽 「羊蹄」単独区間>
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この先小樽まで無停車でまいります。
少し札幌のお話をさせていただきます。
北街道で早くから開けた町と言いますと、札幌、函館、小樽であります
札幌の本格的開拓は、開拓使がおかれた明治2(1869)年から。
函館は、古くは箱館と称して1400年代中ばから和人と「アイヌの酋長・シャクシャイン」の
領土合戦、ロシア人の来訪、幕末の日米和親条約に伴う開港五港のうちの一つで、戊辰戦争の戦場と、
かなり早くから開けました。
一方、最後の小樽は、漁業の安全を祈念して神社が沢山たち、そして、1860年にはすでに銭箱までの
道路が出来上がっておりました。
それでは、当時の北街道のお役所が函館や、小樽におかれなかった理由ですが、、
開拓使所在地決定に当たっては、北海道の中央にあり、平野部に恵まれていることが条件だった
そうですから、札幌が選ばれるのには理由があったのです。
開拓使の初代長官(主席判官)には、明治2年より、300石取りの「佐賀の七賢人」と言われた佐賀藩士、
島義勇(シマ・ヨシタケ)が2年間指揮をとります。
島はその後、明治4年から2年間秋田県令を務め、帰郷してみると、「本邦初めての不平武士の乱である
<佐賀の乱>」の首謀者の一人にまつりあげられており、こと成就せず刑死という不幸な結果と
なりました。
詳細は、車田正美氏の「聖闘士星矢、十二宮編・サガの乱」を参照されたく
(ゴチ!!イーカゲンせーや)。
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<表ー2>北街道の中心都市は、開拓使が札幌に置かれた後も
しばらくは「函館と小樽」でした。
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この区間は、前の受け持ちのものから北街道最古の路線の一部とお話があったかと思います。
手宮ー南小樽ー札幌と「官営幌内鉄道」が通り始めたのが、明治13(1880)年の事でした。
途中、地盤の悪さも、白石から大麻の付近か、それ以下という個所もあり、手稲付近では、
札幌駅に先んじて(一次開業、昭和63[1988]年)、稲積公園辺りが昭和58(1983年、高架線と
なりました。
この付近は鉄道開通134年、電化開業47年、一部高架31年と歴史を感じさせます。
そして、大体が、北海道で初めてといったイベントに使われます。
それから、私の、個人的趣味ですが、自生食用栗の南限が「手宮公園」となっております。
それでは、お話と流れる景色ばかりではそろそろ、飽きてこられたのではないかと、正面モニターが
ございますので、それをご覧頂きながらあるいは、実際の外の景色を見ていただきながらのお話と、
しばらく代えさせて頂きます。
モーソーJR北街道のヤボー:羊蹄区間「函館線最混雑区間」に見た明治鉄道技術のサエと限界2/2-1
了


