後半戦の始まりです。
始発・上田から上田原2.9kmまで歩いたらケッコーばてましたので・・・勘弁して下さいよ・・・
ホッカイドー人が8月16日荷物しょって歩いてきたんですから・・・とにかく途中飛ばして
「下之郷」まで電車で来ました。後半戦の写真撮影日はすべて昭和62(1987)年8月16日です。
**********************************************************************************************
<写真ー9>下之郷[駅]
変わった配色のハーフティンバー風・・・とでもいうのでしょうか。ま、かわった駅舎でした。
配線は島式1面2線と次の<写真-10>をご覧いただきたいのですが、当駅はかつて旧・丸子線
(もと依田窪線、昭和14年改称、昭和38年廃止)の分岐駅でした。
黄色い看板がついたお堂のような建物は旧・西丸子線のホーム上の待合室であります。
ホーム手前の軌条は、以前西丸子線に使われていましたが、いまや下之郷駅の側線となってしまい、
位置づけは構内副本線ということになりましょーか?
この線が「下之郷電車区」からの出入庫によく使われてているようでした。
当駅は合理化のため、一旦は無人駅になりました。
しかし、西丸子線を引き継いだバスの起点という事情、運転区を上田原から移動させた
(昭和61[1986]年)ことから再び有人駅として奇跡の復活を遂げております。
*************************************************************************************************
<写真ー10>旧・西丸子線下之郷駅ホーム:旧・西丸子線ホームと待合室

電車区に出入庫する電車はいまや側線、副本線と化した軌道を利用して移動していました。
*************************************************************************************************
<写真ー11>下之郷電車区
車庫+事務所=電車区といったコンパクトさ
*************************************************************************************************
<写真ー12>中塩田

駅舎は当駅、隣の「塩田町」、終点「別所温泉」と妻面はローズピンクに塗られ、それぞれの駅名が、
アルファベットのCentury活字でしょーか?ゴシック・イタリック体でうちぬかれた真鍮文字をいかにも
丁寧に並べた・・・と感じさせる繊細なものでありました。
残念ながら、活字は半数が脱落していて、手書きで似せた字を書いてある個所、あるいはぬけて
そのままになっている所、さまざまな蚕食がおこっておりました。
構内は、相対2面2線でしたが、転轍機の部分はさび付がひどく、駅務室の荒れようも雑紙類が散乱。
無人化されてからの時間を感じます。
「寂寥」という言葉はこのためにあるような・・・・
早々に移動させられる気分になりました。
************************************************************************************************
<写真ー13>塩田町
ご覧の通りの片式1線の、それでも、はじめは有人駅でした。妻面が線路と垂直で分かりづらいかも
しれませんが駅務室のスペースの広さは、このクラスの駅としては破格です。
しかし、ここは、中塩田以上に荒廃が進んでおり、内壁が崩れ、中の骨格用建材が出ている箇所さえありました。
ここの駅舎はすでに解体されたそうです。
**********************************************************************************************
社内記録には「昭和18(1943)年6月30日、停車場から停留所へ」という一文があるそうです。ただし、
そこには、列車閉塞取り扱い中止といった表現はないようで、有人の棒線停留所様停車場だった
可能性もあります。あるいは、1面2線(一線は機廻し線)といった配線であったとか・・・・
私が訪問したときは、ご覧のとおり、複線分の広さの架線柱、ソシテ当駅始発の上田行き各駅停車が
1本早朝にありました(現在はありません。しかし5時代から23時代まで31往復運転をおこなって
おります)。
過去にはある程度の基幹駅だった証拠?
ナゾがなぞを呼ぶ中野駅でした。
ここから終点までは、勾配線区となってつらそうだったので、また電気動力にしました。
「2008年までには交換設備増設予定(いまだに実現していません)」といううわさがあった八木沢駅
(終点ひとつ手前)は見ておきたかったのですが、やっぱり、つかれそーなのでやめました。
下之郷ー中野:徒歩2.4km,中野ー別所温泉:電車3.1km、ただし最急こう配40‰あり。
**************************************************************************************************
<写真15>別所温泉駅全景1
むかーし昔は、この建物の裏手が正面玄関だったそうです。私も写真でしか見たことがありません。
ところで、今は委託駅、訪問時は直営駅でしたが、やはり人手と言いますか人目と言いますか、
そんなものがあれば、妻面の駅名表示も見事です。またこの駅は、春、桜の名所ともなります。
構内配線は、訪問時、頭端式2面2線でした。
その前年、昭和61年、750→1500Vに昇圧。元東急の5000系が走り始めます。
平成5(1993)年からは7000/7200系にバトンタッチして冷房化達成。長野県下の私鉄で最も
早い冷房化率100%達成を成し遂げます。
しかし、平成7年、構内から1線を撤去、駅本屋側のみの単線となってしまいます。
折り返し線はありますが、本線とは連絡せず、そこにモハ5250丸窓電車が鎮座しておいでのようです。
*********************************************************************:::
<図ー1>
*************************************************************************************
<写真16>別所温泉駅全景2

かつては直営駅であったが、現在は別所温泉観光協会に窓口業務を委託する簡易
委託駅となっております。窓口営業時間は9:00~17:00)。駅業務を担当する観光協会の
女性職員は「観光駅長」名義で和装制服の袴を着用しての勤務です。
駅長名義ですが一人で行っているのではありません。
***************************************************************************************************
<写真17>別所温泉駅、訪問時構内配線。
頭端式2面2線です。
***************************************************************************************************
<写真ー18>この当時のモハ5250丸窓君です。
*******************************************************************************************
<<1500V昇圧後以降車歴表>>
<5000系>
昭和29年東急車輛で製造。航空技術を採り入れ丸みを帯びた軽量車体、直角カルダン方式と
当時の最先端技術で製造され東横線の急行として使用されました。
昭和61(1986)年別所線に譲渡され、平成5(1993)年まで別所線で使用されました。
<7200系>
昭和42(1967)年東急車輛で製造。
正面は「ダイヤモンドカット」と呼ばれる特徴的なデザインで東急田園都市線で主に使用されました。
別所線には5000系と入れ替わり、平成5年5編成導入され平成17年丸窓電車のラッピングを施し
「まるまどりーむ号」としても2編成走行しています。
<1000系>
平成20年8月1日別所線に平成生まれの電車がデビュー。
東急池上、多摩川線で使用されていた車両で、別所線用に2両編成で走行できるよう改造。
VVVF、ボルスタレス台車、ワンハンドルマスコンと最新の装備を有しています。
☆保存車輌
<モハ5250>
昭和2(1927)年に日本車両で3両製造され、戸袋窓が楕円形をしていることから「丸窓電車」として
親しまれましたが昭和61(1986)年に引退。
現在別所温泉駅に2両、長野計器丸子電子機器工場に1両静態保存されています。
*******************************************************************************
これで私の上田の旅行のお話はおしまいです。
掛け足、手抜きで今から見ると、ひどいことやってんなー、と思いました。
これはあかんぞ!などどいったご意見どんどんお待ちしております。
上田電鉄、前・後半にお付き合いくださいましてありがとうございました。
3月5日
カラスのクンセイ 拝




