急行赤倉ー赤その(6)・・・スイマセン、テツドーねたです・・・ | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。


<急行・赤倉>

・・・は昭和37(1962)年に「きそ」の1往復と「あさま」を結ぶ形で名古屋 - 新潟駅間を急行列車として運行を開始しました。

登場時では中央線の5本目の急行列車でありました。


運行区間が名古屋 - 長野 - 新潟駅間と北陸、東海道・上越経由よりショートカットとなるため、他の中央西線急行群とは目的を異にする異彩を放つ1往復でした。


しかし、昭和48(1973)年の運行区間全区間電化完成時に電車化ができず、「全区間架線下でのディーゼル急行」としても著名な列車となりました。


電車化したのは昭和57(1982)年のことで、当列車以外すでに中央西線の優等列車はエル特急「しなの」化されており、昭和60(1985)年に松本駅以南を廃止。

以降「南越後」(みなみえちご)の総称名称で長野駅以北急行として運行されました。

なお由来は新潟県妙高市の赤倉温泉から


昭和53(1978)年10月号編成表

  新潟方向2801D←[<指>x2+<G>x2+<自由席>x6]→2802D名古屋方向


昭和57(1982)年11月号編成表:電車化後

  名古屋方向2802M←[<指>x3+<G>x1+<自由席>x6]→2801M新潟方向


指:指定席、G:グリーン車