ゆーめーすぎるほどの芭蕉師の立石寺の一句であります。
上の句は「閑けさや」でありますが・・・
欧米人がこの句を読むと、
「蝉の声が<ガシガシ>聞えているのに、どーして[静か]なの?」
とお聞きになるそーで・・・・
御説ごもっとも・・・
ま、ここで、屁理屈をコネコネしますとですね、「静けさや」ではない、ということであります。
「静」は<つくりの「争=あらそいごと」>が<「青=空が青く澄みきっていく様子」>で、「動く」物に対して止まっている状態をメインに表す文字であります。
この句のポイントは「閑」という字を使ったところにあって、住宅の門という門に、「木戸をたてる」あるいは「木の錠前をつけて」外界と自分をシャットアウトしちゃうという違いがあるのです。
なので、このお山の上で、恐らく、芭蕉さん以外誰もいなかったと思われます。
お寺の境内かどこか、貸し切り状態で、自分だけの世界に没入、他人が入り込む余地がない自分だけの感性の「しずか」なたたずまいの中で、満足いく俳句作りができたよ!
これが芭蕉ワールドだ!!
ということも、行間にはある かと思われます。
後世の知ったかぶりの人間のせいで、純真な俳人の心は、このようにどんどんすさんでいくのでありました・・・