「・・・・岩にしみ入る蝉の声」 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

ゆーめーすぎるほどの芭蕉師の立石寺の一句であります。


上の句は「閑けさや」でありますが・・・


欧米人がこの句を読むと、

「蝉の声が<ガシガシ>聞えているのに、どーして[静か]なの?」

とお聞きになるそーで・・・・


御説ごもっとも・・・


ま、ここで、屁理屈をコネコネしますとですね、「静けさや」ではない、ということであります。


「静」は<つくりの「争=あらそいごと」>が<「青=空が青く澄みきっていく様子」>で、「動く」物に対して止まっている状態をメインに表す文字であります。


この句のポイントは「閑」という字を使ったところにあって、住宅の門という門に、「木戸をたてる」あるいは「木の錠前をつけて」外界と自分をシャットアウトしちゃうという違いがあるのです。


なので、このお山の上で、恐らく、芭蕉さん以外誰もいなかったと思われます。


お寺の境内かどこか、貸し切り状態で、自分だけの世界に没入、他人が入り込む余地がない自分だけの感性の「しずか」なたたずまいの中で、満足いく俳句作りができたよ!

これが芭蕉ワールドだ!!


ということも、行間にはあるかと思われます。


後世の知ったかぶりの人間のせいで、純真な俳人の心は、このようにどんどんすさんでいくのでありました・・・