震災2年ーⅣ<神社の不思議> | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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  せん。

東北の震災では地域地域の神社はほとんどが壊滅的被害を受けたと伺っております。

改めて衷心から哀悼の意を表します。


ところが、その上位のお社となりますと、たとえば律令時代からの「一之宮神社」ですとか、「別表神社」で「県社」以上の神社、地域でも比較的格式ある神社は不思議と冠水を免れたりしているところが結構あるとも聞いております。


私が住んでおります札幌市では、北海道は当然元々律令制神社はなく、別表神社になりますが、一番の格式のお社は、標高20m程度の市街地から丘陵へと立ち上がる中腹の標高35-40mといったところにあります。


また、私の出身小学校の近くの付近で格式一番の神社は、これまた周囲の標高30mから比べ20mほどの高みにあって、現住所に近い神社もJRが通っている0m地帯のようなところから丘陵中腹の標高25m程高所にあります。

そのお社は海岸線から約5kmしかありませんので、巨大津波の襲来の折は、標高25mというロケーションは、たとえ、神社が海岸沿いにあろうと絶対の安全圏といっていいと思います。


そんなのはただの偶然、あるいは土地が余っている北海道だから、開拓のときに神社が真っ先に一番いい土地を占拠したに違いない・・・といったご意見もあるかと存じます。

しかし、はたしてそう話は簡単なものではなさそうです。


たとえば、旧・能登国律令一之宮(現・気多大社、羽咋市)は、お社が海岸線から600mしかありませんが、建物は、海岸にそった平地から立ち上がっていく丘陵地帯の中腹にあって標高25m程の所在であります。

また、旧・隠岐国律令一之宮(現・水若酢神社)はお社が島後の本州側に向いた西郷港から2.3kmの距離にあって、その間8-33mのアップダウンコースが続き、お社自体は標高20mほどのところに建てられています。


上記二つは、律令一之宮の中でも海岸線から比較的近いところを選んだつもりですが、私の勉強不足でまだまだ震災に対して悪条件のお社があるに違いありません。

しかしながら、古いお社ほど、それほど「いかにもアブナイ!!」という場所に立っているという感じはしないと思いませんか?


昔からの古文書、口伝の研究の成果のなせるワザとお見受けいたします。


現代人も、「忙しい」と逃げてばかりいないで、古文・漢文の一つもベンキョーして古文書アサリでもすれば、震災の被害は案外小さくなると思いませんか?


それにしても、今立っているお社が健全なのは、上代の人の記述が正確であったと考えざるを得ず、その天災に対する分析力には驚くほかありません。