「道」 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

今回は「アッチ方面はどーも不得意・・・」とお考えの方は、おやめになったほうがいいかも・・・


「道」っていう字ですけれど、道路・通り道を表す「しんにゅう(しんにょう)+くび」と書きますね?



大体、「部首」になっている場所って、漢字の「発音」に関係なくて、もし「ヨミ」がわからない字が出てきたら、それ以外の場所で、読み方を予想しちゃうでしょ?


たとえば・・・「迅」→「訊問」→「迅:<じん>てよむのかな?」、「近」→「斤:きん=約600g」→「近:<きん>てよむのかな?」


ここまではあたりです!

では、

「道」→ここでは「部首はしんにゅう」それ以外の「発音に関する部品は「首」ですが、これは皆さん、どー見たってご存知のように「しゅ」とだけしか読めません。でも道の「音読み」は「どう(古くは「とう」)です。


では、ほかにも部首以外の部品から、読みを類推しづらいしんにゅうの字を拾ってみましょう。

「迭」「造」「連」・・・・などであります。


「更迭」などに使われる「迭」はものごとがそれていく様子、とあり、失策後の首のすげ替え、というような意味合いではありません。


「造」は「屋内に供物を持ち込んで祈ること」を意味し、「連」は実は「車」の上に「ヒト」を意味する象形文字が二つ並んでいて、「二人で運ぶ車」という意味だそうです。


そして肝心の「道」ですが、古来、道はあちらの世界への誘導路・連絡路としての機能も持っていると考えられてきました。

ですから、この世の人がヤタラ迷わぬよう、道や、辻のキーポイントには「道祖神」をおいて、あちらの世界からの誘惑者をそこまででシャットアウトさせたり、こちら側の人間を必要以上に向こう側に引っ張りこまれぬよう、番をしてくださいね、と願いをこめて地元の方々が丹精込めて作っては埋めていっていたわけです。


デモ、それだけでは、「道」に潜むアクシデントには、ディフェンスが足りないと考えた古代中国の人々は、生首を持って歩けば、沿道の「物の怪」に対してプレッシャーを与えるには十分であろうという習慣?がいつの間にか広まり、しかも、その方法でしばらく事故がなかったものですから、、字に残るまで定着してしまったんですね。


これもまた皆さんご存知のように、一つの意味に対して、たくさんの漢字があったのを統一したのは、秦の始皇帝ですから、この習慣は彼の死の直前、紀元前200年ころにはあったという事なのでしょうか?


このころの中国は群雄割拠でおっかなかったですからね~。

上の話も、あながち嘘とは言えないな~と思ってご紹介させていただきました。