私のおばあちゃんは、

 

「 これは結構なことだ 」

「 ありがたい、ありがとう 」

 

というのが口癖で、

日々を満足する天才だった。

 

祖母の存在は、人が気にも留めない小さなことを、

最大限に楽しむ方法を周りの人に与えられる、

見せてくれる才能があった。

 

祖母のささやかなことを喜ぶ心に触れた人は、

優しい気持ちになる。

 

 

2月18日 

祖母の3周期

 

3年前のこと、危篤の連絡をもらい、近くの拝所へ行く。

おばあちゃんに育ててもらったことや、

大好きだったネコとのことなどを話しかけていた。

私は遠くから、もう充分だよ、光に帰っていいよ

軽くなって欲しくて、光に帰れるようにサポートしていた。

 

拝所を立ち去る時に、

おばあちゃんから

「ありがとう」っておっとりとしたいつもの声が聞こえた。

その2、3分後に亡くなったとの電話がくる。

時間を見ると夜の9時40分

 

 

祖母の時代では珍しく、女学校まで行って成績優秀で、

その後外国人の秘書として、英文タイプの仕事をしていた。

結婚して主婦に。

戦争を体験、中国から引き上げる。

 

おじいちゃんが亡くなってからは、

奈良の生駒山から東京に出てきて、

主婦から一転、やってみたかったことを始める。

 

60歳で漢字が好きだからと、

 

「写植」という、

 

仕事を選び、技術を習得して、一家の大黒柱になり、

私と父を支えてくれた。

写真植字のことで、

今ではパソコンで印刷の素となる文字を作るが、

昔は出版される本はこの写植を使って、

印刷する元になる文字を作っていた。

 

300キロもある巨大な機会に、、

文字が書かれた必要なプレートをはめて、

3千とある常用漢字の1つの文字を探し出しす。

光を当てて「ガッチャン」とレバーをプレスすると、

撮影される仕組みだ。

 

非常に優れた技術で、なめらかで美しいのが特徴なのだが、

どこに何の文字が書かれているか瞬時で見つけ出してくのが、

みていて不思議だった。

 

 

眼下には明治大学と、遠くに富士山が見える、

二間の狭い狭いマンションに住んで、

グランドピアノのような大きな機会と

ベットとテレビで部屋は一杯だった。

 

 

わたしが中学生の頃、母から離れて、

祖母の元へ行きたいと願い2人暮しをする。

 

「ガッチャン、ガッチャン」

 

といつも鳴り響いていた。

 

 

途方も無い作業を、

締め切りまでに出版社に持って行く。

帰りには蕎麦屋に寄るか、

茶巾寿司とあんこを買って帰ってくるのだった。

 

 

猫と駅前のパン屋さんのコーンパン、

今でもスーパーに売っている

ウエハースのお菓子が好きで、

それからリポビタンCをいつも飲んでたいた。

 

時代はパソコンへと移り、

70歳の頃に仕事がなくなり引退。

暇な時は、織物、刺繍、編み物、

ナンパラとかの漢字のクイズ本をよくしていた。

 

実におばあちゃんらしいおばあちゃん。

2日もあれば、靴下を編み終わり、

お友達にあげるのが趣味で、

くつ下をもらいにおばあちゃんに会いにくる人がたくさんいた。

あまり外に出なくなってからは、

毛糸を買いにおつかいしていたのが懐かしい。

 

一緒によくサスペンスドラマを観た。

市原悦子のファンだった。

手元が器用なので、

テレビを見ながら高速で編んでいくのだが、

パチパチと編み棒が交わる時に立てる音も、

日常のおばあちゃんの奏でる世界だった。

 

ビョークの音楽と掛け合わせたら、

面白い現代アートになりそうだ。

 

わたしが市原悦子さんと仕事をすることがあった時には、

たくさん靴下をわたしに持たし、

渡してくれたことをとても喜んでいた。

 

 

おばあちゃんの性格は静かで穏やかで、

話し方が柔らかい。

ごくごく普通なのだが、

うちのハチャメチャな家族の中で、

 

わたしに心の平穏をもたらしてくれる人だった。

 

おばあちゃんから、

桜の木に囲まれた生駒山の家の話を聞くたびに、

そこで育っていたらもっとたくましくなっていたかなとか、

田舎暮らしをよく想像していた。

 

子育てを田舎でしたいと思って来たのもつながっているのかもしれない。 

 

 

 

これは、愛する仲間への呼びかけです。 

vol.12  ヒサおばあちゃん