昨晩、夕飯を作ろうとしたら台所の洗い物が一杯になっていました。
あちゃ~
早くご飯作りたいのに大変(汗)
私「洗い物やばいわ〜」
長男「俺洗ったろか?」
嬉しい!でもあまりにすごい量で申し訳なく思いました。
私「ありがとう。でもめっちゃ多いからお母さんやるわ」
と言いました。
その後の長男の言葉が、
長男「なにそれ?めっちゃ多いからこそ頼むんやろ(笑)」
なに!??
たくさんあっても頼んで良かったのか。。
むしろたくさんあるから頼むのか。。
言われてみればそうです。
でも断ってしまった流れで、
結局自分で洗いものをしました(苦笑
前回の記事で夫に色々と手伝ってもらえるようになったことを書きましたが、
こんな日もある(笑)
長男も仕事終わりで疲れてるだろうしと思った、
思い返せばその一瞬の間に
・長男を休ませてあげないとしんどくなるんじゃないか
・職場が変わったばかりだから家ではゆっくりしたいんじゃないか
・しんどいのに無理して手伝おうとしているんじゃないか?
こんなことが頭をよぎっていたのです。
でも、そもそも手伝えないくらいしんどかったら、
手伝おうか?
なんて言わないです、長男の場合。
成人して仕事もしている大人の人間を、
私は未だに守るべき存在として見ている所がある、そんな自分が見えてきました。
"親にとって子供はいつまでも子供"
とはいいますが、あれこれ先回りして心配するのは健全ではないですよね。
それと、昨日の記事の内容と重なりますが、
私が自分が我慢しているから
長男も我慢しているように見えてしまうんです。
(自分の内面を相手に映し出して見ている〜心理学でいう投影という心の仕組みです。)
自分が我慢していると、
相手も我慢しているように見えて、
せっかくの好意を受け取れない。
想像してみるとわかりやすいけど、
「手伝ってあげようか」
とこちらからいって相手から断られたとき、
少し残念なような気持になったりします。
心のシャッターを下ろされた感じでしょうか。
だから手伝ってもらうこと=相手の好意を受け取ることは相手の心を満たすことにもなります。
もし相手が喜んで
「めっちゃ助かる♡手伝ってちょうだい!」
と言ってくれたら私なら、
受け取ってもらえた満足感とか
役に立ててよかった♡という喜びを感じます。
ちょっと大げさかもしれないけど、これって愛の循環かもとおもいました。
我慢する役割が長年身に染み付いていると
ぱっと手放せるものではないとは思います。
子供が小さいうちはそんなこと言ってられませんし。
急にやめるなんてできない。
だから我慢してるなと気がつく所から始まります。
自動運転で我慢していたことの中には、
よくよく確認してみると、
我慢しないですむことがあるはずなので、
ちょっとした所から我慢をやめてみる。
それを積み重ねて行くことで、ゆっくりではあっても楽になっていきます。
何か皆さんと重なる部分や気づきがあればと思います。
お読み頂きありがとうございます♡
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