2009年4月の事でした。
とかち帯広空港から羽田に向かう便のクラスJ。一番前の1HG席はドアクローズ寸前まで空席でしたが、寸前になって見覚えのある方が搭乗してきました。すぐ中川昭一さんと気が付きましたが、声をかける事はありませんでした。
飛行中はドリンクサービスにも口をつけず、終始うつむき加減…とてもお疲れの様子でした。
羽田空港に到着後、意を決して「中川先生、いつも日本のためにありがとうございます」と声をかけ、握手していただきましたが、あまり力強い握手ではなかった覚えがあります。それから6ヶ月ほどして飛び込んできたのが中川氏の訃報。死因は明らかになっていませんが、訃報を知った瞬間「自殺じゃないか?」と思ったものです。
中川昭一元金融大臣といえば、記憶に残っていない方も多いと思いますが、2009年2月のG7・中央銀行総裁会議に当時の白川元日銀総裁と共に出席して、記者会見が泥酔状態だった事が問題視されていた国会議員でした。
当時は、スマホもXもない時代、インターネットに載る情報の多くがマスコミ発表のものなので、泥酔会見をマスコミは新聞やテレビなどで中川さんを叩くだけ叩いていたように思います。
そんな最中、とある情報筋から聞いた真実があったんですよ。
2009年だったか、2010年に入った頃聞いた情報ですが「中川さんは、記者会見が無くなったと聞いて、とある記者から(お祝いしましょう)とワインを飲んでいた。普段酒は強い方だけど、ワインを飲んだ時に眠気が出て寝てしまったらしい。そうしたら記者会見が開かれることになって、無理やり会見場に引っ張り出されたので泥酔会見になってしまった」という情報でした。
実は、この日に中川さんがIMFのストロスカーン専務理事とリーマンショックに端を発した金融危機に対応するため、日本からIMFに出資をする事で合意し調印をした後の出来事だったのですが、当時はまだまだアメリカドルが世界を牛耳っていた時代。
中川金融大臣とIMFの合意が、アメリカの知らないところで行われた事をアメリカ当局が快く思っていなかったのでは?とも思っています。アメリカからすればリーマンショック端を発しているなら「日本はアメリカ国債を買ってアメリカに直接出資すべき」という立場でしょうから、日本がIMFに出資し国際機関の1つに過ぎないIMFからアメリカへの融資には難色を示していたのでしょうね。
中川さんは「日本はアメリカの財布ではない」とアメリカの要求を突っぱねるだけの私案を持っていた方で、日本領海のエネルギー開発や外国への販売などで国を豊かにする事を真っ先に考えていたと言われる人物。彼が総理大臣になっていたら、円はいつまでも強く、消費増税しなくても国家予算は組め、景気低迷は一時的だったかもしれません。
とある情報筋から聞いた話には続きがあって…
日本では中川さんの事しか報道されなかったのですが、中川さんと調印に臨んだIMFのストロスカーン専務理事は?というと、その後ホテル従業員とのレイプ疑惑が持ち上がり、IMFだけでなくフランスでの政治生命も絶たれてしまった😱という話を聞いて、中川さん共々政界から抹殺されてしまった❗️と思ったものです。
ストロスカーン専務理事はフランスでは人気の政治家で、後のサルコジ大統領の宿敵とまで言われ、「フランスの大統領にいちばん近い男」とも言われたのですが、政治生命絶たれちゃったんですよね。
アメリカドルを支えて、アメリカ経済を支える為にアメリカ国債を大量買いする日本の姿勢に意を唱えていた中川金融大臣。テレビ報道が全てだった時代、全国民が「ひどい金融大臣だ」と袋叩きにして落選させるという間違った行動を取らせてしまったのは残念です。
この中川金融大臣の話は2010年頃に立ち消えになっていましたが、先日中川さんの奥様で国会議員中川郁子さんの手記が突然発表されて、あの時に情報筋から聞いた話に信憑性を感じたものです。
中川郁子さんの手記は、読売新聞が反発して「ウソだ❗️でっち上げだ
」と郁子さんを叩き始めたので手記を削除してしまった?らしいのですが、スクショしておいたのでここに載せてみたいと思います。







