教えるということ | Sleepy Scholar's Diary

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冬眠が好きな傾向は一生続く模様だが、一応、起きて
いる時には世界にも色々反応を示していきたいもの。

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今学期は風邪を何度もひいて体調がイマイチだった

せいもあり、教職にはやはり自分は向いていないと

後ろ向きになった日が多かった。教えていても楽しくない

時や自信のない時が沢山あり、学生に申し訳ないなと

思いつつ、前期が終わろうとしている。


夏の間はペーパーは何本か書くつもりだが、他の

仕事の準備にも入ろうかなどと考えていた。


・・・が、


なぜか今日は、あるランゲージセンターにて面接試験。

生徒役の方が優しそうな人だったためか、デモレッスンも

おお張り切りで、何だか楽しんできてしまった。


おそらく、合格となり、夏休みの終わりぐらいから、ある

企業で講座を持つことになるのだろう。


こんなに教えることにマンネリを感じ、いや、教えている

自分がマンネリ化していることに嫌気がさしているのに、

どうして、応募なぞしてしまったのだろう?


勿論、給料を増やしたいということはあったのだが、

募集要項を見て、突発的に「社会人を教えるのであれば

楽しいかも」と応募してしまった。そして、フタを開けて

みると、英語力はかなり下のレベルらしい。またもや

教え方で苦労することになりそうな話であった。


正直なところ、仕事が入るとしんどいな・・・ショック!


幼い頃から「教師だけにはなりたくない」と思ってきた。

ピアノを本格的にしていたが、ピアニストだけで食べる

ほどまで自分が上手ではないことに気付くと、

ピアノ講師を兼務するなど嫌だと思って、すっぱりと

その道をあきらめた。


にもかかわらず、この教師歴(・・;) バイトもほとんど

教えることしかしていない。時給が良いというのも

あったが、身近に見ている仕事なので分かりやすかった

のが、この仕事を選んだ一番の理由だろう。新しい、見た

こともない世界に入るのは怖かった。


そんなこんなで、今のこの状態。教師という仕事は

素晴らしいとは思うが、私が教師をしているということが

良いことだとは感じない。人前で話すことがおっくうだと

頻繁に思う人間が、語学の授業をもっているのは

学生にとって何のメリットもない。文学とか哲学とか、

講師がとつとつと語っている講義からでも、何かを学び

とる授業とは違い、語学の授業は、教師の話し方から

学ぶことが多い。自分の経験からそう言える。


いざ授業が始まれば、授業中には自分の教え方の

悪さは横に置いておいて、大きな顔をしているが、

授業外では、私でなければ、もっとこのクラスは笑いに

包まれるだろう、あの学生たちは飽きないだろう、

或いは、資格試験の勉強がより楽しくなるだろう、等と

考えてしまう。


「この仕事しか選べなかった」という理由で教職を選んだ

のか、はたまた、似合ってはいないが、これが私に

与えられた使命なのか・・・・面接を受けにいった日に

考えるテーマではないが、つい考えてしまう。