昨日出された「新学習指導要領案」によると、高校での
英語の授業を全て英語を行うようにするという。
現場では戸惑いの声があがっているようだが、当然だろう。
読解(プラス少しのリスニング)を中心にした教育を受けた
先生方のほとんどは、スピーキングには自信がないのだ。
海外に長期間留学していた人は別として、大学の英語の
先生でも、英語で授業をすることが出来ない先生は
多くいる。高校ではさらにそのような先生の割合は増える。
さらに、先生側の問題だけでなく、生徒のほうも
ある程度英語に興味のある生徒であれば、英語だけでの
授業を受けることが刺激になるだろうが、かろうじて
アルファベットの書ける程度の生徒には、辛い授業と
なることだろう。小学生とは違い、ゲームや歌ばかりを
しているわけにはいかない。大学入試に必要な文法
事項を英語で説明されるとなれば、ますます分からない
ことだらけになってしまうだろう。
私も、一つの大学で全て英語、という授業をしているが、
日本語での授業に比べるとかなりのエネルギーがいる。
小学校の時から英会話学校に通い、大学・大学院を
通してネイティブの先生の授業を受ける機会が多く、
なおかつ、アメリカに2年留学した私だが、語学学習に
関してはまだまだ日本人的メンタリティを克服しきれて
いない。帰国子女の学生の顔を見ると、「間違えては
いけない」と焦る(^^;)。
以下のニュースの中で取り上げられている文科省
幹部の言葉には唖然とする。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200812220321.html
「専門として英語を教えているんだから、能力は
高いはず。先生がパニックになるようなことはないだろう。」
文科省にお勤めの方だから、幼い頃から優秀でいらした
のだろうが、世の中には、英語を教えていても、話すと
なるとパニックに陥る人は沢山いるのだよ。貴方のように
何でも卒なくこなせる人ばかりではないのだよ!
こんな見解の上層部が教育試案を作り出すから、
教育界には混乱が生まれるのだなぁとつくづく感じる。
突然に「英語で授業を!」と言うのではなく、まずは
教員のスピーキング教育を行ってから、授業にもって
いくのが正常ではなかろうか。中途半端に試行錯誤を
しながら授業を行う教員を前に一番迷惑するのは
生徒たちだ。大学入試の形がそのままであるとすれば、
高校で実験的に行われる授業に戸惑いを感じ、今以上に
予備校通いに熱心になる生徒もあらわれるだろう。
英語で授業をすることに反対だと言っているのでは
ない。しかし、物事には順序がある。日本政府の動きは
とかくそうだが、見切り発車で何でもやってしまうという
この傾向。教育の場では、被害を浴びるのは、その
時代に教育を受ける生徒たちだ。即効性を考えるので
なく、長い目で見たところに効果を求めるのが教育の
原点だ。文科省の方たちにも「教育者」としての視点を
養っていただきたい。