人生には
絶対的に喜びが必要だから
だから
自分を知るのです
こんにちは
宇宙心理士
心理占い師の真一です
本日は私自身の真実への旅
のワークの日
アメリカのチャネラーである
リサとのワークの日
だったのですが
これが自分の真実に向き合う
ワークでして
そこで出てきたのが
「わたしはいつも
客観的な自分が見ている」
ということでした
自分に対して
客観的に見ている自分が
常にいるので
自分の危機に対しては
誰も予想のできない事をするのが
私の人生だったのです
と言っても
よくわからない話しですね
私は幼稚園児の5歳か6歳の時
友達と2人で
幼稚園から歩いて帰る道に迷い
いつも父親の車で通る
自動車専用道路を使って
帰る選択をしました
そこで今でも覚えていますが
道路公団的な車に
「そこは歩いちゃだめだよ~」
と拡声器で声をかけられながらも
5歳の僕は
「大人にはわからない
ぎりぎりを生きているんだ」
と
反抗していたのを覚えています
そうして
このまんま私の原点は
世の中に対する反抗にある
人生となります
それは常に
自分に必死でいる事だと
このワークで再確認しました
私の中にあるこの必死さは
私の身体を離れたところから
自分自身を見ているという
「客観した自分の意図」
によるもので
これがのちのちに
私の身体はいつも
険しことを選択する
という癖にあることが
わかるわけです
これは身体に入った自分としては
苦しくなるので
身体に入った自分が
喜ぶ選択をしなくては
いけないのです
楽観主義的な人生観のように
聞こえる喜びへの探求ですが
その実は
辛い事がデフォルトとなっている
無理することがデフォルトと
なっている
軌道がおかしくなって
しまっているという
気づきなのです
何しろ5歳児が幼馴染みを連れて
自動車専用道路を歩き
家の近くの料金所を降りて
家に帰ることが
デフォルトの人生だったのです
昔から親にも
よく怒られておりましたが
今なら親の責任が問われる
場面です
その苦労が
デフォルトになると
人生はずれます
苦労は悪い事ではありません
しかしデフォルトの感覚が
極端に苦労の方向性であることが
わからないと
基準がズレているので
当然社会でも
苦労の選択をすることになり
このズレは侮れません
社会で苦労の選択をするのが
デフォでおるということは
社会で蔑ろにされても
虐められても
村八分にされても
搾取されても
それが普通になるのです
その感覚は当然その現実を
引き寄せます
人よりも底辺的な選択を
積み重ねてしまうのです
人との交流において
自分の立ち位置を知ることで
この自分のデフォルトから
抜け出すことはできます
たとえ会社員をしていて
安定した環境であっても
世の中はそれほどあまくありません
どうしても自分だけ
いつも損をするという流れを
呼ぶのです
人生観としての自分の印象から
その流れから抜け出せないのです
喜びとしてあるのは
この「損をすることに耐えた」
という満足になります
その喜びは
決して歓びではないのに
そこで
満足をする人生になるのです
そこで必要なのが
自分の喜びへの探求でしょう
苦労の中でも
人は喜びを見出します
しかしそれが
他人との比較で見えてきた
「違う」
という発見に
自分にとっての喜びは
どのようなものであるかを
知りたくなることがおきます
そして様々な喜びを
自分で見出していく作業が
できるのです
食べる事
話すこと
遠くへ行くこと
華やかなものに囲まれること
様々な喜びの探求をすることで
自分の喜びが開花するとき
そこには自分の成長が
必ずあります
喜びや豊かさというのは
受取ることができるかどうかにも
よります
受け取る意識というものが
あるのです
その喜びを
受け取る意識の周波数に
自分を持って行くことが
出来なければ
喜びを喜びとして
感じることはできないのです
だから喜びを見出すことは
それで成長なのです
あなたは何に喜ぶのでしょうか?
そして喜びとして
ちゃんと受け取ることが
できるでしょうか?
問うてみる事です
そこに
自分の次の成長のステップが
あるのです。
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