ここ数年、
總水とおまさんと海外へ⾏かせていただく中でも、
毎回のように同じテーマが現れていました。
昨年の六⽉、ハワイへ⾏ったときもそうでした。
「役に⽴たない私はダメ」
そんなふうに、⾃分をジャッジしていました。
オーストラリアで
ぎっくり腰になったり、コロナになったりして
「何もできなくても⼤丈夫。」
「役に⽴たなくても⼤丈夫。」
「存在しているだけで⼤丈夫。」
それを、体験したはずなのに、
また元の考えに戻ってしまっていました
気づかないうちに、
「もっと頑張らなければ」
「もっと役に⽴たなければ」
という世界へ、
少しずつグラデーションしていくのです。
だから今回、
体が動かなくなったことで、
私は⼀度⽴ち⽌まることができました。
今⽇の講座には、
⼦どものことを⼼配している
お⺟さんもいらっしゃいました。
⺟親は、⼀⽣、
⼦どもの⼼配をするものなのかもしれません。
けれど、その⼼配さえも、
「この⼦がいるから、私は⼼配することができる」
「⼼配できる相⼿がいるなんて、ありがたいことだ」
と捉え直すことができます。
これも、リフレーミングです。
体の痛みも同じです。
体があるから、痛みを感じることができる。
痛みがあることは、⽣きている証拠でもあります。
村⼭先⽣も、よくそのようなことをおっしゃっていました。
起きていることを変えられなくても、
意味は変えられる。
⾔葉を変えることで、
私たちはいつでも別の世界を⾒ることができます。
⼦どもを⼼配することではなく、
⼦どもを信じることなのだとずっと教わってきました
ついつい期待してしまいますが
期待は 条件がつくことがあります。
「これができたら素晴らしい」
「成功したら認める」
「頑張ったら好き」
でも、信じることには条件がありません。
「あなたなら⼤丈夫」
「何があっても、私はあなたを信じている」
「あなたが存在しているだけで⼤切」
無条件の愛からくる思いは、
⼦どもの潜在意識の中に、
深く⼊っていくのだと思います。
ただ愛すること
ただその存在を認めること。
それなら、できそうです
⼦どもだけではありません。
⽬の前の⼈の存在を認めること。
そして、⾃分⾃⾝の存在も認めること。
「できる私」だから認めるのではなく、
「役に⽴つ私」だから愛するのではなく、
何もできないときも、
うまくいかないときも、
ただ存在している⾃分を認めること。
もう⼀度、
そんなニュートラルな⽴ち位置に戻りたいと思いました。
私たちは、何かができるから
価値があるのではありません。
誰かの役に⽴つから、
愛されるのでもありません。
⽣きていること。
ここにいること。
ただ存在していること。
それだけで、もう⼗分なのだと思います
と思っていたら素敵な提案が♡
大好きなお三方とお話しします
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