仁和寺の紅葉 その2 | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(11月19日のこと)で、仁和寺の続きです


御所庭園を出て、中門の方へ歩いて行きます

少し歩くと左手に見える東門からの参道がこんな感じで綺麗に紅葉していましたひらめき
これはチラッと見ただけ🤣

その先の参道に見事に紅葉してるのが1本



1本だけでしたがあまりに見事な紅葉で、ちょこちょこ撮られてる人がおられました😄

中門(重文)


中門から仁王門側を眺める

中門抜けて、茶所前くらいから五重塔方向を眺める
やはりこのエリアに入ると紅葉してる所が増えてきました

少し脇に逸れて五重塔の方へ



戻って金堂(国宝)方面を見ます


その通りから見た五重塔

時期的にか、この方向からは紅葉してるのは少なかったです😅

金堂前
金堂前でも御朱印が頂けます指差し

金堂前から西門への参道

そちらへ行くと鐘楼(重文)の所も綺麗に紅葉していました😊

鐘楼横の水掛不動尊へと向かう参道
この辺りも木は大きくないけどいい感じ照れ

その参道の所にある閼伽井

不動尊の手前から

不動尊前から振り返る

不動尊の手前には駒札が掲げてある木がありましたひらめき

駒札
北野天満宮奉納
『菅公 縁結びの梅』
  当寺を建立した第59代宇多天皇は、 北野天満宮の御祭神・菅原道真公(菅公)を重用したことで知られている。
  境内には、出家した宇多法皇が法要をされた際、その法要が終わるまで菅公が石に座り待たれたという伝承から「菅公腰掛石」 と呼ばれる石が置かれている。
  この御縁により、参道には北野天満宮から奉納された紅白の梅一対が植樹されている。
  これは菅公と宇多天皇、そして北野天満宮当寺との深い縁を象徴するものである。
  尚、北野天満宮には「影向松(ようごうのまつ)」が植えられているが、これは仁和寺の法親王が寄進した 「代継の松」を植え替えたものである。
令和5年8月吉日
総本山仁和寺門跡 瀨川大秀
(以下、原文のまま)

水掛不動尊

その横に解説があります


  仁和寺の境内には石仏の不動明王が安置されています。この不動明王は、以前堀川まで流れてしまいましたが、不動明王の「仁和寺に帰りたい」というお告げを聞いた人により無事仁和寺に戻る事が出来ました。この伝承から水を掛ければ一願だけ叶うという、一願不動の信仰があります。

菅公腰掛石
  不動明王を安置する台座の岩は『菅公腰掛石』と呼ばれています。菅原道真公は、延喜元年(901)2月1日に大宰府に向かう事が決定します。その前に宇多法皇に最後のお別れに来られましたが勤行の最中であったので、この石に腰掛けて法皇を待ったことに由来します。

宇多法皇と菅原道真公
  宇多法皇は、天皇即位後の寛平3年(891)2月、道真公を蔵人頭に補任します。蔵人頭は近臣ともいえる職であり、道真公もその期待に応え、天皇の治世(寛平の治)を支えた一人です。落飾後の宇多法皇とも交流がありました。

仁和寺と北野天満宮
  仁和寺を創建した宇多法皇と菅原道真公との関係は、平安時代以降も続いています。
  北野天満宮の『宮仕記録』 貞享5年(1688)8月9日には、第23世寛隆法親王が寄進した松について記されています。「影向松」が枯れると、仁和寺から松を寄贈するという慣習があったようで、松の寄贈は明治期まで行われていました。

金堂側へ戻って行きます


仁和寺のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ