前回からの続き(1月2日のこと)です
茶づなの近くには、この様な石碑があります

浮舟宮跡

解説

浮舟宮跡
此処より東の旧道沿いに、菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)墓の陪塚(ばいちょう)に治定される小さな高まりがある。
この辺り一帯にかつて浮舟宮(うきふねのみや)と呼ばれた古社があった。
榎(えのき)の大木が茂り、浮舟の森とも呼ばれた。
社の由来はつまびらかではないが『源氏物語』宇治十帖の悲劇のヒロイン浮舟の君を祀った社として、里人に親しまれていたという。
江戸時代の中ごろに社が廃絶し、三室戸寺によって「浮舟之古蹟」碑が建てられた。
明治に至り社跡は宮内庁により陪塚として整備され、石碑は近年の開発に伴い三室戸寺境内に移設されている。
宇治市
(原文のまま)
菟道稚郎子皇子
生没年不詳
応神天皇の皇子
父・応神に特に愛され、兄たちをさしおいて太子になったが、父の死後、兄(のちの仁徳天皇)に位を譲る
しかし兄も固辞して受けず、譲り合いが3年にも及んだので、ついに自死して兄に位に就けたということだそうです
片やもう1人の兄である大山守皇子は、皇位を奪おうと兵をあげるも、策略で討ち取ったという話もあるそうです
(朝日 日本歴史人物事典参照)
近くには菟道稚郎子尊宇治墓があります
そちらは以前訪れています
この辺りのこともう少し続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ
