今回は前回話の中で出た志賀郷の七不思議のことです
道沿いにもこのような看板がありました

以前に訪ねているので、そのまとめ(総集編)です

1、藤波神社のシラサギ伝説

 旧暦元旦の朝、藤波神社に白い藤の花が咲いた。これを真新しい箱にいれて朝廷に献上する慣わしが長く続いていたが、正安元年81299年)の正月、使いの者が水戸峠(今の観音峠)で箱のふたを開けてしまい、中から1羽の白サギが飛び立って藤の花は消えてしまった。ときの帝・後伏見天皇は藤の花が届かないのをお怒りになって帝の位を讓ってしまわれたという。それ以後、藤の花の不思議は途絶えて、今は藤波神社の境内にヤマフジの古木が残る。


2、阿須々伎神社の茗荷占い

阿須々伎神社 

 

 旧暦正月三日の日の出(今は節分の朝)雪の中でも清水の湧く境内の「お宝田」に茗荷が生え出る。神官が伝来の鎌を使って掘り上げ、茗荷の形によってその年の早稲・中稲・晩稲の日照り、水害など予兆が告げられる。茗荷祭は江戸時代に近隣諸国の名所となり、現在も脈々と続けらている。


3、篠田神社の筍占い

篠田神社 

旧暦・正月四日の日の出(今は立春の朝)篠田神社の社殿の奥、篠竹の「お宝田」よ中に筍があがる。村人から選ばれた禰宜(ねぎ)がほりあげて神前にお供えした後、社殿前に並べ人々はこれを見て早稲・中稲・晩稲の一年の農耕の参考とする。筍占いは阿須々伎神社の茗荷占いとともに、農耕神事として今も脈々と継承されている。


4、若宮神社の白萩

若宮神社 

  旧暦正月5日の朝、本殿横にお手植えされたハギに真っ白い花が一面に咲いた。村人は花の咲く様子を見てその年の収穫の吉凶を占い、神前に供え加護を祈ったが、藤波神社のフジの花が絶えたとおなじ頃に、若宮神社の白萩も咲かなくなったという。今は初秋になると一面にさいている。


5、諏訪神社の御用柿

諏訪神社 

  

旧暦・正月六日の朝、神前のカキの木に青い実が三つなり、日中には赤く実った。これを都に献上する習わしであったが、花園天皇の正和元年(1312年)使いの者が船井郡須知の里で、里人の家に入り茶を飲んだところ、にわかに腹痛が起こり大騒動する間に、カキの箱は北の空へ飛び去ってしまった。今に残るカキの古木には秋に小さい渋柿が実る。この木に向かって「御用!」の叫ぶと実がなるといわれている。

※諏訪神社のカキの代わりに「正月二日、別所の御用柳坪の柳に七色柳の花が咲いた」とする文章もある


6・7 、向田の丘のしずく松・ゆるぎ松、福知山城の棟木になる

しずく松・ゆるぎ松 

  向田の松原の丘に円墳が二つあり、その上の二本の松の物語。「しずく松」の枝から雨のように雫が降って、一年の水害・干ばつを予知しました。また、「ゆるぎ松」の高い梢が揺れて都に吉事があることを知らせ、低い枝が揺れると悪い知らせであった。この知らせは都ばかりでなけ志賀の里にもあらわれたが

なぜか里人には分からず宮廷にだけ奏上されたという。

 やがて時が移り、天正7(1579)年明智光秀が丹波を平定、福知山に城を築くためにこの松を切ろうとしたが、切り屑が一夜のうちに元に木に戻ってしまい木こりは恐れて切ることができない。やむなく木屑を燃やしながら切り進み、切り倒され、ついに福知山城の棟木になったと、別所町の願成寺文書に語られている。現在、子孫の松が植えられてある。

  公民館には厚さ12cmもある「しずく松の皮」が保管されいる。

(以上、志賀の奥山・パンフレットより)



昨晩、京都で地震(と言ってもウチんとこらでいいとこ3か2)がありました

地震がくる前、あのゴゴゴっと嫌な前触れを感じたら、やはりという感じで少し揺れました😨

一瞬、阪神淡路島大震災のときのことを思い出しましたよ💦

最近、いろんなとこで地震が起きてますが、正に他人事じゃないことを実感しました😅

あの一瞬でも揺れた時の不安感😓

どこということじゃなく、地震は起きて欲しくないものです😞

そして備えも大事ですよね!?

などと考えてしまいました凝視

次回は引き続き綾部市の神社のことになります

では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ