今回も丹波市桜めぐりの続きです
今回は今年訪れたもので、丹波市市島町のお寺です
清菌寺(せいおんじ)

住所・兵庫県丹波市市島町下竹田68
御本尊 薬師瑠璃光如来
HP 清菌寺
霊場 丹波古刹霊場 第12番
丹波市西国霊場第32番
こちらは国道176号線からも行けますが、県道708号線を走った方が道沿いに総門が見えるので分かりやすいんじゃないか⁉と思います😄
総門(赤門)

江戸時代初期の建築
左甚五郎の作と伝わる
(以後、解説はHPを参照にしています🙇)
参道


参道を振り返る

仁王門

寛政7(1795)年再建

仁王門のとこに鬼の彫刻

仁王像


明和4(1767)年造立
仁王門をくぐると、すぐそこに石燈籠(県指定文化財)

この石造燈籠は竿石の銘により、貞和3(1347)年に左衛門尉平顕信(あきのぶ)が奉納したものであることがわかる。
各所の格狭間(こうざま)、竿石の珠文帯(しゅもんたい)、火袋石(ひぶくろいし)と蓮花座(れんげざ)と種子(しゅじ)文(金剛界種子)など、細部手法によく南北朝時代の特色を示している。
総高2.73メートル、二段の泥石上にたち、夜久野石様砂岩で造られており、意匠もすぐれていて、均斉のとれた姿は優美である。
刻銘には「右志者為天下泰平 六道四生一切普利」とあり、六道思想がうかがわれ、文化史上興味深いものがある。
(原文のまま)
アップ

その先に薬師堂があります

薬師堂(市指定文化財)

解説

清菌寺は、大江山の鬼退治をした用明天皇第三皇子の麻呂子(まろこ)親王が、薬師如来像を安置するために建立した7ヶ所の寺院の一つと伝えられる。本堂である薬師堂は、五間四面の瓦葺、宝形造(ほうぎょうづくり)で、江戸時代前期の貞享3(1686)年に再建された。本尊の薬師如来像は33年に一度、御開帳される。
内部は、前方二間を外陣、後方三間を内陣とする。また、外陣正面には市指定文化財で貞享5(1688)年に竹田の三ヶ村を願主として奉納された麻呂子親王鬼退治絵馬がかけられている。
清菌寺の伽藍配置すなわち主要建物は、総門―仁王門―燈籠―本堂と一直線上に位置するもので、古い形式をとどめている。
(原文のまま)

境内にも桜

薬師堂右側

薬師堂の横には大杉

薬師堂の傍らにあることにより、落雷から御堂を守ってくれる御神木である。高さ30mあったが、ここ五十年間に三度の落雷に遭い、現在は高さ23mとなっている。(幹周り6m)
昭和28(1953)年、薬師堂屋根葺替えの財源として売却されるも、伐採を惜しむ声が上がり、有志によって「大杉保存会」が結成され、買い戻して現在に至る。
近年、杉の木の痛みがひどく、薬師堂の方へ倒壊の恐れも出て来たので、三竹田協力のもと、樹木医の治療を受けた。落雷により幹の内部がほとんど空洞で、腐朽部の治療と雨水の入らないよう樹脂で治療した。また、枝が薬師堂の方に多いため間引きと、風のため落下防止にケプラロープで中吊りにした。また、薬師堂の土壌が固結していたので膨張工事をし、肥料を投入した。
(治療期間1999年11月中旬〜12月中旬)
願わくば、この大杉は二十一世紀も地域のシンボルとして元気な姿を留めてもらいたい。
平成十二年十二月吉祥日
上・中・下三竹田地区一同
清菌寺檀中一同
(原文のまま)
鐘楼

境内をぐるり
境内にある招魂碑

鬼伝説ゆかりの寺

縁起
用明天皇の時代(586年)丹後与謝の大岳(大江山)に鬼人ありて人民を悩まし、国中に災いすること少なからず。
ここに用明天皇第三の皇子「麻呂子親王」を大将として、悪鬼退治の勅命を下す。親王は、河田、久手(くで)、共庄(ぐじょう)、岩田の四勇士を始め軍勢1万騎を従えて、千束、萩原、六人部を通り当地に下向し給う。
今に一万坂の地名を留めるは之に由来するもの也。その道すがら伊勢大廟より神剣を授けられ、イナナキの里(亀岡篠町馬堀)にては俊足の名馬を獲給う。

当時、親王御詠と伝えられる御歌に
「雲はれて みどりに晴るる 空みれば るりの光の月ぞさやけき」と。
御本尊 薬師瑠璃光如来は十二の大願を本誓とし、薬壺を開いては心身両面の疾病を除き、寿命長生と人格の完成を旨とし、病に応じて薬を与え利益を施し給うこと大願の肝心なり。
清菌寺御詠歌に
「ふしおがむ 心も清き 薗(その)の寺 なぞかめぐみの なからざるべき」と。
現在、一千四百年の星霜を経て清菌寺も、総門・仁王門・本堂・塔頭寺院(親王院)一坊を残すこみとなる。
この間 貞和3(1347)年に平顕信は天下泰平の為に石灯篭を奉納し、寛永年間(1624年~)左甚五郎は総門の建築に力をそそぐと伝えられる。
(原文のまま)
方丈は道の向こうにあります

以前訪れていて、その時御朱印も頂きました→清菌寺
もう少し丹波市桜めぐり続きます(..)
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ






